くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「異動辞令は音楽隊!」「ブレット・トレイン」「さかなのこ」

「異動辞令は音楽隊!」

よくあるゆるゆるの話なのですが、画面が映画になっているのと、細かいエピソードを丁寧に紡いでいく脚本の緻密さ、演技演出に手を抜いていないこだわりと役者の真摯な役作りで、とっても好感な映画に仕上がっていました。良質のいい映画でした。監督は内田英治

 

一人の老婦人がテレビを見ていると電話がかかる。現金の保管場所を聞いてくるといういかにもな電話のあと宅急便が来て、実はその宅急便は強盗集団で、老婦人はガムテープで口を塞がれる。最近この地域で起こっているアポ電強盗だった。こうして映画は始まる。

 

刑事課三十年のベテラン成瀬は相棒で後輩の坂本と容疑者につながる若者のもとに踏み込み、強引な捜査をする。そんな成瀬を疎ましく思う同僚や上司たち。ある時本部長に呼ばれた成瀬は、パワハラの訴えがあったからと音楽隊への異動を命令する。

 

成瀬が行ってみると、いかにもやる気のない楽隊メンバーたちが待っていた。最初は全く入り込む気はなかったが、ある夜、楽隊の春子と食事をとる機会があり、警察証を入れた上着を忘れる失態をしたことがきっかけで吹っ切れ、成瀬は任されたドラムを真剣に練習し始める。高校でバンドをしている娘にも音楽をきっかけに溝が埋まり始め、認知症の母との三人暮らしも安定してくる。

 

そんな頃、いつも音楽隊の演奏を見にきていた老婦人がアポ電強盗に襲われ命を失う事件が起こる。坂本は成瀬が目星をつけていた青年のところへ行きそこでついに証拠を掴み、ミュージックフェスティバルに強盗リーダーを呼び出すことに成功。音楽隊にはピエロになって協力してもらい、刑事たちが張り込むなか、成瀬が指し示した犯人を発見、音楽隊メンバーの活躍もあり取り押さえる。

 

定期演奏会を最後に音楽隊を解散すると言っていた本部長だが、知事がミュージックフェスティバルでの活躍を見て、結局、音楽隊存続となる。

 

普通の映画といえばそれまでですが、細かいエピソードを丁寧に押さえて演出されているので、映画が深みを持っているし、よくあるゆるゆるの話しながら作品が適当に見えない。大傑作とはいえないまでも、ちょっとした秀作だったように思います。

 

「ブレット・トレイン」

はちゃめちゃな大作映画という感じ。面白いのだが、ストーリーの整理ができていないので、登場人物が混乱してしまい、せっかくの伊坂幸太郎の世界が微妙にずれてしまった。それでも、ジャパンテイストをあちこちに散りばめて、一生懸命奇妙な不条理劇を作ろうという熱意が見られて楽しかった。監督はデビッド・リーチ。

 

一人の少年が病院のベッドにいて、父の木村が顔を覗き込んでいる。そこへ木村の父という一人の老人エルダーが現れる。孫を屋上から突き落とした犯人を殺せと命ずる。

 

そんな頃、運び屋のレディバグは、新幹線で京都へある品物を運んで欲しいとマリアという女性から依頼される。実はカーバーという男に頼むはずがいなかったため、代理として、駅のロッカーから道具を手にして新幹線に乗り込む。列車の名前が“ひかり”ではなく“ゆかり”という乗りの良さで映画は始まる。

 

列車に乗ったレディバグ難なくブリーフケースを見つけて、それを持ち出す。そのブリーフケースをホワイト・デスに届けるように言われたみかんとレモンの二人の殺し屋は、ホワイト・デスの息子を見つけて目的地を目指すのだが、ホワイト・デスの息子は何者かに殺されてしまう。それを隠しながら目的地を目指す。

 

レディバグは、予定通りの駅で降りようとしたのだが、乗り込んできた一人の男に襲われ、列車に戻される。列車内では、レモンとみかん、さらに木村、プリンスという女殺し屋も交えてごちゃごちゃの入れ替わりの殺し合いが始まる。物語はそれぞれの殺し合いがタイミングと運命で次々と死んだり、助かったりを繰り返していく。そして、木村の父、エルダーも乗り込んでくる。実はエルダーはとあるヤクザ組織の幹部だったが、ホワイト・デスが組織に乗り込んで親分を殺し組織を乗っ取った。その時にエルダーの妻も死んでしまい、その恨みがあったのだ。やがて列車は最終駅の京都についてしまう。

 

京都で待っていたのはホワイト・デスとその子分たち。そこで、エルダーらと銃撃戦を繰り広げ、レモンが列車を発射させて、まだ未完成の線路へ突入していく。陸橋からレモンはホワイト・デスの子分とやりあって落ち、そして、列車は大脱線、ホワイト・デスらも死んでしまい、プリンスが再度現れるが、飛び込んできた車に轢かれ、レディバグは、仲介屋マリアに迎えられて映画は終わる。エンドクレジットで、陸橋から落ちたレモンは車でレディバグらのところにやってきて、最後にプリンスを引き殺した車はレモンの車というオチで映画は終わる。

 

全く、ぶったまげの映画だった。チープな特撮と、大混戦のストーリー展開をバイタリティだけで持っていくという勢いのみの映画ですが、伊坂幸太郎らしい交錯した物語の味は出ていたと思います。こういうエンタメもありです。

 

