くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「夏への扉 キミのいる未来へ」

夏への扉 キミにいる未来へ」

今まで映像化されていなかったのが不思議な、あまりにも有名なロバート・A・ハインラインの名作SFの映画化。不安だらけで見にきた。結果は、原作がいかに素晴らしいのかを再確認することになる程、忠実に、悪く言えば無難に、それでも見事に映像として仕上げていたと思います。物語の展開も原作を知っているとは言え面白かったし、ラストシーンも胸が熱くなりました。不安だった猫の扱いもちゃんと物語に彩りを添えていたと思います。監督は三木孝浩。

 

波打ち際、一人の少女が立っていてタイトル、そしてある研究所で一人研究をする主人公高倉宗一郎の姿となる。彼の両親は幼い頃相次いで亡くなり、亡き父の親友松下に引き取られて育った。松下には璃子という娘がいて宗一郎と璃子は兄妹のように育つ。しかし松下夫婦が事故で急死、璃子は叔父である松下和人の元で高校生となる。一方宗一郎は松下の跡を継いで和人と共同経営者の立場となる。ここまでを一気に映像で見せて物語は本編へ。

 

宗一郎は、ヒューマノイドの開発とほぼ永久に電源を供給できるプラズマ蓄電池の開発の大詰めとなっていた。そんな宗一郎を璃子は密かに慕っていたが、いかんせんまだ高校生、宗一郎は女性として璃子を見れない一方、和人の秘書でもある白石鈴という恋人がいた。この日、晩の食事を作るという璃子のとこへ白石が現れる。璃子はさりげなく帰るが、白石は以前から宗一郎から会社の株の半分を譲渡してもらうという話があった。それは結婚に絡めてのことでもあった。

 

ところが後日、宗一郎が会社に行くと和人が突然取締役会を開くといい、その場で、宗一郎が開発したロボットの権利をマネックスという会社に譲渡して傘下に入る案を提案する。そして、白石も先日宗一郎から株式を譲られていたことから決定権を持つことになり、しかも和人に賛成をする。

 

裏切られたと考えた宗一郎は、自分の研究所へ急ぐが、時すでに遅く、全ての資料は持ち去られていた。落胆する宗一郎だが、先日見つけたコールドスリープの案内を見つけ、30年後までコールドスリープする事を決意し、手持ちの株を璃子に将来譲るという契約と、30年のコールドスリープ契約をする。ところが、自暴自棄でアルコールが入っていた宗一郎は、その日コールドスリープに入れず翌日に持ち越すことになる。少し冷静になった宗一郎は、マスコミを使って今回の事を公にし和人の会社の信用を失墜させるという考えを思いつき、和人の家にやって来る。

 

その少し前、たまたま和人の家に戻ってきた璃子は和人と白石が、今回の計画の今後を話しているのを聞き、慌てて宗一郎の研究所へ向かう。璃子に話を聞かれた和人は璃子を追う。そこへ宗一郎がやってきて白石に詰め寄るが、白石は和人が普段使っていた糖尿病のインシュリン注射を宗一郎に打ち、気を失わせる。宗一郎の持っていた鞄を開けるとピートが入っていて、白石はピートに引っかかれる。さらに宗一郎が乗ってきたトラックは何者かが運転して去っていく。

 

一方、宗一郎の研究所に着いた璃子の前にトラックが止まり、中から誰かが出て来る。そんな頃、宗一郎は白石が以前勤めていたマネックス系列のコールドスリープ会社の施設で無理やりコールドスリープさせられてしまう。

 

そして時は30年後、2025年、コールドスリープの会社アラジンで目覚めた宗一郎は、璃子に渡したはずの株券の行方などを追うために施設を抜け出そうとするが、そこへ、ヒューマノイドのピートが現れる。それは宗一郎が開発したロボットの発展型だった。

 

宗一郎は、コールドスリープの間何度も連絡があった住所へ行ってみると、そこには落ちぶれた白石の姿があった。あれから和人は病気で亡くなり、会社は吸収され、マネックス経理不正で倒産したのだという。さらに璃子も宗一郎の研究所の爆発事故で死んだと知らされる。

 

宗一郎は璃子に渡すはずだった株券の行方を探し、坪井強太という経営者にたどり着く。彼は子供の頃、宗一郎に実家の食堂で会ったと言う。そして宗一郎は遠井教授という人に会いに行ったと言う。しかも、株券は佐藤太郎という弁理士が管理し、佐藤には佐藤璃子という娘もいることがわかる。

 

遠井教授は空間移動の研究の第一人者だったが、30年前、研究費を横領して大学を追い出されたのだと言う。しかし、遠井教授は、空間移動の研究からある装置を完成させていた。宗一郎は今の遠井教授を見つけ会いに行くが、なんとそこにはタイムマシンがあった。そして、かつて宗一郎から譲られた巨額の研究費もあり、遠井教授はその研究費を持って宗一郎に30年前に行くように言う。そしてタイムマシンが起動、ヒューマノイドのピートも飛び込んで二人は30年前に遡る。

 

宗一郎は佐藤太郎の元を訪ね、遠井教授に資金を託し、ヒューマノイドとプラズマ蓄電池の設計図を完成し、白石に眠らされた日の和人の家で猫のピートを助け、和人に奪われるはずだった当時の研究資料を奪還、宗一郎の研究所にきた璃子を佐藤太郎の養女として預け、璃子を育ててもらう代わりに、佐藤太郎にヒューマノイドとプラズマ蓄電池を製造する会社の社長となってもらう。佐藤は会社名をアラジンとすることに決める。

 

そして宗一郎は、再度コールドスリープには入り30年が経つ。目覚めるとそこに佐藤太郎からの手紙があり、璃子は大学で研究者となり立派になった旨が書かれていた。そして最後に、璃子は20年前にコールドスリープに入ったと書かれていた。宗一郎は璃子が目覚める場へ駆けつけ二人のは手をとって映画は終わっていく。

 

