くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ARGYLLEアーガイル」「コットンテール」

「ARGYLLEアーガイル」

二転三転四転五転、遊びきったストーリー展開と、モダンでスタイリッシュなバトルアクションシーンのオリジナリティで、映画って本当に面白いものだなと拍手させるほど楽しい映画だった。この監督の感性は本当に面白い。一体頭の中にどれだけアイデアが詰まっているのだろうと思ってしまう。単純なスパイアクションをここまで空想活劇に作り上げた才能があっぱれない映画だった。監督はマシュー・ボーン

 

とあるダンスホール、一流のスパイアーガイルが、金色のドレスを着た美女ラグランジェとダンスを始めるが、間も無くして気がつくと周りの黒服が銃を持ってアーガイルを囲んでいる。あわやピンチかと思われた瞬間、外の車にいた相棒のキーラがパソコンを操作すると、ホール内にスモークが溢れ、アーガイルはその場を脱出、ラグランジェはバイクに乗って逃走するが、キーラはアーガイルと一緒に敵と銃撃戦をした際に死んでしまう。

 

アーガイルは後を組織に任せ、ラグランジェの後を追う。しかし、取り逃したところで、もう一人の相棒ワイアットがカフェでくつろいでいて、通りかかったラグランジェを怪力で奪取する。アーガイルらがラグランジェを問い詰めると実はお互いのボスはファウラーだとわかりラグランジェは毒薬を飲んで死んでしまう。アーガイルは、すべてのスパイの情報が入ったマスターファイルを香港へとりに行くことになる。こうして四巻が終わりましたと、スパイ小説「アーガイル」の発表会に座る作家エリーの姿になって映画は始まる。

 

早速五巻に進むのだがすでに完成してしまい、それをエリーの母ルースに送ったところ物足りないと言われてしまう。エリーは詳しく相談するために愛猫アルフィーを連れて列車でシカゴの母の元へ向かう。列車の中で向かいに座った胡散臭い男に話しかけられて、つい職業を聞いたらスパイだという。

 

直後、乗客がエリーのファンを装って近づいてきた男がアイスピックで襲ってくる。それを向かいの男が鮮やかに撃退するが、次々と悪漢がエリーに襲いかかる。わけもわからず胡散臭い男の言いなりに動き回り、最後は自分にしがみつけと胡散臭い男に言われるままにしがみつくとそのまま列車に外へ飛び出し、パラグライダーで逃亡に成功する。

 

ディヴィジョンの作戦室ではリーダーのリッターがエリー達を追跡していた。エリー達は落ち着いた山小屋で男は髭を剃って、自分はエイデンという名でエリーが書いている小説は、デヴィジョンという悪の組織が追い求めるマスターファイルのありかを見つけるための預言書のようになっているから狙っているのだと言われる。さらに小説の中のワイアットはエイデンのことで、キーラは実在していて亡くなったと言われる。

 

マスターファイルを作ったハッカーバクーニンと会うために二人はロンドンへ飛び、エリーに小説の続きを書くようにエイデンは勧める。エリーは言われるままに小説を書き始めると、何かのひらめきでバクーニンのアパートが分かりそこへ向かう。そこで床下に隠されたバクーニンのログブックを手にれた二人は、デヴィジョンの追っ手から逃れ屋上からボートに飛び乗って脱出、エイデンの自宅に避難する。

 

一時は信用したエリーだが、エイデンが浴室で何やら電話をしているのを聞き、それが自分を殺そうとしていると勘違いしてエイデンこそが敵だと思い、その場を逃げ出し、母のルースに連絡をする。ルースはロンドンでかつてハネムーンで行ったホテルに部屋を取ったからとそこでエリーと落ち合う。そしてやってきたエリーの父はリッターだった。

 

リッターはエリーの持っていたログブックを撮影したが、そこへ、エイデンが駆け込んでくる。エイデンは、リッター達はエリーの両親ではないと話すとルースはエリーに銃を突きつける。エイデンはルースを撃ち、リッターを気絶させて脱出する。

 

エイデンはエリーを車に乗せフランスの片田舎の葡萄園に連れていく。そこにいたのは元CIA長官のアルフレッド・ソロモンだった。彼もまたマスターファイルを手に入れてデヴィジョンの一身を一網打尽にしようとしていた。そして、エリーこそはもとCIAエージェントレイチェルだと明かされる。

 