「さかなのこ」

監督が沖田修一なので、もうちょっと一工夫ある映画かと思っていましたが、いかにも普通すぎる上に、ありきたりのシーンとセリフに呆気に取られる映画でした。とても二時間ごえできる作品ではなかったと思います。脚本が悪いのか原作自体が弱いのかはともかく、主演ののんを始めキャスト全員に覇気がない作品だったのは残念。

 

ベッドで眠る主人公ミー坊が、目を覚まし、魚のスウェットスーツに身を包んで出かけるところから映画は始まる。船上で撮影が始まるが、船の下を泳ぐ魚を見ていて海に落ちてしまう。物語は幼い日のミー坊、閉館のメロディに中、水族館で魚を見つめるミー坊。そんな娘を暖かく見守る母。学校ではミー坊新聞などを作るほど魚が大好きなミー坊は、友達のヒヨ、モモコらと日々過ごしていたが、近所に魚好きのギョギョおじさんと知り合い、さらに魚にはまっていく。

 

高校生になったミー坊は相変わらずで、なぜか不良グループの総長らとも仲良くなる。学校を卒業し、仕事を探そうと点々とするが、根っからの魚好きもあってうまくいかず、なんとかペットショップに勤めるようになる。ある時、モモコとその娘が転がり込んでくる。ミー坊は三人で暮らせるように頑張ろうとするが気を遣ったモモコらはミー坊の家を出て行ってしまう。ショックを受け、お酒を飲んで、どこかの店のシャッターに魚の絵を書いたところを通りかかった総長に見られる。そして連れて行ってもらったのは、高校時代、総長らのグループと喧嘩をした相手籾山がこれから始めようとする寿司屋だった。

 

ミー坊は籾山に、店の壁に絵を描くように頼まれ、その絵から、雑誌の表紙を描くようになる。そんな頃、小さな局のテレビ番組を任されたヒヨと再会、ミー坊はテレビ出演を依頼される。ミー坊は子供の頃ギョギョおじさんがかぶっていたハコフグの帽子を被りテレビに出る。モモコは子供と水族館に行き、ミー坊は子供たちとはしゃいで映画は終わる。

 

本当になんの変哲もない上に、演出が実に雑で、折角ののんら役者陣を全く生かしていないし、周りのエキストラへの演技付も雑さが見られるのはさすがにもったいない。沖田修一監督どうしたのかという出来栄えだった。

映画感想「エレキの若大将」「ロッキーVSドラゴ ロッキーⅣ」

「エレキの若大将」

安直なたわいのない物語ですが、この時代の映画は、本当に見ていて幸せになれますね。娯楽というのはこうでなくてはいけないと思います。監督は岩内克己

 

若大将田沼の大学のアメフト部の試合から映画は幕を開ける。試合に負け、次のキャプテンが田沼に決まるが、ライバルの青大将石山は面白くない。田沼は自分の実家の料亭に部員を招き大騒ぎをするがその帰り、石山の車に乗っていて石山が事故を起こす。石山は田沼に代わって欲しいと懇願、被害者の燈子と知り合う。

 

澄子と示談が決まり十万の金が必要になったが石山の父は金を出してくれず、たまたま澄子の勤めるレコード店で、エレキギター大会の話を聞く。その試合に優勝したら十万円手に入ると聞いて田沼たちはバンドを組んで出場する。順調に勝ち進み、石山の知り合いで頭取の息子らのバンドと最後の対決も制し優勝。石山はすっかり澄子に惚れていたが澄子は田沼のことが好きだった。

 

田沼らのバンドに興味を示したスポンサーの娘が田沼に近づいてくるが、田沼は澄子への気持ちに揺るぐことはない。田沼らのバンドはプロ入りすることになり、日光で演奏するが田沼を追って石山の車で澄子も駆けつける。しかし、スポンサーの娘と田沼の結婚の話を立ち聞きしてしまった燈子は田沼らの前から消える。そんな頃、田沼の店が破産し田沼は店の立て直しのために大学もアメフトも辞める決意をする。ところが日光で作曲した曲に興味を持ったエレキギター大会の審査員の一人が田沼にレコード化の話を持ちかけ、田沼はその売上で店を立て直すことを決意する。

 

田沼は日光へ一人旅に行った燈子を迎えに行き、疑念を晴らし、ライバル校との試合の場に戻ってきて、見事逆転してハッピーエンド。田沼の店で、「君といつまでも」を絶唱して映画は終わる。

 

全く、めでたしめでたしのゆるゆるの映画ですが、見終わってとっても楽しかった感想だけが残ります。これが黄金時代の映画ですね。楽しかった。この頃の星由里子が抜群に可愛らしいし、上原謙加山雄三の父子共演も面白かった。

 

「ロッキーVSドラゴ ロッキーⅣ」

1985年制作の「ロッキー4炎の友情」を42分の未公開シーンに差し替え、ワイドスクリーン、4K変換し、スタローン自ら再構築した一本。オリジナル版を見た当時はそれほど印象になかったが、今回見直してみるとえらく面白かった。差し替えたぶんキレが良くなったのか、余計な描写が省かれて見せ場だけが残ったので見やすくなったのかはともかく、荒削りながら、迫力のある試合シーンは引き込まれるし、クライマックスは胸が熱くなってくるし、こういうやんちゃな映画は今はなくなったのかもしれません。監督はシルベスター・スタローン

 

アポロに敗れた後、アポロをセコンドに迎えてヘビー級チャンピオンになったところから映画は幕を開ける。平穏な日々を暮らすロッキーたちに、ソ連のボクシングの新人ドラゴから挑戦状が来る。第一線を退いた無力感に苛まれていたアポロは、自分がこの試合の出るとロッキーを説得する。

