くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「藍に響け」「アメイジング・グレイス アレサ・フランクリン」「逃げた女」

「藍に響け」

もっと軽いタッチの映画かと思っていたら、なかなかしっかりと作られた見応えのある佳作でした。映画の視点が順番に人物を移っていく演出が実に見事で、脚本がしっかり描かれているというのも好感、ありきたりの展開を挿入せず、一つ一つ丁寧に描いていったのが結果として綺麗にまとまったのでしょう。監督は奥秋泰男。

 

夜、寄せる波、浜辺でバレエシューズを燃やしている一人の高校生環の姿から映画は幕を開ける。お嬢様学校に通う環はこの日も友達と洒落た店でお茶を飲んでいる。しかし、帰り、彼女は一人でスーパーのバイトへ行った。父の会社が倒産し、母と二人暮らしになった環は目指していたバレエを諦め、母の助けにとバイトを始めたのだ。

 

そんな環は学校帰り、ある建物からの音が気になり立ち寄ってみる。そこには和太鼓を叩くマリアの姿があった。彼女は事故で発声ができなくなっていた。なんとなく立ち寄った環にマリアは親しく話しかける。

 

環はバレエを諦めたことで、行き先を見失っていた。マリアに誘われた和太鼓に舞台を見て、そこで高校生の江森司が演じている姿を見て感銘を受ける。さらに和太鼓に興味を持った環はマリアの熱心な勧誘で環は和太鼓部に入ることにする。しかし、何もかもに嫌気がさしている環はなかなか馴染めない。そんな環をマリアが必死で引き込もうとしていく。マリアはリハビリで声を取り戻しのが夢だと語る。

 

ようやく、部の中に溶け込んだ環だが、楽しむだけで適当にやっている他の部員の姿が物足りなかった。そして、かつて有名校を率いていて今は教師となっているマリアの母代わりの先生をなんとか顧問に引き入れることに成功する。一方で、マリアはリハビリもうまく進まず、最近は自暴自棄になりかけていた。そんな中、ストイックに練習する環は次第に部の中で浮き始める。

 

部内がバラバラになりかける中、先生は地元にイベントに参加することを提案するが、その舞台で演奏がバラバラになり大失敗をしてしまう。落ち込む環を庇うマリアに厳しい声がかかり、マリアは傷ついて飛び出してしまう。しかし、今度は環がマリアに声をかける。この流れが実に上手い。さらに、マリアに厳しい言葉を投げた部員をうまく宥める部長で司の妹への視点の変化も上手い。

 

環はマリアを浜辺で問い詰め、友として叱咤する。そして取っ組み合いをし、汚れたまま部室に来た二人は共に太鼓を叩く。翌朝、環もマリアも部室に現れる。やがて地区の選考会、見事にまとまった環らの部員たちの演奏、そして演奏が終わり、舞台を去り際に、マリアが環に「ありがとう」と、片言で声をかけて映画は終わる。このラストも良い。

 

決して大傑作ではないけれど、映画全体がしっかりと地に足がついている。登場人物への視点の一つ一つが丁寧でそれでいて、偏らず、上手いタイミングで物語の流れの中で移っていく。上手いという他ない佳作でした。

 

アメイジング・グレイス アレサ・フランクリン

1972年、ロサンゼルスの教会で行われたアレサ・フランクリンのライブを収録したドキュメンタリー。テレビ放映予定でしたが、技術的に敵わなかったらしいが映画として公開となった。監督はシドニー・ポラック

 

二夜にわたって行われた映像で、第一夜は若干定位置で映像が流れるが第二夜はクローズアップを使ったり、カメラが映画的に動き出すというリズムを生み出している。もちろん主人公はアレサ・フランクリンの歌声なので、その透き通るような歌声に酔いしれてしまいます。

 

ドキュメンタリーなので、見えたままがそのまま映画なのですが、こういう貴重なフィルムを見れたことはそれだけで値打ちの時間だった気がします

 

「逃げた女」

フィックスカメラで延々と長回しで撮る映像と、行間を読むことで物語を見ていく淡々とした展開は、やはり個性的。今回、どこか不思議な空気感は最後まで漂ってこなかったけれど、洗練された映像感覚はやはり独特の世界です。監督はホン・サンス

 

一人の女性ヨンスンが家庭菜園でしょうか、畑にいると一人の女性が、これから就活に行くという。ヨンスンのところへ後輩のガミが訪ねてくる。ガミの夫が出張で数日留守なので、結婚して5年一度も離れたことがないのに一人になったと言ってやってきた。

 

焼肉を焼いて目一杯食事をするヨンスンとガミ。ヨンスンはバツイチであった。同居人なのか一人の小柄な女性と三人で話をする。近所へ越してきたという男性が、野良猫に餌をやらないでほしいと訪ねてくる。

 

ヨンスンの家を後にしたガミは気楽な独身生活をするスヨン先輩を訪ねてくる。ここでも、ガミの夫が口癖にしている「愛する人同士は何があっても一緒にいるべき」と言うのを話す。スヨンの部屋の上の階に先日飲み屋で知り合った既婚の男性が住んでいるという。スヨンは満更でもないというような話をする。そこへ、一夜を過ごしたゆきずりの男が訪ねてくる。執拗に部屋に入れてほしいというのを断るスヨン

 

スヨンの家を後にしたガミは、カフェと映画館、劇場の支配人をしている旧友のウジンのところへやってくる。ウジンはことあるごとにガミに謝るところから二人の間には何かありそうだが具体的にはわからない。地下の劇場でチョン先生という人がいて、喫煙所で出会ったガミはどこか居心地悪そうで、そそくさと離れる。ここでも何か過去があるようだが具体的に描かれない。ガミは劇場の中に再度入り、スクリーンを眺めている。海岸の風景、そこへエンドクレジットが流れて映画は終わる。

 

行く先々で、それぞれの女性、さらにガミの過去に何かあるような会話が繰り返され、ガミが窓を開けると次の家に向かう展開となる。必ず男性が登場し、しかも、そのどれもがどこか癖を隠した姿で、女同士の会話の中の何某かの不満や本音を体現しているようにも見える。動きの少ないカメラワーク、繰り返されるシーン、そして長回し、まさにホン・サンスの世界であるが、今回は今ひとつ迫るもにはなかった。