エイデンが殴りかかるといとも簡単に反撃するエリーは、自分がエージェントだという記憶が蘇り始める。レイチェルはバクーニンの所へ行きマスターファイルを手に入れる前にバクーニンを撃ち殺したが、バクーニンが仕掛けた装置で部屋が大爆発し、川に投げ出されたのだった。川に投げ出されたレイチェルをリッター達が捕獲して、作家としての記憶に洗脳して、マスターファイルのありかを思い出させようとしていた。

 

エリー達はハッカーのログブックから、アラビアにある秘密の番人サバのところにマスターファイルがあることがわかり、サバのところへ二人はいく。金色のドレスを纏ったスパイレイチェルはサバからマスターファイルを手に入れ、パソコンでチェックするが、デヴィジョンの構成員の中に自分の姿を見つける。どうやらレイチェルはデヴィジョンの構成員だった。

 

そこへリッター達もやってきてエイデンを拉致する。そしてアルフレッドの居場所を聞き出そうとするも聞き出せず。レイチェルはエイデンを撃ち殺し、エイデンの持っていたマスターファイルをリッターに渡す。そして、レイチェルは連れて行かれたフランスの葡萄園のありかを記憶と抜群の推理から弾き出す。しかし、実はエイデンは死んでいなかった。レイチェルは心臓の隙間を狙って撃ったのだった。

 

エイデンとレイチェルは発煙筒のカラフルな煙の中でデヴィジョンの追っ手を次々と葬り、地下へ逃げる。そこで銃撃戦をすると黒い液体が床に広がる。それは石油だった。なんと二人が連れて行かれたのはタンカーの中だった。レイチェルはかつての記憶からスケートの名手だというのを思い出し、ナイフを靴に埋め込んでスケーターよろしく石油の上を滑りまわって敵を次々と倒していく。このシーンが抜群に楽しい。

 

そして、マスターファイルをアルフレッドに送信しようとするが、そこへルースがスケートのオルゴールを持って何やら暗号めいた言葉を発するとレイチェルはエイデンに襲いかかる。どうやら洗脳時に催眠術がかけられているらしかった。しかし、すんでのところで、作業員らしい人物がルースを殴り倒しオルゴールが壊れ、レイチェルは正気に戻る。そしてファイルはアルフレッドに届く。その作業員こそ、心臓の脇を銃弾が貫通し奇跡的に死ななかったキーラだった。三人はボートに乗り脱出、タンカーは大爆発、小説「アーガイル」はエンディングを迎えたと発表会のエリーの姿でエンディング。エンドクレジットの後、20年前、若きアーガイルがキングスマン機関で働いている場面が映って映画は終わる。

 

とにかく楽しい映画で、少々ストーリーが込み入りすぎた気がしますが、クライマックスのスケーターシーンなども含め、全てが空想冒険活劇になっているのがとっても面白い映画だった。

 

「コットンテール」

クローズアップを多用した映像が少々暑苦しささえ覚える作品で、物語は単純ですが、心象風景が見えてこないのは演出の悪さか脚本の弱さか、今一つ心に訴えかけてくるものを感じられない映画でした。監督はパトリック・ディキンソン。

 

アパートの屋上でぼんやりしている主人公兼三郎の姿から映画は始まる。部屋に戻ると息子の慧がやってくる。そして兼三郎の身支度を整えさせる。どうやら兼三郎の妻明子の葬儀の日らしく、酒を飲みぼんやりしている父を息子が迎えにきたらしい。

 

葬儀場でも、空を見ているような兼三郎に辟易とする慧だったが、葬儀の後、住職が明子から預かっていた一通の手紙を兼三郎に渡す。そこには、自分の遺灰はイギリスのピーターラビットの故郷ウィンダミア湖に撒いて欲しいというものだった。兼三郎は、明子と出会った若き日、付き合い始めた日、明子が自身が認知症ではないかと不安な気持ちを伝えた日を回想しながら、明子の遺品の中からウィンダミア湖の写真らしきものを見つける。

 

兼三郎は一人で行くというが、慧とその妻さつき、孫のエミも一緒に行くことになる。ホテルに着くと、兼三郎は、慧が準備した列車ではなくすぐにでも出発する列車に乗りたいと駄々をこね慧らに嫌がられる。そして、結局一人でウィンダミア湖を目指すが、列車を乗り間違えたり、自転車で走ってとんでもない所へ行き、地元のジョンらの家族に助けられたりする。

 