 

派手なパフォーマンスで試合に登場したアポロだが、殺人機械のようなドラゴの前に敗れ、命を落としてしまう。その冷酷な仕打ちに腹を立てたロッキーは親友の敵討ちで、ドラゴと戦いたいと申し出るが、アメリカプロボクシング協会は認めなかった。ロッキーはチャンピオン資格を返上してソ連に乗り込むことにする。

 

ソ連での試合会場、観客のロッキーへの敵意は半端なかった。相手のドラゴはその機械のような攻撃でロッキーを追い詰めていくが、ロッキーは何があっても壊れなかった。ラウンドが進むにつれ、ソ連の観客の声援はロッキーに向けられ始める。そして最終ラウンド、決死の思いで臨んだロッキーは見事ドラゴを下す。こうして映画は終わります。

 

明らかに今のロシアを意識した編集になっているとはいえ、オリジナル版公開時も冷戦真っ只中だったので状況は同じである。それよりも、娯楽映画としてしっかりと作ろうという意気込みが伝わってくる作品だと改めて感じました。

映画感想「スワンソング」「恋する惑星」4K「キングメーカー大統領を作った男」

スワンソング

音楽は抜群にいいのですが、なんともダラダラと間延びのする映画だった。スローモーションがそのまま映画を弾き伸ばしているようなリズム感がたまらなくしんどかった。実話を元にしているということもありストーリーはそこそこいいのですが脚本が悪いのか演出が緩いのか、久しぶりのウッド・キアの怪演が生きていなかった感じでした。監督はトッド・スティーブンス。

 

客のいないステージに颯爽と現れるゲイのパットの姿、それは夢で、目が覚めると施設のベッド、こうして映画は幕を開ける。毎日同じことを繰り返す老人ホームで暮らすパットは、かつてはカリスマ美容師として成功していた。そんな彼のところに弁護士のシャンロックが現れる。かつての親友で上顧客だったリタが亡くなり、遺言で死化粧をパットに頼んできたのだ。しかし、今さら復帰する気もないパットは一旦断るのだが、それから落ち着かない日々が続き、パットは施設を抜け出してリタの元へ向かう。

 

街に着いたものの、今さら知る人もほとんどなく、かつての恋人のデビッドの墓に参り、ステージに立っていたバーに行くがその日が閉店日だと知らされ時の流れを知る。パットの弟子でかつて彼の向かいに独立したディ・デイに会う。リタの家に行くと孫のダスティンが迎えるが、パットはデビッドの葬儀にこなかったリタへの複雑な思いが蘇り家を後にする。

 

いつもトイレにいたかつてのゲイ友達に声をかけ、昔話をするが、実は彼もすでに亡くなっていた。パットは今夜閉店の店に行き、ダンサーの髪の毛をセットしてやり、久しぶりに弾けて、乗りすぎて頭に怪我をして病院に担ぎ込まれる。気がついたパットは区切りがつき、リタの葬儀場へ行き、髪の毛をセットしてやる。そこへダスティンが現れパットの傍に座り礼を言うが、パットは鼻血を出しその場で息を引き取る。パットの足にはリタが履いていたヒールがあり、それを微笑ましく見つめるダスティンの姿で映画は終わります。

 

とにかく、エピソードの挿入のタイミング、尺、何もかもが良くなくて、頻繁に使われるスローモーションがさらに映画のテンポを狂わせていきます。演出センスのない映画というのはこういうものだなという典型的な一本でした。

 

恋する惑星

ついこの間見たばかりでしたが、時間があったので再見。やはり抜群の音楽センスと美しいカメラ、洒落たストーリーに魅了されます。何度見てもいい映画ですね。監督はウォン・カーウァイ

 

雑踏の中、刑事モアが何やら犯人らしい人物を追いかけて一人の金髪の女性とすれ違う。その女性は犯罪を実行するために金を配って人間を集め、おそらく麻薬の密売だろう準備をして空港まで行くが、雇った男たちが姿をくらましてしまう。一方モアはエイプリルフールの日に失恋し、一ヶ月後の自分の誕生日までパイナップルの缶詰を買い続ける。恋人への思いを忘れるためにその夜に出会った女性に恋をしようとして金髪の女性に出会う。金髪の女性は一晩中男ども探した挙句、とうとう見つけて銃で撃ち殺し、金髪の鬘を取ってその場をさる。

 

ハンバーガー店の店先、633号という警官がいつも立ち寄る。店の女性フェイは密かにその警官に恋していてという洒落たストーリーが展開していく。警官が付き合っていたCAと最近疎遠になり、CAはハンバーガー屋に手紙を預けて旅立っていく。フェイはその手紙の封筒に入っている鍵を見つける。たまたま市場で出会った警官が家の場所を教えたことから、警官が留守の日にフェイは警官の部屋に入り、好き放題に至福の時を過ごすようになる。

 

恋人が去って落ち込んでいた警官は、知らない間に部屋の景色が少しづつ変わって行くのは、気持ちが前に進んできたと勘違いするが、フェイと鉢合わせてしまう。しかし、すっかり立ち直っていた警官はフェイをデートに誘い、待ち合わせの店で待つが、フェイは手紙を店の主人に託して姿を消す。手紙は一年後の行き先を書いた手書きの搭乗券になっていた。

 

一年後、ハンバーガー屋を買い取った警官が開店準備しているとフェイがCA姿になってやって来る。フェイは再び手書きの搭乗券を書き、警官の行きたいところへ行こうと書く。そして警官はフェイをフライトに送り出し映画は終わる。