原作を読んだのは少し前なのですが、物語の展開はほとんど今回の映画の流れと同じだったと思います。無難に映画化したと言われればそれまでですが、原作の味を損なうことなく映画として完成していたと思うし、原作の持つ詩的な部分を担うピートという猫の存在もちゃんと描けていたと思う。若干、脚本に穴はあるものの、ラストの畳み掛けも上手いし、素直に感動してしまいました。

映画感想「ピーターラビット2バーナバスの誘惑」「海辺の家族たち」「1秒先の彼女」

ピーターラビット2 バーナバスの誘惑」

エピソードを詰め込みすぎたのか、前作よりテンポが悪くなって、せっかくの見せ場がぼやけてしまって、ピーターラビットたちの大活躍に引き込まれきれなかった。面白いことは面白かったけど、普通でした。監督はウィル・グラック

 

ビアとマグレガーの結婚式から物語は始まる。結婚後何かにつけ父親ヅラするマグレガー。ピーターを目の敵にしているが、ピーターの行動がさらに裏目に出ていく。そんな時、ビアの本が有名出版社の編集者の目に留まり、出版社へでむこことになる。マグレガーたちと一緒にピーターたちも同伴する。そこでピーターは、父の友人で今はアウトローな生き方をしているバーナバスに会う。

 

どこか疑問を抱いていたピーターはバーナバスの誘いに乗って、悪の道へ進む。田舎からかつての仲間を連れてきて、バーナバスの大仕事に加担する。一方ビアは出版社の宣伝戦略に踊らされ始め、マグレガーはそんなビアが心配になり始める。

 

バーナバスとピーターらは、市場での大仕事を成功させるが、実はバーナバスはピーターらを利用しただけだった。ピーターの友達はすべてペットショップに捕まり、売られてしまう。一方、ビアも編集者のやり方についていけなくなり、契約解消を申し出る。マグレガーとビアはピーターを助けて、ピーターの友達救出作戦を実行。

 

無事全員を助け出し、元の生活に戻り、マグレガーとビアの間にも赤ちゃんが生まれ、映画は終わっていく。ちょっと盛り込みすぎた感じの展開で、せっかくのピーターらの大暴れシーンがぼやけた感じです。でも面白かった。

 

「海辺の家族たち」

地味な話ですが、映像のクオリティはしっかりしてるし、群像劇的に描かれるエピソードのバランスもそれなりに上手く構成されている。終盤の展開は、やはりお国柄やなとは思いましたが、締めくくりもうまい。いい映画でした。監督はロベール・ゲディギャン。

 

海辺の別荘のベランダ、一人の老人が外を見ていてタバコを吸った直後倒れてしまう。この老人の息子アルマンと弟ジョゼフたちのところへ、女優をしているアンジェルが戻って来る。三人の父は倒れた後意識がないまま寝たきりになった。

 

物語は三人の兄弟とその周りの人々との物語を交互に描きながら展開していく。アンジェルに、地元の漁師バンジャマンが愛を告白したりする。アンジェルの一人娘は、この別荘へ預けていた時に海に落ちて死んだという過去があった。ジョセフにはヴェランシェという若い恋人がいた。近所に住む老夫婦の息子イヴァンがやってくる。

 

かつて賑やかだったこの別荘地も、次第に寂れ、住む人も減ってきていた。まもなくしてイヴァンの両親は自殺してしまう。アンジェルは、一度は断ったバンジャマンの告白を受け入れる。ヴェランシェは、イヴァンと親しくなる。ジョゼフは、年齢的にすでにヴェランシェと関係を続けることに限界を感じていた。

 

そんな時、移民が流れ着いたという情報と、軍人がうろつくようになる。しばらくしてアルマンとジョセフは、道の外れで三人の幼い子供を見つける。三人を保護し、食事も与える。やがて、ヴェランシェは帰っていく。アルマン、ジョセフ、アンジェルは、陸橋の下で、幼い頃にこだまで遊んだ思い出で、全員が声を出して、それまで喋らなかった移民の子供も声を出して映画は終わる。

 

悪くないが、最初人間関係が全く把握出来なかった。やはりフランス映画、こういう移民の問題も挿入しないといけないという感じがちょっとと思いましたが、良いの映画でした。

 

「1秒先の彼女」

ラブファンタジーという空気感のとっても素敵な映画でした。ちょっと、ネタを盛り込みすぎた気がしますが、その辺りをもう少しシンプルに整理したらもっと良かったかもしれません。でも、こういう時間テーマの使い方はありですね。ほのぼの感動しました。監督はチェン・ユーシュン。

 

映画が始まると、不思議な話の声が流れて、シャウチーが交番で、昨日が無くなったと届けにくる場面から映画は始まり。子供の頃から何をやってもワンテンポ早すぎる主人公のシャウチーは郵便局に勤めている。この日も隣の窓口の美人の同僚の恋話で盛り上がっている。シャウチーの窓口に毎日のように現れる一人の青年がいる。いつも決まって手紙を一通出すだけ。シャウチーは、仕事の帰り、公園でダンスを教えているリウという青年と知り合う。いかにもイケメンで爽やかなリウに一眼で惚れてしまうシャオチー。リウも満更でもなく、シャウチーに猛アタックしてきて、映画デートをすることになる。

 

その帰り、リウは、かつて過ごした施設にいる少女が移植手術が必要だなどという話をし、そのお金を稼ぐためにバレンタインデーで恋人同士がやるゲームで優勝しようと言う。すっかり盛り上がるシャオチー。家に帰れば、いつも聞くラジオ番組に今のラブラブ感を電話したりする。シャウチーの父親は、彼女が小さい時に、お菓子を買いに出たまま行方不明になった。

 

そして、バレンタインの日、シャウチーはいつものように出かけるが、何故かバレンタインデーは昨日だと言う。昨日一日が消えてしまったのだ。そして、いつものように窓口にいると、いつも来る男性が顔を腫らせてやって来る。そしていつもより重い封書を差し出す。なんのことかわからず家に帰ると、突然、箪笥の中からヤモリという妙な男が登場、人は忘れ物をするものだからと、シャウチーがこれまで無くしたと思っていたものを見せて来る。そこに、何故か、子供の頃に見かけた鍵もあった。