連絡で駆けつけた慧らとウィンダミア湖へ行くが、写真に写っている湖と違うことがわかり、さらに近くの湖を探す。兼三郎は明子が入院して、痛みに苦しんでいた頃を思い出す。そして、兼三郎が手を下したのかどうか曖昧な場面の後、息を引き取った明子の場面に繋がる。

 

兼三郎らはようやく写真の湖を見つけ、慧と二人で散骨する。慧と兼三郎の心は通じ合えたのか、慧の家族とうまくまとまってきたのか、結局その辺りが見えないままに映画は終わっていく。

 

ピーターラビットの件が全く意味をなさなくなってしまうし、なぜウィンダミア湖なのかが最後まで明かされない。しかも、慧、さつき、エミ、兼三郎のそれぞれの心が交わる場面が一瞬も見えないのは意図したものなのか演出の力不足なのかわからない。かたくなな兼三郎の態度の原因もこちらに訴えかけるものが見えないし、どうにもこうにも仕上がっていない映画に見えました。

映画感想「ネクスト・ゴール・ウィンズ」「コヴェナント 約束の救出」

ネクスト・ゴール・ウィンズ」

実話を元にしているとはいえ、物語の組み立てがとっても楽しくてユーモアに富んだ脚本が心地よいし、演出のうまさで肩の凝らないスポーツ感動ドラマに仕上がっていました。思いの外感動したし笑えたし、掘り出し物の佳作という感じです。監督はタイカ・ワイティティ

 

一人の神父が画面に向かって語りかける場面から、2001年W杯予選、米領サモアとオーストラリアの試合で史上最悪の0対31でサモアが大敗を喫するところから映画は幕を開ける。そして10年、あれ以降最下位のままのサモアのサッカーチームは、この日も奇妙なダンスの後試合に臨み、例によって負ける日々が続いていた。そこで、サモアサッカー協会会長のタビタは新しい監督を探し始める。

 

一方、アメリカ、かつて名選手でのちに名監督になったロンゲンは、その型破りな性格とキレやすい言動でついにクビになり、米領サモアのサッカーチームの監督に行くことになる。W杯予選まで四週間となって、サモア島にやってきたロンゲンは、風土色満載の出迎えとのどかな雰囲気に呆気にとられ、さらに、全く勝つ気もやる気もないサッカーチームに唖然とする。しかし、第三の姓を自認するシャイヤらと交流するうちに、本気でコーチをするようになる。

 

とは言え、メンバーも揃わずなかなか形がまとまらない中、ジャイアに話を聞くうちに、10年前の雪辱を覚えている旧メンバーの存在を知り、スカウトに回ることにする。メンバーもある程度揃い、いよいよトンガとの試合が迫ってくる頃にはロンゲンの気持ちも定まっていき、選手達との心の交流も仕上がってきていた。

 

そして迎えた試合当日だが、かつてのサッカー協会の知人もやってきてはロンゲンをからかう。そんな中試合は始まるが、思うように動けない選手を見てついにロンゲンは又キレてしまう。しかし、タビタの温かい心のこもった声かけで気を取り直し、後半、ついに同点から逆転して勝利してしまう。終盤の試合展開は、熱中症で倒れたタビタに息子が報告する形をとり、最後に駆けつけたキーパーでかつて31点をとられた悔しさに苦しむニッキーが最後の最後にペナルティゴールを止めて勝利した下りを話す。

 

試合の後、新しい監督依頼を断ったロンゲンだが、別の目標のためサモアを離れる決心をしたとメンバーに報告する。米領サモアのサッカーチームはこの後一度も最下位にならなかったというテロップとエンドクレジットの後、冒頭の神父が奇跡を起こそうと池に入って沈んでしまい映画は終わる。

 

軽妙でテンポのいい展開と、ありきたりなスポーツ映画にしない上手いストーリー構成が秀逸な一本で、全体がとっても心地よいリズムに満たされているのが良い。楽しい映画を見れた気がします。

 

「コヴェナント 約束の救出」

普通の社会派ヒューマンドラマで、特に秀でた映像も、巧みな構成もない映画だった。登場人物の背景をもう少し掘り下げていれば深い作品になったかもしれないが、それほど長尺にするのもどうかと思う。前半に力が入りすぎ、終盤の救出劇の部分があっさりしてしまったのはちょっと勿体無い気もします。監督はガイ・リッチー

 