 

音楽と映像が心地よくマッチングする素晴らしい映像センスに頭が下がるし、映画がとってもスタイリッシュで洒落ている。何度見ても楽しめる作品ですね。

 

キングメーカー大統領を作った男」

韓国映画らしい稚拙な演出はところどころに見られるとはいえ、エンタメ映画としてはみるみるレベルが上がってきているのを証明する作品でした。ただ、事実を元にしているためか少し長すぎる気がします。もうちょっと思い切って削ぎ落としたらもっとキレのいいポリティカルサスペンスになったかもしれません。一方で、人間ドラマとして描こうとしたとしたら、もっと掘り下げるべきだったかもしれない。前半の細かいカット編集から次第にシリアスなドラマへのテンポの流れは上手い。なかなかの映画でした。監督はビョン・ソンヒョン

 

一軒の薬局、一人の男が、自宅の鶏の卵が盗まれるのだがどうしたら良いかと相談している。薬局の男は、鶏に赤い紐をつけ、一羽を隣の鳥籠に入れて盗んだと訴えろとアドバイスする。アドバイスした男はチャンデと言う。時に地方議員で当選を目指すウンボムが演説をしている。その訴えを聞いていたチャンデは、ウンボムの主義に共感する旨の手紙を何度も送っていたが受け入れられず、とうとう強引に選挙事務所に押しかけ、自分に手伝わせて欲しいと訴える。その理由に何かを感じたウンボムは、チャンデを選挙事務所に雇う。

 

脱北者でもあるチャンデは、ウンボムの影となって、勝つためには手段を選ばない違法スレスレの方法でチャンデを勝利に導くが、事務所内の反感もあり間も無く謹慎処分となる。しかしさらに上を目指そうとするウンボムは、再度チャンデを招き入れ、国会議員選挙での勝利を目指す。そして、さらに大統領選の候補となるべく画策、チャンデの策略でついに大統領候補に当選する。しかし、敵側の仕業か、ウンボムが海外遊説の際にウンボムの家族の自宅が爆破される事件が起こり、その直前にチャンデが提案した作戦に似ていたこともあり、チャンデは逮捕されてしまう。

 

総裁の力添えでチャンデは釈放されたものの、ウンボムが一対一で詰め寄った時に、チャンデはウンボムがすでに自分を信頼していないと悟り、自分がやったと告白、ウンボムは仕方なくチャンデを切り捨てる。チャンデは金で敵陣営に招かれ、その手腕を発揮したためにウンボムは結局大統領にはなれず、十五年の時が経つ。カフェでチャンデはウンボムと会う。チャンデはウンボムに鶏の卵に話をするがウンボムはそれなら卵を分けてやれば良いと提案する。チャンデは自分と考え方が違うウンボムに政治家としてのあり方を目の当たりにした。まもなくして正当な選挙で大統領が選ばれたというニュースの声で映画は終わる。

 

大河ドラマを見ているような展開で、一本の映画作品としての仕上がりとは少し違う気がしますが、どこか胸に迫ってくる人間ドラマとしては見応えのある一本でした。

映画感想「夜叉ヶ池」4Kリマスター版「アキラとあきら」

「夜叉ヶ池」

四十年ぶりくらいの再見ですが、公開当時も感じましたが、ストーリーがかなり間延びしていて、大作を扱いきれなかった感じが否めない映画でした。クライマックスのスペクタクルシーンは見事とはいえ、そこに至る神話と大正二年の山間の村の物語、さらに山澤と百合の恋物語と、白雪姫の物語がうまく噛み合わないままにラストを迎える感じでした。もちろん凡作とは言えませんが、監督の篠田正浩さんの作品の中では中の下の仕上がりでしたね。

 

汽車の中、自然研究家の萩原が夜叉ヶ池を見に行くために向かっている場面から映画は始まる。時は大正二年、ここ三年ほど、ひどい旱魃が続いていて、萩原もカラカラに喉が渇いたまま村にたどりつく。しかし、水飢饉に苦しむ村人を見てそのまま森へ入る。そこで日に三度の鐘を守る祠に辿り着く。そこには妖艶な女性百合がいた。おもてなしを受けた萩原は、せがまれるままに旅の話を語り出すが、ふと邸内に人の気配を感じる。なんと三年前に行方不明になった親友山澤だった。通り雨に降られた萩原を家に入れた山澤は、この地に住むことになった経緯を語る。

 

この地には夜叉ヶ池の伝説があり、日に三度の鐘をつかないと氾濫が起こるとされていた。三年前にこの地にきた山澤は鐘を守りする弥太兵衛と知り合うが、弥太兵衛は急死してしまい、後を山澤に託す。ほんの一時のつもりが三年になっていた。萩原は山澤を助け出そうと深夜に夜叉ヶ池を見に行こうと提案、二人で山に入る。

 

夜叉ヶ池には白雪姫という姫が住んでいて、剣ヶ崎の物の怪と恋に落ちていてそこへ行きたかった。しかし、人と水の争いの後の約束で、鐘が鳴る間は夜叉ヶ池を離れることはできなかった。このおとぎ話の場面が完全に浮いています。

 