 

シャウチーがいつものように窓口にいると、私書箱を作りたいという客が来る。シャオチーが鍵を準備しようとして、それが、先日思い出した鍵だと気がつき、母の家に行って、子供の頃に見たカゴの中から鍵を見つける。一方、たまたま写真屋に自分の写真が飾られているのを発見する。

 

休暇を取ったシャウチーは、その鍵が開く私書箱がある郵便局を探し始める。そしてようやく見つけ、開いてみるとたくさんの手紙が出て来る。その中に、先日いつも窓口に来る男が出した封筒があり、中には写真がたくさん同封されていた。さらに、手書きの地図のようなものも見つける。その地図の通りに行ってみると、写真屋に飾られていた場所があった。

 

そして、たくさんの手紙の中にいつも郵便を出しにくる男はグアタイといい、彼のの最後の手紙を読む。グアタイは子供の頃、玉突き事故にあい、シャウチーと知り合ったのだという。病院に入院していたグアタイをシャウチーが励ましてくれたのだ。そしてシャウチーが先に退院する時、退院したら文通をしようと決める。しかし、私書箱を開いた場所がシャウチーの家から遠くなって、見に来ることもなくなる。

 

ところがグアタイが高校生の時、偶然シャウチーと再会する。そのあと何年かしてグアタイはバスの運転手になるが、シャウチーが郵便局に勤めていることを発見し、毎日手紙を出していた。

 

ある時、シャウチーがリウという青年と親しげにしているのを見かける。ところがリウは女たらしの男だった。それを知ったグアタイは、なんとか懲らしめようとするが、ある夜、自分のバスに乗ったリウが、以前騙して金を巻き上げた女の兄貴に脅される現場に出くわす。そこでリウは痛めつけられたので、グアタイもついでに痛めつけるが、元々、人より少しタイミングが遅かったので、自分の顔を腫らすほど殴られてしまう。その帰り、バスの中で眠ってしまったグアタイが目を覚ますと、周りの時間が止まっていた。グアタイは自分のバスを置いて、シャウチーが乗っているバスを見つけ、運転して、自分の子供時代の秘密基地の海岸へ向かう。

 

海岸でグアタイは止まったままのシャウチーと一日を過ごす。その帰り道、グアタイと同じように動いている男を乗せるが、なんとそれはシャウチーの父親だった。時間がゆっくり動いている人間は、時々時間が止まる日が現れるのだという。かつて家を出た時、そのまま自殺するつもりだったが、突然時間が止まったので思いとどまったのだという。男はシャウチーに語りかけ、グアタイに、自分は出て行く時に買う予定だった菓子を買ってくれるように頼んでバスを降りる。

 

グアタイはシャウチーを家に送り届け、最後にキスしようとするが躊躇い、手書きの地図と手紙を書いて、送るためにその場を後にする。外に出ると間も無く時間が動き始める。グアタイはシャウチーの郵便局に行き最後の手紙を出すが、その帰り、シャウチーの父に頼まれた菓子を買いに戻りかけてトラックにはねられる。

 

363日が経つ。全てを知ったシャウチーは、私書箱のある郵便局へ転勤を申し出、そこで働いていた。あれから手紙が来ない。そんなある時、松葉杖をついたグアタイがシャウチーの前に現れる。そして、頼まれていた菓子を渡す。こうして映画は終わっていきます。

 

もうちょっと整理してエピソードを削ったら、もっとテンポが良くなったと思いますが、それでも、映画としてはなかなか良かったです。ほんのり切なさと感動をもらいました。

 

 

 

 

映画感想「リカ 自称28歳の純愛モンスター」

「リカ 自称28歳の純愛モンスター」

テレビドラマの映画版なのですが、あまりにもリアリティのない雑な脚本と演出に、バカにされている気分の映画だった。荒唐無稽なのは構わないが、締めるべきは締めないと、適当感大爆発してしまう。まさにそんな典型だった。監督は松木創。

 

テレビドラマ部分の、雨宮リカが殺人を起こしてきた下りが簡単に描かれ、ラストで怪我を負って病院へ入院したが、看護師を殺して脱走、最後にストーカーしていた本間の家を訪ね、二人とも行方不明になったという経緯から物語が始まる。当時、本間の家に駆け込んだ新米刑事が、目、鼻、舌、耳、両手両足だけ残された現場を見て発狂、今は入院している。すでにその事件から3年が経っていた。

 

発狂した刑事の見舞いにいく奥山刑事は、その時の責任を感じ、リカを見つけ出すため捜査を続けている。奥山には婚約者で同じく刑事の青木孝子がいた。そんなある時、山中でスーツケースに詰められた死体が発見される。それは手足も、目、鼻、舌、耳のない死体で、本間だと断定される。人形として拉致していたリカが、本間が死んでしまったため捨てたものと捜査本部は結論する。

 

奥山は、リカが新たな恋人を探すはずだと、片っ端からマッチングアプリを登録して、上司には黙って個人的にリカを探し始める。別に個人でやらなくても、どうにでもできるだろうにというリアリティのなさから物語は流れていく。

 

やがて、奥山はリカと接触に成功、これまでの捜査資料から巧みに会うように仕向けていく。そして奥山の自宅で会うことを約束する。一方、孝子は、最近奥山と連絡がつかないことが心配で、この日、同僚と奥山のマンションへ行くことにする。

 

奥山のマンションにリカがやって来る。奥山は、油断しているリカに手錠をかけ、刑事だと名乗るが、リカはポケットに忍ばせていた注射器を奥山に刺す。なんともお粗末な刑事である。夜、奥山のマンションを訪れた孝子たちは、奥山が死んでいるのを発見。孝子は奥山がリカとの接触に使っていた携帯を使って奥山になりすまし、再度リカを呼び出すことに成功する。

 