アフガニスタンで軍事活動をするジョン・キンリー曹長らの部隊がタリバンの輸送車を止めて被害に遭う場面から映画は幕を開ける。その被害で通訳が亡くなり新たに雇うことになったキンリーは、勧められた一人の男アーメッドを雇うことにする。タリバンの爆薬工場を捜索するのがキンリーらの任務だったが、地元住民にも詳しいアーメッドの協力もあり、二箇所の工場の情報を得る。

 

ところが、最初に工場へ行く際、案内人が別ルートを提案し、それに合わせて進んでいたキンリーらはアーメッドのアドバイスで前方偵察を行うことになる。なんと前方にタリバン待ち伏せていて、案内人はタリバンに家族が人質にされタリバンの手引きをしたのだった。この事件以降キンリーはアーメッドを信頼し、もう一方の工場へ向かうことにする。

 

ところが、その工場に着いて捜索している途中、近くの村で潜伏するタリバンの部隊に連絡が入り、キンリーの部隊はタリバンの猛攻撃を受ける。応援がついた時は、キンリーの部隊はほぼ全滅、キンリーとアーメッドはかろうじて窮地を脱出した後だった。キンリーらは追ってくるタリバンを交わしながら逃亡するが、途中急襲されキンリーは大怪我を負う。アーメッドはキンリーを荷車に乗せ、自ら地元民の姿になってアメリカ軍の基地まで運び始める。

 

途中、何度かの危機を潜り抜けたアーメッドとキンリーはようやくアメリカ軍に救出されるが、キンリーの意識はすでになかった。四週間が経ち、キンリーはアメリカの病院で目を覚ます。さらに三週間が経ち自宅に戻ったが、アーメッドのことが頭から離れなかった。情報によると、キンリーを助けたアーメッドは英雄とされ、タリバンから執拗に追われて身を隠しているらしかった。キンリーはアーメッドらをアメリカに呼ぶべくビザ発給の手配をするが遅々として進まず、キンリーは上官の大佐のところに直談判に行き、一方で自らアフガニスタンへアーメッド救出に向かう。

 

民間警備会社のパーカーを紹介してもらい、現地で装備を整えて単身アーメッドを探すことになったキンリーは、ようやくアーメッドの潜伏先に辿り着き、パーカーとしめし合わせた救出場所のダムへ向かう。ところが、キンリーらを見かけたタリバンの偵察隊が後を追い、タリバンに連絡、ダムに向かうキンリーらを襲ってくる。そしてダムでタリバンとキンリーらは撃ち合いになるが、次第にキンリーらの弾薬が切れてくる。そこへアメリカ軍とパーカーらが救援に来て、無事救出され、映画は終わっていく。

 

なんのことはない普通の戦闘アクション人間ドラマという感じの一本で、ドラマ部分はかなり簡単に処理されているので銃撃シーンだけが妙に目立つが、全体には無難な作品だった。

映画感想「ジャン=リュック・ゴダール/遺言 奇妙な戦争」「ザ・フェイス」

ジャン=リュック・ゴダール/遺言 奇妙な戦争」

うとうとしかけたところでエンディングというなんとも言えない作品。映画なのか、ただのメッセージなのか、見ましたというだけの映画だった。監督はジャン=リュック・ゴダール、遺作短編映画である。

 

奇妙な戦争という映画の予告編というテロップから、切り貼りの映像が次々と映し出され、ゴダールによるナレーションらしきものやセリフらしきものが流れ、ロシア語のことやサラエボがどうの、などなどが延々と聞こえてくる。一瞬映画らしい映像が出るがすぐに消えて、あとはひたすら切り貼りの画面で、気がつくとエンディング。

 

まさにゴダールの最後に語りかける遺言というべきわけのわからない映画でした。

 

「ザ・フェイス」

久しぶりのインド映画。例によって、やたら多いスローモーションと、仰々しい音楽の連続、間延びした展開はしんどいが、ダンスシーンだけは毎回楽しめるから今回も良かったとしよう。二つの話が一つになるまでがやたら長く、結局後半の話がメインになって、前半の話はどうでも良くなり、エンディングは呆気にとられるが、これがインド映画だと納得してしまった。監督はバムシー・パイディパッリ。

 