そんな頃、村では成金の男が村人を手懐けて宴会を開いていた。そこで、池に生贄を捧げて雨を降らせようということになる。村の男が、百合のことを提案し。村人は大挙して百合の祠を目指す。不穏な動きを察知した山澤たちが、山を降りて祠に行くと、百合が牛に結えられていた。山澤は鉈を奮って村人を追い払うが、多勢に無勢で、次第に追い詰められていく。愛する山澤の窮地に百合は自ら鉈で命を絶ってしまう。やがて夜が明け、鐘をつく時間がきたが山澤は鐘をつくことを止める。間も無く、夜叉ヶ池には水柱が立ち大洪水が村を襲う。その中で山澤と百合はのまれていき、柱に体を縛って耐えた萩原は、水に沈む村を見ると共に、剣ヶ峰へ飛び立つ白雪姫の姿をみる。こうして映画は終わる。

 

非常に物語の構成が緩くて間延びしているために、キレのないストーリー展開のままクライマックスを迎える。坂東玉三郎主演という話題のみで公開された感のある大作でした。公開当時とほとんど感想は変わりません。

 

「アキラとあきら」

鮮やかさに欠ける。この物語は、まずその本筋はしっかり演出できなければいけない。宿命とか人間関係とかそういうヒューマンドラマ部分もテーマではあるけれども、それを見せるための鮮やかな展開こそがエンタメの一級品になるべき基本だと思える物語だった。劇画タッチで流れていくストーリーはわかりやすいし面白いし、それなりに胸に響くのですが、どの部分も上滑りで薄っぺらい。脇役の描写を丁寧にしたので、それなりの厚みは出たものに、ちょっと後一歩物足りないのは残念でした。監督は三木孝浩。

 

日本有数のメガバンクの新入行員研修の場、今年入校の山崎彬と階堂彬が、人事部から出された課題をこなして、最後に対決する場面から映画は幕を開ける。今年トップで入行した二人を見つめる融資部長の羽根田は、度肝を抜く対決に拍手してしまうが、この冒頭の対決が実に甘い。

 

山崎瑛の父は町工場を経営していたが、資金繰りが厳しく銀行に見放され倒産してしまう。父が作ったベアリングパーツを握って、工場の機器を持ち去るトラックを追いかける幼き日の山崎瑛は、通りかかった大企業東海郵船の長男階堂彬の車の前に飛び出す。山崎と階堂の最初の出会いだった。

 

山崎は本部で顧客に寄り添った営業を続け、一方の階堂はみるみるエリートコースへ進んでいく。取引先の資金繰りを応援できなかった山崎はふとした温情から会社を裏切る形になり左遷させられる。そんな頃、階堂の父が脳梗塞で倒れる。実は階堂の叔父たち二人は別々に関連会社を任されていたが、リゾートホテルの経営に手を出し資金繰りは悪化の一途だった。階堂彬の弟龍馬は、会社を出て行った兄を見返したくて社長になり、そんな龍馬を叔父たちはリゾートホテルの赤字をカバーするために利用しようと考える。

 

まもなくして階堂の父一磨が亡くなり、遺言で東海郵船の全株式は階堂彬に譲られるが、形ばかりの株主だった。東海郵船の担当になった水島は東海郵船の決算書に不審な数字を発見、左遷先から本部へ返り咲いた山崎瑛に相談する。山崎は階堂を呼び出し、東海郵船が危機的状況であることを説明するが、階堂は興味を示さなかった。しかし、追い詰められていく龍馬はついに過労で入院、龍馬は見舞いにきた彬に、東海郵船を任せたいと話す。

 

銀行をやめ、東海郵船の社長となった階堂彬は、苦境を乗り切るための方策を模索し始める。一方本部に返り咲き、新規プロジェクトチームへの参加を望まれた山崎瑛は、階堂のために新規プロジェクトのチームを抜け東海郵船の再生に向かう。こうして、山崎、水島、階堂らの奮闘が始まる。資金面の問題よりも親族間の確執こそが解決の糸口だと判断した階堂らは赤字経営のリゾーホテル売却と共に、叔父階堂晋の東海商事の売却も検討、階堂彬の必死の説得でようやく叔父たちとの親族間の確執も和らぎ案件が前に進む。

 

山崎瑛は稟議を本部長不動に提出するが、堅実融資を信条とする不動は受け入れない。山崎瑛は、銀行声明をかけて説得、なんとか目を通してもらうがそれ以上の返事はなかった。退職を覚悟して出社した山崎瑛は、不動に呼ばれ頭取室へいく。そこにはかつて新入行員研修の時いた融資本部長の羽根田が今は頭取となって座っていた。そして山崎瑛の稟議書を承認する。なんと不動もすでに承認していたのだ。こうして、東海郵船の案件は無事通過、山崎瑛と階堂彬は海を見下ろす丘で会い、山崎が落とした父の作ったベアリングパーツのネックレスを階堂が見て、二人の運命を知る。こうして映画は終わる。

 

お話は面白いし、展開も劇画タッチで楽しめるが、非常に通り一遍のうわ滑るの物語で終わってしまうのは残念。江口洋介ら脇役は丁寧に演出されていて映画を引き締めるのですが、それが今ひとつ効果を最大限に発揮していない。映画としては単純に楽しむだけの普通の作品という感じでした。

映画感想「NOPE ノープ」

「NOPEノープ」

宣伝を見ている時も思わせぶりばかりで、なんとなく予想はついたが、やはり全編思わせぶりばかりでそれ以上でも以下でもない作品でした。この監督、それほどぶっ飛んだ想像力があるわけでもないことがわかりました。「ゲット・アウト」は吹っ飛んだ馬鹿馬鹿しさに笑えましたが、今回は、エイリアンの造形もそれほどオリジナリティを感じるほどのものではないし、ストーリー展開も平凡、秀でた演出も見られない分、前半かなりダラダラ感が出てしまった。黒人を作品の個性にしてきているのだからもっと毒を持たせて、例えば黒人は食わないとかしても面白かったのだろうけど、黒人にする意味も特に見当たらないし、手なずけようとしたらやり返されたというテーマも訴えてくるものがない。この監督の限界を見た気がします。監督はジョーダン・ピール