待ち合わせの倉庫にやってきたリカに大勢の刑事たちが取り囲む。しかし、突然リカは人間離れしたスピードで逃げ出し、刑事たちは見失ってしまう。どんな刑事たちやと、呆気に取られてしまう展開。と、突然一人になった孝子の前にリカが現れるのだが、あれ?他の刑事どこ行ったの?という感じである。さらに、リカは飛ぶように倉庫の屋根まで飛び上がるし、壁は這い登るし、もう荒唐無稽な化け物の姿を現す。孝子が発砲するも射止められず、にもかかわらず他の刑事は誰も戻ってこないので、結局、孝子はリカに注射されて拉致される。全く笑い話である。素人映画でもここまで適当にやらないだろうに。

 

リカの部屋で縛られている孝子に、メスを持ったリカが迫る。そして片目を刺し、続いて拳銃を突き付けようとしたところへ、孝子の同僚が駆けつける。そして、奥山のスマホの音声を流してリカが気を緩めたタイミングで発砲しリカを倒す。え?他の大勢の刑事どこいった?

 

で、一件落着して、リカは入院。一方孝子はおかしくなったのか、リカと同じように奥山の人形を置いて、食事をしている。ベッドのリカが突然意識を取り戻すというお決まりのラストで映画は終わる。

 

リカが人間離れした動きをするのは構わないが、警察の描き方がいかにも雑でリアリティがない。出演者が忙しくてスケジュールが合わず、あれだけしか撮れなかったのかと思わせるほどに、適当感満載で、いったい観客を馬鹿にしているのかと思った。最低映画の一本でした。

映画感想「クリシャ」「青葉家のテーブル」

「クリシャ」

未来の希望もない殺伐とした映画ですが、カット割りと編集だけで主人公の心の葛藤を映像化していく手腕はなかなかのもので、インディーズ映画としては秀作の部類に入る一本でした。監督はトレイ・エドワード・シュルツ。

 

老婆のような女性のアップから映画は始まる。どうやら主人公のクリシャの姿のようで、彼女は姉に招待され、家族や母の集まるホームパーティーに誘われ、やって来る。そしてタイトル。

 

クリシャを迎えた妹の夫や家族などなど。しかし、どこか彼女への態度が冷たく見える。延々とした長回しだが、それがかえって不気味であるし、耳障りなほどの音響効果と、異常に増幅された人々の会話、さらに嫌悪感を催す生活音で見ている私たちも不安になるが、それはクリシャが耳で聞く音を再現している。彼女はアルコールとドラッグ依存でかつてかなり迷惑をかけたようである。

 

息子のトレイさえもクリシャを恐れ、今は姉の元で生活している。アルコールを絶ってやってきたクリシャだが、母も彼女のことが分からず、姉の夫もクリシャへの態度はどこかおかしい。七面鳥でしょうか、オーブンで焼くためにクリシャが一人頑張り、オーブンへ入れたもののキッチンタイマーの場所を忘れてしまう。さらに、家族があちこちで話す言葉に異常なくらいに神経質になっていく。

 

そしてとうとう、彼女は隠し持っていたアルコールを飲んでしまう。酔っ払ったままオーブンから七面鳥を出して落としてしまい料理を台無しにしてしまう。非難を浴びる中、必死で擁護する姉は二階へ彼女を連れて行き、切々と説教する。しかし、耐えられなくなっていくクリシャはついにアルコールをさらに飲み、ドラッグにも手を出してしまう。そして、壊れたまま一階へ降りたクリシャは家族の前で悪態をつき、暴れ、男たちに追い出されて映画は終わっていく。

 

クリシャが自分を失っていく中に、かつての幸せだった頃の映像や写真が被り、家族の姿を思い出し、悲しさの中にも自分でどうしようもなく壊れていく情けなさを細かいカット編集で描いていく。結局切ないラストシーンとなるのですが、果たしてクリシャがこの後どうなるのかは全く見えない。

 

綱渡りのようにシラフに戻った主人公が、些細なことの積み重ねから一気に壊れて行く様を映像表現だけで見せる手腕は評価されただけのことはあります。先日見たこの監督の2本のサスペンスはなんとも言えない出来栄えで参りましたが、このデビュー作だけを見れば、才能はあるのかもしれません。

 

「青葉家のテーブル」

たわいのないほのぼのした作品ですが、好きですねこういう映画。決して、名作とか傑作とかのジャンルに入らないかもしれないけれど、肩の力がスッと抜けた空気感が全編覆っていく感じが本当に見ていて楽しい。配信ドラマの映画版ということですが、良い映画を見た気がします。監督は松本壮史

 

青葉春子のシェアハウスに、友人の知世の娘優子がやって来るところから映画は始まる。出迎えたのは中学生のリク。優子は夏休み、美大受験のための夏期講習のため、二週間居候にやってきた。優子の母知世はカリスマ食堂の店主でテレビなどにも引っ張りだこの有名人だった。シェアハウスの同居人ソラオは、子供向け番組の脚本なども書いている作家で、タコスにハマっている。

 

映画は、優子の夏期講習の場での出会いを中心に、母知世へのさりげない嫉妬、さらに、中学バンドをしているリクが、お寺の本堂で練習して、チョコスリというグループの再結成ライブの懸賞に向けての練習をするエピソード、さらに、若い頃、一緒に食堂をしようと決めていた春子と知世だが、春子がためらったために20年間疎遠になっているエピソードを絡めながらほのぼのと展開していく。

 

優子は夏期講習で出会った国立の美大志望の少女与田との出会い、さらに、デザイン事務所でインターンで働く高校生の瀬尾らとの関係を通じて、自分の目指したいものを探す物語。一方、春子は20年来の確執を払拭するため知世に会いに行き、意気投合して、懐かしい若き日の夢を語りながら、次第に優子の物語とかぶっていく流れ。リクはせっかく作ったデモテープをすんでのところで応募せず、メンバーに謝るエピソードなどを描きながら、次第に、人生の目標や夢の物語で統一されていく。

 