 

撮影スタジオ、なにやら一匹のチンパンジーが座っていて、傍に倒れているらしい人間の足が見える。どうやらこのチンパンジーが大惨事を起こしたらしい。このオープニングから、映画の撮影用の馬を飼育している牧場へ画面が移る。OJの父は撮影用の馬を育てるベテランで、この日も次の撮影用の馬に乗っていたが、突然空から何かが降ってきて、それに当たり、病院へ行ったが亡くなってしまう。OJは空に未確認の飛行物体を見たと妹にいう。

 

父の後を継いでOJが撮影スタジオへ馬を連れていくが、結局よく喋る妹のエムの助けを借りる。しかし結局ミスをして、そのまま馬を引き上げてくる。牧場の経営は厳しく、撮影の仕事がなくなったこともあり、馬を近くのジュピターパークの経営者リッキーの元に行き、愛馬ラッキーを売る。エムは兄OJが見た飛行物体を撮影すればネットで評判になり儲かると提案、ホームセンターのエンジェルに監視カメラを設置してもらい、撮影所の監督ホルストに提案するが信じてもらえない。

 

そんな頃、ジュピターパークでは、異星人とのコンタクトをするショーが行われようとしていた。UFOを呼び寄せるのにラッキーを使ってショーが始まるが、突然現れた未確認飛行物体に襲われて、観客もリッキーも喰われてしまう。どうやら未確認飛行物体は生命のある生き物のようだった。飛行物体はエムの家の上空まで来る。身を潜めているエムとエンジェル。そこへOJが戻ってくる。飛行物体が近づくと電気系統が麻痺することを知った事と、ジュピターパークのショーを襲った時の様子から、旗や擬似物体を食べると喉を詰まらせることがわかる。さらに、目を合わせると食べられるということに気がつく。

 

実はリッキーは、冒頭のチンパンジーショーで子役で出ていて、あわやチンパンジーに自分も襲われそうになるところをチンパンジーが撃ち殺され助かったのだ。リッキーは飛行物体を手なずけて今のショーを企画していた。

 

飛行物体をなんとかいなしたOJたちは、再度ホルストに連絡、今度はホルストも信じて、自前の手回しカメラを持参してくる。そしてOJ、エム、ホルストは飛行物体をカメラに収めるべく準備をする。バルーン人形を配置して電気の麻痺状態を解るようにし、エンジェルとホルストがカメラを構えて、OJはラッキーに乗って飛行物体をおびき寄せる。やがて飛行物体が現れるが、雑誌の記者が電気バイクで現れ特ダネを撮ろうとするが、突然電気バイクが止まって投げ出される。OJが助けに行くが無理で、結局食われてしまう。

 

飛行物体はOJに襲いかかってくるが、電気バイクを拾ったエムが囮になって飛行物体を引きつける。ホルストは、自ら食われることで誰も見れない映像を撮ろうと飛び込んでいき飲み込まれてしまう。飛行物体は巨大なカーテン状に姿になり、エムに向かってくる。エムはジュピターパークに飛び込み、そこにあった巨大なバルーン人形を飛ばし、それを食わせる。その様子を、テーマパーク内の巨大ポラロイドカメラで速写に成功する。バルーンを食べた飛行物体は大爆発を起こし散ってしまう。こうして映画は終わる。

 

思わせぶりが多すぎて、全体が非常に間延びしてしまった。チンパンジーのエピソードもそれほどインパクトがないし、カメラも平凡、バルーン人形による通電のサスペンスも盛り上がらず、映画としては普通のサスペンス程度の作品でした。ジョーダン・ピールはそれほど才能のない監督だったかもしれません。彼の限界が見えた感じでした。

 

映画感想「Zolaゾラ」「シーフォーミー」

Zolaゾラ」

2015年デトロイトのアザイア・“ゾラ”・キングがTwitterに投稿した148のツイートとその内容を元にしたローリングストーンズ誌の記事をもとにした作品。結局、実話なのかと言われれば、Twitterの投稿が実話であって、Twitter自体が創作物語だということなのだろうか。今時の独特の語り口のちょっと風変わりな映画でした。監督はジャニクザ・ブラボー。

 

黒人の女性と白人の女性がメイクをしている場面から映画は幕を開ける。黒人の女性はゾラ、白人の女性はステファニーと言い、ゾラが、ステファニーとのクソのような話を語るという出だしから物語は始まる。

 

レストランで働くゾラは、店に来た客ステファニーに声をかけられる。二人ともポールダンサーで、二人でステージで踊って大儲けする。ステファニーは、友人Xとデレクという彼氏と一緒にフロリダで踊らないかとゾラを誘い、ゾラは同行することにする。

 

フロリダについたものに安物のモーテルに連れて行かれ、ステファニーとゾラはXに連れられてホールで踊るが、何かがおかしい。二人を車に乗せたXは急に横暴になり、ステファニーに売春を強要する。というかステファニーは既に知っていてゾラを騙して誘ったのだとゾラはわかる。

 