友人もでき、母とも溝がなくなった優子は、夏休みも終わり帰っていく。優子は、若き日の夢の食堂経営を始めてみようかとつぶやく、ソラオの脚本にはついにタコスが登場する。リクはメンバーとまた活動を始める。それぞれがそれぞれに新たに前を向いて進んで行って映画は終わる。

 

たわいない、本当にこれという仰々しさなど全くないけれど、肩肘張らずにのんびり見れるし、自分の今をさりげなく振り返ってみたりもできる。その意味で、とっても良い映画を見たなという感じで劇場をでました。

 

 

映画感想「藍に響け」「アメイジング・グレイス アレサ・フランクリン」「逃げた女」

「藍に響け」

もっと軽いタッチの映画かと思っていたら、なかなかしっかりと作られた見応えのある佳作でした。映画の視点が順番に人物を移っていく演出が実に見事で、脚本がしっかり描かれているというのも好感、ありきたりの展開を挿入せず、一つ一つ丁寧に描いていったのが結果として綺麗にまとまったのでしょう。監督は奥秋泰男。

 

夜、寄せる波、浜辺でバレエシューズを燃やしている一人の高校生環の姿から映画は幕を開ける。お嬢様学校に通う環はこの日も友達と洒落た店でお茶を飲んでいる。しかし、帰り、彼女は一人でスーパーのバイトへ行った。父の会社が倒産し、母と二人暮らしになった環は目指していたバレエを諦め、母の助けにとバイトを始めたのだ。

 

そんな環は学校帰り、ある建物からの音が気になり立ち寄ってみる。そこには和太鼓を叩くマリアの姿があった。彼女は事故で発声ができなくなっていた。なんとなく立ち寄った環にマリアは親しく話しかける。

 

環はバレエを諦めたことで、行き先を見失っていた。マリアに誘われた和太鼓に舞台を見て、そこで高校生の江森司が演じている姿を見て感銘を受ける。さらに和太鼓に興味を持った環はマリアの熱心な勧誘で環は和太鼓部に入ることにする。しかし、何もかもに嫌気がさしている環はなかなか馴染めない。そんな環をマリアが必死で引き込もうとしていく。マリアはリハビリで声を取り戻しのが夢だと語る。

 

ようやく、部の中に溶け込んだ環だが、楽しむだけで適当にやっている他の部員の姿が物足りなかった。そして、かつて有名校を率いていて今は教師となっているマリアの母代わりの先生をなんとか顧問に引き入れることに成功する。一方で、マリアはリハビリもうまく進まず、最近は自暴自棄になりかけていた。そんな中、ストイックに練習する環は次第に部の中で浮き始める。

 

部内がバラバラになりかける中、先生は地元にイベントに参加することを提案するが、その舞台で演奏がバラバラになり大失敗をしてしまう。落ち込む環を庇うマリアに厳しい声がかかり、マリアは傷ついて飛び出してしまう。しかし、今度は環がマリアに声をかける。この流れが実に上手い。さらに、マリアに厳しい言葉を投げた部員をうまく宥める部長で司の妹への視点の変化も上手い。

 

環はマリアを浜辺で問い詰め、友として叱咤する。そして取っ組み合いをし、汚れたまま部室に来た二人は共に太鼓を叩く。翌朝、環もマリアも部室に現れる。やがて地区の選考会、見事にまとまった環らの部員たちの演奏、そして演奏が終わり、舞台を去り際に、マリアが環に「ありがとう」と、片言で声をかけて映画は終わる。このラストも良い。

 

決して大傑作ではないけれど、映画全体がしっかりと地に足がついている。登場人物への視点の一つ一つが丁寧でそれでいて、偏らず、上手いタイミングで物語の流れの中で移っていく。上手いという他ない佳作でした。

 

アメイジング・グレイス アレサ・フランクリン

1972年、ロサンゼルスの教会で行われたアレサ・フランクリンのライブを収録したドキュメンタリー。テレビ放映予定でしたが、技術的に敵わなかったらしいが映画として公開となった。監督はシドニー・ポラック

 

二夜にわたって行われた映像で、第一夜は若干定位置で映像が流れるが第二夜はクローズアップを使ったり、カメラが映画的に動き出すというリズムを生み出している。もちろん主人公はアレサ・フランクリンの歌声なので、その透き通るような歌声に酔いしれてしまいます。

 

ドキュメンタリーなので、見えたままがそのまま映画なのですが、こういう貴重なフィルムを見れたことはそれだけで値打ちの時間だった気がします

 

「逃げた女」

フィックスカメラで延々と長回しで撮る映像と、行間を読むことで物語を見ていく淡々とした展開は、やはり個性的。今回、どこか不思議な空気感は最後まで漂ってこなかったけれど、洗練された映像感覚はやはり独特の世界です。監督はホン・サンス

 

一人の女性ヨンスンが家庭菜園でしょうか、畑にいると一人の女性が、これから就活に行くという。ヨンスンのところへ後輩のガミが訪ねてくる。ガミの夫が出張で数日留守なので、結婚して5年一度も離れたことがないのに一人になったと言ってやってきた。

 

焼肉を焼いて目一杯食事をするヨンスンとガミ。ヨンスンはバツイチであった。同居人なのか一人の小柄な女性と三人で話をする。近所へ越してきたという男性が、野良猫に餌をやらないでほしいと訪ねてくる。

 

ヨンスンの家を後にしたガミは気楽な独身生活をするスヨン先輩を訪ねてくる。ここでも、ガミの夫が口癖にしている「愛する人同士は何があっても一緒にいるべき」と言うのを話す。スヨンの部屋の上の階に先日飲み屋で知り合った既婚の男性が住んでいるという。スヨンは満更でもないというような話をする。そこへ、一夜を過ごしたゆきずりの男が訪ねてくる。執拗に部屋に入れてほしいというのを断るスヨン

 

スヨンの家を後にしたガミは、カフェと映画館、劇場の支配人をしている旧友のウジンのところへやってくる。ウジンはことあるごとにガミに謝るところから二人の間には何かありそうだが具体的にはわからない。地下の劇場でチョン先生という人がいて、喫煙所で出会ったガミはどこか居心地悪そうで、そそくさと離れる。ここでも何か過去があるようだが具体的に描かれない。ガミは劇場の中に再度入り、スクリーンを眺めている。海岸の風景、そこへエンドクレジットが流れて映画は終わる。

 

行く先々で、それぞれの女性、さらにガミの過去に何かあるような会話が繰り返され、ガミが窓を開けると次の家に向かう展開となる。必ず男性が登場し、しかも、そのどれもがどこか癖を隠した姿で、女同士の会話の中の何某かの不満や本音を体現しているようにも見える。動きの少ないカメラワーク、繰り返されるシーン、そして長回し、まさにホン・サンスの世界であるが、今回は今ひとつ迫るもにはなかった。

映画感想「モータルコンバット」(2021)「ヒノマルソウル 舞台裏の英雄たち」「ザ・ファブル 殺さない殺し屋」

モータルコンバット

旧作もスケールの小さかった印象があったが、今回の作品も、話の割には全体のスケールがこじんまりとしていたのは残念。ただ、CGなどの発展によってそれなりに格闘シーンは面白かったから良いとしましょう。監督はサイモン・マッコイド。

 

時は17世紀の初め、ハンゾウの屋敷から映画は始まる。家族とともに普通に暮らしハンゾウたちだったが、ハンゾウが水を汲みに家を離れた隙に魔物が襲いかかり、妻と息子を殺してしまう。慌てて戻ったハンゾウだが、現れたビ・ハン=サブ・ゼロとの一騎打ちに敗れ殺されてしまう。ハンゾウは地獄の煉獄へと姿を消してしまう。しかし妻の機転で赤ん坊が地下に隠されていた。人間の守護神ライデンはその赤ん坊を救出し姿を消す。

 

時が経つ。一人の格闘家コールはこの日も戦っては負けていた。実は彼はハンゾウの血を引く末裔だった。ハンゾウの血統を根絶やしにすることを目的にしていたサブ・ゼロはコールに襲いかかるが、駆けつけたジャックスに助けられる。魔界神シャンが率いる魔物たちは人間界の戦士とモータルコンバットという格闘で勝利を挙げ人類を征服しようとしていた。

 

コールはジャックスの進言で、ソニアと呼ばれる女性戦士の元を訪れる。魔物との戦いのためライデンの元で訓練をする必要があった。ライデンの神殿の場所を知るというカノウとともにソニアたちは神殿を目指す。やがてライデンの神殿に到着、訓練を始めるが、シャン率いる魔物が襲いかかってくる。

 

カノウは裏切ってシャンの下に走るが、次第に覚醒してきたコールたちは攻めてくる魔物を迎え撃つ。ソニアは選ばれた戦士ではなかったが、裏切り者カノウを倒して竜の刺青を引き継ぐ。家族がサブ・ゼロによって捕らえられたコールはサブ・ゼロに戦いを挑む。そこへ、冥界からハンゾウが蘇り、二人でサブ・ゼロを倒す。他の魔物も人間界の戦士が次々と倒してしまう。

 

こうしてシャンの画策は失敗に終わるが戦いは終わりではなかった。こうして映画は終わっていきますが、意外とサブ・ゼロがあっさり負けてしまうのはちょっと残念。ハンゾウを演じた真田広之にクライマックスの見せ場を用意してくれたのはよかった。

 

「ヒノマルソウル 舞台裏の英雄たち」

安直な脚本で、簡単に作った感のある映画ですが、スポーツ物はラストは自然と感動を生むので、まあ楽に仕上げたという一本でした。長野五輪で、スキージャンプで団体金に貢献したとされるテストジャンパーたちの実話に基づいた作品です。監督は飯塚健

 

リレハンメル冬季五輪、金メダル確実かと思われたスキージャンプ団体戦で、原田の失速によって銀メダルに終わった場面から映画は始まる。世間の失望を一心に受けたメンバーは、長野五輪で雪辱を晴らすべく練習を続けるが、メンバーの一人西方は腰の故障からジャンプに失敗し大怪我をしてしまう。必死でリハビリをして選考に選ばれるべくチャレンジするが、結局西方は選ばれなかった。

 

落胆する西方に、テストジャンパーで参加してほしいと依頼が来る。最初は全く乗り気がなかったが、渋々引き受け、やがて長野オリンピックが幕を開ける。物語はメンバー二十五人の一部のメンバーの人間ドラマをかいつまみながら、やがて、ジャンプ団体戦、悪天候でテストジャンパー全員のテストジャンプ成功を条件に試合再開が実現する下りとなる。

 

メンバー全員が覚悟を決め、日本に金メダルを取らせるためテストジャンプが始まるのがクライマックスとなる。実話なので、結果は見えているのですが、やはりスポーツ物は単純に胸が熱くなって行くから不思議です。

 

そして悲願の団体金メダルが決まり、西方もスキージャンプを続けることを決心して映画は終わる。たわいのない映画ですがスクリーンで見ればそれはそれで見応えが生まれるから不思議です。作品としては普通の映画でした。

 

ザ・ファブル 殺さない殺し屋」

普通に面白かった。シンプルなストーリーだし、そもそもコミカルなテイストを持ったアクションなので肩は凝らない。今回のアクションシーンもなかなかこっていて頑張ってるし、カメラワークも楽しめる作品になってました。監督は江口カン

 

四年前、売春組織の幹部らしい人物を次々と殺して行くファブルの姿から映画は始まる。最後一人の男を殺すのだが、死んだ拍子にアクセルを踏みっぱなしになり、その車に乗っていた一人の少女を助けるべく巧みに車を誘導、なんとか少女を救い出しファブルが身を挺して落下して助ける。そして物語は現代へ。

 