Xに脅されるようにホテルの一室に入れられたゾラたちに客がやってくる。しかしステファニーがあまりに安い金額で仕事をするのを見て、ゾラが売春サイトの写真を変更、高額な報酬を得られるようにしてしまう。翌朝、Xに稼ぎを見せたら、Xはすっかりゾラを気に入ってしまう。そしてゾラを監視役にしてステファニーに客をとらせ始める。

 

ステファニーの彼氏のデレクが、そんなステファニーになんとか仕事をやめてほしいと懇願するがXの命令やステファニーも今ひとつ仕事を止める気がない様子にイライラし始める。ステファニーとゾラは次々と仕事をこなし大金を手に入れていくが、最後に超高額な仕事が入り、Xはこれで最後だからとゾラたちを送り出す。ところが、迎えたのは最初のモーテルでデレクに近づいてきた黒人のチンピラたちで、ステファニーを拉致してしまう。

 

Xやデレク、ゾラがその部屋に踏み込み、ステファニーを助け出してフロリダを離れる。そして辿り着いたのはXの大邸宅だった。ステファニーに、仕事をやめないなら死んでしまうと懇願するデレクに、ステファニーは冷たい返事をし、デレクはベランダから飛び降りる。しかし、大怪我を負っただけで、大慌てのXはステファニーやゾラを車に乗せて病院へ向かう下りで映画は終わる。

 

中盤から後半にかけてどんどんお話がどこかおかしくなってくる。前半は、Xによる売春強要の話のようだが、途中からステファニーが語るゾラの話が、これまでの展開と真逆だったり、妙にXがいいやつに見えてきたり、誰が悪者かよくわからない中、実はみんなそれぞれ妄想と虚構の世界なのではないかと思えてくる。結局、金持ちのXの邸宅に招かれたステファニーたちの話というシンプルなストーリーだったのではないかと思えるラストに、変な映画を見たという感想だけが残りました。A 24の映画はほんまに奇妙なのが多い。

 

「シーフォーミー」

お粗末千万なサスペンス映画でした。ストーリーが支離滅裂やし、主人公アホやし、その上性悪女、何のためのシーフォーミーのアプリなのかわからんし、主演のスカイラー・ダベンポートが現実に視覚障害者でもあるというのだけを客寄せに使う制作態度もひどい。最低の映画でした。監督はランドール・オキタ。

 

オリンピックのスキーのシーンのテレビを見ている主人公ソフィの姿から映画は幕を開ける。病気で光くらいしか感じられなくなったが、かつてはスキーのアスリートだったらしい彼女は、今では視覚障害を逆手に盗みを働いている。とまあ、このキャラクター設定自体がひどい。

 

この日、猫シッターの仕事を得て、そこへ向かおうと準備しているが、母親は何かにつけて娘に関わってくる。母を振り切って人里離れた豪邸にやってきたソフィは、女主人で最近夫と離婚したデボラに会い、邸内の説明を受ける。デボラは急ぎの用で飛行場へ行ってしまうと、ソフィは早速友人に電話をし、邸内をスマホのビデオ会話で説明してもらう。ワインセラーに入り高そうなワインを一本くすねようとするソフィに、友人はもうこういう手助けは嫌だと電話を切る。

 

セキュリティシステムで守られた邸宅からタバコを吸うために外に出て閉め出されたソフィは、母に教えられた視覚障害者をサポートするアプリシーフォーミーを起動、つながったケリーという女性に庭内に戻る手助けをしてもらう。その夜、ソフィが寝静まっていると、強盗が侵入して、隠し金庫を開けようとし始める。物音に気がついて階下に降りたソフィは、誰もいないと思っていた邸内に人の気配を感じた犯人たちに探される羽目になる。ソフィは警察に連絡する一方で、身の危険を感じてケリーに連絡、ケリーの助けで、強盗たちから逃げ隠れし始める。

 

しかし、この主人公なんとアホなのか、ケリーがじっと隠れていろというのをうろついたために、二人だと思っていた強盗が三人いて三人目に捕まってしまう。ダメだと思われた時、ケリーは、実は自分も盗みをしているので、分前をくれるなら警察への通報を取り消してもいいと提案。しかも強盗団の親玉は電話の指示でそれを受け入れる。もうアホだらけ。

 

それでも結局一人の警官がやってきて、帰りがけに怪しいと疑念を持って再度邸宅に入り、結局強盗団に殺されてしまう。その時、銃を奪ったソフィは逃げる。シーフォーミーでケリーに連絡をし、迫ってくる強盗団を銃で応戦し始めるソフィ。一方、ケリーはソフィのために別途警察に連絡をする。ソフィは三人のうち二人を撃ち殺し、そこで、後からくる警官を待てというケリーのアドバイスを無視して、最後に金庫を開けている犯人の前に出る。もう呆れてしまう。

 

その犯人は、金を持って逃げればいいと、逃げ始めるがソフィに撃たれて死んでしまう。犯人の親玉からの連絡に、全員死んだ旨を話したソフィの前に現れたのはデボラの元旦那。しかし、結局こいつもソフィに撃たれる。しかし実は金の一部をソフィはカバンに入れていた。なんてやつや。

 

一度は諦めたアスリートへの道をもう一度進む決意を母に話すが、カバンにはしっかりと指導費用が準備されている。スキー場で指導を受けるソフィはケリーからのメッセージに明るく答えて映画は終わる。

 