子供を守ることをスローガンにしているNPO団体代表の宇津帆はこの日大勢のファンの前で公演し、裏ではいかにも胡散臭そうな仲間と何やら汚れた仕事をしていた。仲間はプロの殺し屋鈴木、車椅子の少女ヒナコ、らだった。ヒナコは公園の鉄棒で足のリハビリをしていたがその場をファブル=佐藤が見かけてアドバイスする。実はヒナコは冒頭でファブルがすんでのところで助けた少女だった。彼女はあの事故で足が不自由になり、両親も惨殺され、宇津帆に保護されていたが、実は宇津帆は売春組織のメンバーでもあった。しかも宇津帆はヒナコに性的虐待を繰り返していた。宇津帆のキャラクターがいかにも小物で、しかも仲間も頼りない上にそれほどキャラクターが立っていないので、少々物足りない展開が続く。

 

たまたま、仕上がったチラシを届けに行った佐藤はそこで宇津帆と出会う。なんとそれは四年前ターゲットにしていた男たちの一人で、この男だけ殺していなかった。四年前、ヒナコを乗せていた車の運転手の男は宇津帆の弟で、以来ファビルを仇として探していた。

 

そんな時、佐藤が務める店の同僚の男性を拉致して金にしようと宇津帆が計画を練る。拉致されるところを目撃した佐藤は鈴木に24時間以内に返せと脅すが、宇津帆の仲間は、拉致した後、誤って殺してしまった。鈴木は佐藤に異様なものを感じ、その住処を探すうちに、妹として暮らすヨウコの部屋を見つける。しかし、その部屋へ行ったもののヨウコに返り討ちにされ拉致される。戻ってきた佐藤は鈴木を釈放してやるが、彼こそファブルだと鈴木は宇津帆に伝える。かなり強引な展開である。

 

宇津帆は佐藤に復讐をするべく計画を立て、ファブル=佐藤を呼び出す。ここからの派手なアクションシーンは、スローモーションや細かい編集で繋いでいるところもあるもののなかなか面白い。逃げた宇津帆らを追ってヨウコが向かうが途中で捕まってしまう。宇津帆はヒナコにヨウコを撃つように命令するがヒナコは宇津帆を撃つ。宇津帆は防弾チョッキを着ていたので問題なかったが、そこへファブルが駆けつける。ところが、宇津帆が仕掛けた地雷をヒナコが踏んでしまう。ファブルは鈴木にユンボを持って来させ、タイミングを測ってヒナコを助ける。しかし、宇津帆は、自ら撃ち殺すように仕向ける仕草をし鈴木に殺される。この宇津帆の心理状態が全く描写されていない。まさに、適当に作った感満載の場面。

 

死体を埋めて、物語は終焉に向かう。ヒナコは、佐藤のアドバイスを守って半年後には歩けるようになるという内容の手紙を佐藤に託す。こうして映画は終わっていきます。

 

毎度のことながら、めちゃくちゃ強いけれどとぼけたキャラクターのファブルに楽しませてもらえるし、アクションシーンも飽きずに見れるし、悪人側が弱いので映画が膨らんでこない上に、悪人たちの人間描写ができていないために話がペラペラになってますが、2時間以上全然退屈しなかったのでいいとしましょう。

映画感想「RUN/ラン」「グリード ファストファッション帝国の真実」「クワイエット・プレイス 破られた沈黙」

「RUN/ラン」

なんの工夫もない普通のB級サイコスリラーでした。今更というサイコママが登場して、執拗に子供を可愛がるがそれがそれが異常という展開に新しさはなく、B級ならもっと思い切って斬新なことをすれば面白いのになんの変哲もなかった。監督はアニーシュ・チャガンティ

 

未熟児の新生児の蘇生処置がされている場面から映画は始まり、母親らしき人がやってくる。そしてなんとか保育器の中で呼吸している風な新生児だが次の瞬間カットが変わり、さまざまな病気の症状のテロップ、画面が出るとその症状を持つ主人公クロエのシーンとなる。

 

大学進学希望している彼女は日々合格通知を待っている。喘息で皮膚にも疾患があり糖尿、かつ両足が不自由で車椅子生活をしている。母のダイアンは献身的に世話をしているが、いかにもおかしいのが最初から見え見えである。

 

ある時、クロエに新しい薬が加わる。気にせず飲んでいたが、たまたまスーパーの袋を開けた時に薬の名前が母親宛になっていたので不審を抱く。なんとか調べようとするもネットも繋がらない。そこで、映画に観にいきたいと母を誘い、飲まずに貯めていたグリーンカプセルを手に町へ行く。そして母の目を盗んで薬局に駆け込み、それが動物用の筋弛緩剤だとわかるが駆けつけた母に注射され意識を失う。

 

翌朝気がつくと、クロエは部屋に監禁されていた。なんとか窓から脱出し、自室のドアを開けて車椅子で降りようとして階段の昇降機が壊されているのを発見、転がり落ちるように落ちたが、その時足が少し動くことに気がつく。

 

車椅子で脱出し、通りかかった宅急便の配達員トムに助けを求めるが、帰ってきたダイアンはトムに注射をして再度クロエを拉致し地下室へ閉じ込める。地下室でクロエは、ダイアンの新生児は生後間も無く死んだこと、幼児誘拐されたという新聞記事を発見、自分は誘拐されたと知る。ダイアンが入ってくるがクロエは物置に逃げ、劇薬を飲んでダイアンに無理やり救急車を呼ばせて病院へ逃げる。ところが、隙を見て母に再度拉致され、病院を逃げ出そうとするがエスカレーターの上でクロエは足を踏ん張りダイアンの動きを阻止する。そこへ駆けつけた警備員にダイアンは撃たれてエスカレーターから落ちる。

 

七年が経つ。クロエはほとんど足が治ったもののまだ車椅子だった。ダイアンが収容されている施設へ行ったクロエは口の中に隠していた薬を吐き出して、またお薬の時間よ、と母に飲ませようとして映画は終わる。

 

これという斬新なシーンもなく、こうだろうなという展開で普通にラストまで流れて行くサイコサスペンスで、もう一工夫しても良かったんじゃないかと思う映画でした。

 

「グリード ファストファッション帝国の真実」

金を儲けることしか頭にない一人のファストファッション界の経営者の半生をブラックユーモアで塗り固めて描いたなかなかの秀作。さまざまなメッセージを織り込んだ物語の積み重ねが実に面白いし、主人公を徹底的にデフォルメした演出も見事、映画のテンポも良いし作品のレベルはなかなか高い一本でした。監督はマイケル・ウィンターボトム