もう最低最悪のお粗末映画だった。これ以上書く気にもならない。

映画感想「2046」4K版「天使の涙」4K版

「2046」

スタイリッシュな映像とシュールで目眩く幻想のようなストーリー、抜群の音楽センスで魅せるSF映像ラブストーリー。まるで一枚の映像詩の如き作品でした。公開当時見た時もくっきりと物語が把握できませんでしたが、今回は若干理解できたと思います。あまり個別のシーンにこだわらずに全体を感じる映画だとは思いますが、少し混沌んとしていて間伸びしている気がしなくもない。特に終盤。でも、良い映画ですね。監督はウォン・カーウァイ

 

近未来の都市を走る列車に中、2046から戻ってきたたった一人の人物、日本人の男。これは主人公チャウが描いている小説の物語である。1966年、主人公チャウは香港に戻ってくる。香港で暴動が起こっている。チャウは、ワンという支配人がいるホテルに滞在しようとする。かつてミミという女性が住んでいた2046号室に部屋を借りようとするが彼女は出て行って、部屋を改装するから隣室2047号室にとりあえず部屋を借りることにする。

 

まもなくして、2046号室に一人の女性バイ・リンがやってくる。そんな頃ワンの長女ジンウェンは日本から来た一人の男と恋に落ちていたが、ワンは大反対で、無理やり別れさせられたジンウェンは独り言を言うようになっていた。ワンの次女も活発な女性で、まもなくして駆け落ちして家を出ていき、ジンウェンは入院することになる。

 

チャウとバイ・リンは、次第にひかれあい、愛し合うようになる。時が過ぎ1967年、1968年と流れていく。しかし、深く恋に溺れることを望んでいないチャウは次第にバイ・リンと疎遠になっていく。しかし心の底からチャウを愛してしまったバイ・リンはチャウのことが忘れられなかった。それでも、チャウの心は戻らず。やがて二人は別れてしまう。

 

チャウは2046という小説を書いている。高速で走る列車の中で、チャウの分身でもある日本人の男はジンウェンに瓜二つのアンドロイドと出会う。病院から戻ったジンウェンは、チャウの助手として小説を書く手助けをしていた。まもなくして、チャウとジンウェンも惹かれ合うがジンウェンの心には日本人青年タクの存在が消えることはなく、やがて日本へ行ったジンウェンはタクと結婚することになり、ワンも日本へ向かう。2046の小説の中で、日本人の姿になったチャウはアンドロイドに恋するが結局アンドロイドはチャウを愛することはない。

 

チャウのところへバイ・リンがやってくる。以前、チャウに会うために香港に来たがチャウは留守だったという。その頃チャウはシンガポールにいた。香港へ来る前、チャウはシンガポールで賭博場へ出入りし借金にまみれていた。そんな彼を助けたのが賭博師であったスー・リーチェンだった。彼女に助けられ香港へ戻ったチャウは、ジンウェンとタクの恋を成就させるため、タクからの手紙をチャウ宛に送るようにし、ジンウェンとタクの仲を取り持ってやる。

 

映画は、永遠の愛を求めるチャウ、タク、ジンウェン、そしてルルの姿を現実と小説の中を行き来しながら目眩く物語として描いていきます。そして永遠の愛を求めて列車に乗った小説の主人公が近未来の都市へ向かう中、映画は終わっていきます。

 

クリストファー・ドイルの美しいカメラ、音楽が奏でる映像詩、現実と小説の中を行き来するストーリー展開、まさにウォン・カーウァイならではの愛の追求劇が幻想的に描かれていく様は圧巻ですが、ちょっと作り込みが過ぎた気がしないでもありません。斜めの構図を多用した自由な画面作りは陶酔感を覚えるほど美しいし、今見直すと、クセになる魅力は十分に備えた一本だったと思います。

 

天使の涙

手持ちカメラを多用し、自由な構図を駆使、抜群の音楽センスでテンポ良く展開するスタイリッシュな映像を堪能できる作品でした。監督はウォン・カーウァイ

 

一人の女、実は殺しの手配をするエージェントで、この日もターゲットを友人と表現して殺し屋に仕事を依頼するためにロッカーに指示を入れる。その指示を受ける孤独な殺し屋は的確に仕事をこなすが、彼には一つの思いがあった。

 

口の効けない青年のモウは深夜の店を勝手に開いて強引な商売を繰り返している。たまたま彼は失恋したらしい一人の女性と出会い恋心を抱く。

 

エージェントは殺し屋がこなした仕事の後始末を確認し、それに興奮して自慰をしてしまう。モウは父を慕っていて、仲良く暮らしている。殺し屋にハイテンションの金髪女が近づき、その女は殺し屋とも知らずにその男に恋してしまう。

 

ある時、殺し屋はエージェントに、この関係を切りたいと申し出る。エージェントは次の仕事にまぎれて殺し屋を亡き者にするための指示を出す。殺し屋は金髪女に別れを告げ、仕事をしにいくが、その場で大勢に撃たれて死んでしまう。モウの父親は突然体調を崩し死んでしまう。モウは夜の店で仕事をしていると、恋焦がれていた失恋女と再開するが女はモウのことを忘れていた。

 

エージェントは相棒を持たないことにしてレストランでいると、背後でモウが喧嘩をして叩きのめされていた。エージェントはモウのバイクで家まで送ってもらうことにする。モウのバイクが地下道を抜けると夜明けの空が広がっていた。こうして映画は終わる。

 

縦横無尽に場面を捉える手持ちカメラと、フィックスのカメラアングルを繰り返し、少々荒っぽい映像ながら、それぞれの登場人物を画面に次々描いていく演出と音楽のマッチングはみごとで、さらにクリストファー・ドイルのカメラも秀逸。ウォン・カーウァイらしい一本でした。