 

ファストファッションブランドのモンダの貢献者を表彰する社内パーティで映画は幕を開ける。そして、生み出された巨額の利益の配当は社長リチャードの妻サマンサへ送られてカットが変わる。

 

六十歳の誕生パーティをギリシャのミコノス島の海岸にローマのコロッセウムを作って行うという企画が進んでいた。リチャードの伝記を書くために呼ばれたニックが、リチャードの過去を語りながら、物語は誕生パーティの五日前に戻る。コロッセウムのセット製作が進まない中、さまざまな物語が展開して行く。

 

リアルストーリーを映画に仕上げるために撮影している場面、海岸に不法に居住している難民たちの物語、母がリチャードの異常な値切り行為の犠牲になった末に死んでしまったが、リチャードの下で今は働くアマンダの姿、などを現代の流れとし、リチャードがいかに強引に値切りながら経費を徹底的に抑えて、さまざまなブランドを買収しては潰しながら成長して行く姿を描く。スリランカやミヤンマーの縫製工場にぎりぎりの賃金で仕事をさせるリチャードの姿も次々と描く。

 

さらに、彼が買収したM &Jの倒産事件で裁判になっている法廷シーンを交えながら、次第にパーティの日当日へと流れて行く。コロッセウムのセット、当日は全員ローマの衣装を着て、さらにライオンも檻に準備してグラディエーターの再現も計画されている。トップスターをオファーするも金が高いと文句を言ったリチャードに、そっくりさんを呼ぶことでまとまって行くくだりも面白い。

 

やがてパーティ本番の夜、エキストラのように雇った難民の子供たちが勝手に食器を盗み始めたり、食堂で勝手に食事をして騒動を起こしながらも、パーティは進んでいく。どうにも元気が出ないライオンだが、酔った客がライオンの餌にドラッグをまぶしてしまう。一方、パーティに疲れたリチャードがコロッセウムに入り、ライオンに蘊蓄を垂れ始める。興奮したライオンとリチャードが対峙するのを見ていたアマンダは、ライオンの檻をあける。その様子をニックは黙認する。それは、誰もがリチャードに抱く気持ちの総意でもあるかのようだった。飛び出したライオンはリチャードに襲いかかりリチャードは食い殺されてしまう。

 

リチャードの息子フィンが後を継ぐが、彼もまた狂った様に、金の亡者だった。ニックが書いた伝記は大ベストセラーとなる。ニックはアマンダの家を訪ねる。彼女はまた新しい縫製工場に勤めていた。縫製工場で働くアマンダたちの場面にABBAの「マネーマネーマネー」が流れて映画は終わる。まさにブラックだ。

 

なかなかクオリティの高い作品で、移民問題や第三国の労働者の搾取など様々な問題をブラックユーモアで包み込んで描いた表現力は見事なものです。中身の深い作品を堪能いたしました。

 

クワイエット・プレイス 破られた沈黙」

脚本の甘さは今回も同様で、連続ドラマの様な様相を呈してきた感じで、エピソードが小さくなってきたのがなんとも残念ですが、まあ面白かったから良いとしましょう。監督はジョン・クラシンスキー。

 

人気のない街に一台の車が入ってくる。乗っているのはリーで、これから息子マーカスの野球の応援に出かけるべく買い出しをしにきたのだ。町中が少年野球を見ている風で、娘で耳の悪いリーガンと妻のエヴリンも来ていた。友人のエメットも応援していたが、突然空に何やら落下してくるのを見つける。その場の人たちは、異常事態だと避難を始めるが、突然正体不明の化物が街を襲う。リーは子供らを連れて逃げるが、何故か音を立ててはいけないのをみんなが知っているという?の流れから物語は約1年半後へ。

 

生存者を求めてサバイバルを続けるエヴリン、マーカス、リーガン。この日、新たな灯を見つけてなんとかたどり着くがそこにはエメットが一人で暮らしていた。その住まいに入る時に、仕掛けていた罠にマーカスは足を挟まれ怪我をしてしまう。なんとかエメットの隠れ場所で夜を明かすが、持ち歩いているラジオから音楽が聞こえてきて、生存者が他にもいると判断する。

 

一方リーガンは化け物の動きを止める補聴器から出る雑音をそのラジオに流せないかと考え、ラジオの発信局が少し離れたところの島からだと突き止めて、一人で隠れ家を出て行く。エヴリンに頼まれ、リーガンを連れ戻すためにエメットが向かう。エヴリンは、マーカスの傷の手当てのために薬を調達に町へ行く。マーカスは赤ん坊と留守番をするが、何故かマーカスは勝手に隠れ家の中を物色し、音を出してしまって化け物に気づかれる。例によってとってつけた様なピンチな展開。

 

エメットは、リーガンが化け物に襲われているところに駆けつけ、リーガンを助け、リーガンに説得されて、島へ向かうことにする。港で船を探しているところで、エゴの塊の集団に襲われるが、エメットの機転で化け物を使って脱出。なんとあの化け物は泳げないのだ。

 

島に辿り着いたエメットとリーガンは島の避難民の一人に、リーガンの作戦を実行してもらうように頼み了承される。にもかかわらず、すぐにやらないので、たまたま流れ着いたボートに隠れていた化け物が島を襲ってピンチになる。化け物を誘き寄せながらエメットとリーガンは車で放送施設のある建物へ向かう。そして、あわやというところで雑音をスピーカーに乗せて化け物の動きを止め、退治する。

 

そんな頃、化け物に追い詰められたエヴリンたちもピンチになっていたが、ラジオから流れてきた雑音を化け物に向けて、マーカスが化け物を撃ち殺して退治する。こうして映画は終わるが、一体この家族は食べ物をどうしていたのか?そのあたりの描写が全くないのはなんとも不思議。前作同様、かなり雑な脚本ですが、まあ面白かった。