バイザーグの街、地元のヤクザのドンヴィール・バーイがディープティという女に目をつけ強引に結婚しようと実家にやってくる。両親は必死で娘を隠し、娘の恋人サティヤと逃す。サティヤとディープティはバスに乗ってハイダラーバードへ脱出するが、ヴィール・バーイはそのバスを待ち伏せて大勢で襲い掛かり、ディープティを殺し、サティヤも亡きものにしてバスに火をつけてしまう。翌日、救出に来た救急隊が僅かに息があるサティヤを病院へ担ぎ込む。現れたいかにも優秀な女医師シャイラジャは顔に大火傷を負ったサティヤに整形して別の顔に生まれ変わらせる。

 

全く違う顔になったサティヤは、ラームと名乗って病院を抜け出し復讐のためにバイザーグの街に戻ってくる。そして、自分たちを襲ったヴィール・バーイの手下らをシュルティという女性の助けを借りて順番に殺していく。そして最後にヴィール・バーイを倒したラームだが、突然見知らぬ男に銃撃される。自分のことをチャランと呼ぶのを聞いたラームは、整形後の顔に意味があるとハイダラーバードの病院へ行き、シャイラジャに真相を聞き出す。

 

シャイラジャはサティヤを自分の息子チャランの顔に整形したことを話す。ハイダラーバードの街にはマフィアのボスダルマがいて、住民たちを恐怖で支配し巨大な土地を無理やり手に入れようとしていた。それに対抗したのが、正義感に燃える大学生のチャランだった。やがて彼の行動は住民を動かし、チャランの元で住民はダルマたちに反抗するようになる。ダルマはチャランを亡き者にしようと、チャランが乗り込んだバスを襲う計画を立てる。なんとそのバスこそサティヤらが乗ったバスだった。

 

サティヤらの騒動に巻き込まれ、さらにダルマが送った殺し屋たちとの死闘の末、友人の裏切りもあってチャランは命を落とす。リーダーを失ったハイダラーバードの住民達は落胆するが、勇気は捨てていなかった。そんな中、シャイラジャが施した手術で、チャランが助かったと思ったダルマたちは恐怖に慄く。全てを知ったサティヤはチャランとなり、住民たちを率いてダルマの邸宅を襲い、ダルマを倒し平和を取り戻す。チャランには恋人のマンジュがいた。シャイラジャの機転で逃がしていたが、マンジュを、いまはチャランになったサティヤが迎えに行って映画は終わる。

 

前半と後半が一つのなるまでがため息が出るほど長いのですが、後から整理してみれば単純な映画だった。久しぶりにインドダンスが見れたのでよしとします。

映画感想「マッチング」「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」

「マッチング」

雑なミスリードを繰り返すホラーサスペンスだと物語を追いかけて行ったら、最後の最後で騙されてしまったのは非常に悔しい。決して一級品の鮮やかさや起承転結のテンポの良さは見えないのだけれど、B級テイストを貫きながら必死で工夫を凝らしていくストーリー構成は面白い。この手の映画はこう言う出来栄えで十分と言えば十分かもしれない映画でした。監督は内田英治

 

マッチングアプリで結婚したカップルが惨殺されている現場から映画は幕を開ける。ブライダル施設で働く輪花は父と二人暮らしで、未だ独身で少々焦りを感じるとともに、恋愛を極端に避ける性格でもあった。仕事に不平を漏らしながらも同僚で親友の尚美と仲良くやっていたが、高校の恩師の挙式をセッティングする機会を得て、彼らがマッチングアプリで知り合ったと言うのを聞き、興味半分で登録する。しかし、引っ込み思案な輪花はなかなか前に進まない。そんな彼女に尚美が後押しし、マッチング率97%の見た目も良い吐夢という青年と接点を作る。

 

輪花は吐夢と初デートをするが、現れたのは写真と全く違う雰囲気の暗い青年だった。輪花はすぐに吐夢と関係を遠ざけるが、吐夢はストーカーのように輪花に接触してくる。しかも、自宅にまで押しかけてくるに及び輪花は恐怖さえ覚え始める。そしてマッチングアプリプログラマー影山剛に相談するようになる。吐夢というのは他のマッチングアプリでも問題を起こした人物らしかった。というかそういう入会を許可するこのアプリサイトはどうなのだという展開である。

 

以降も吐夢は何かにつけ輪花に近づいてきて、影山剛に接近しない方が良いと忠告めいたことをしてくる。さらにマッチングアプリ殺人事件が輪花の恩師のカップルも殺されてしまう。葬儀に行った輪花は影山剛に励まされながらも、次第に親しくなっていく。刑事たちの捜査も進まない中、吐夢や輪花にも聞き込みをするも埒があかなかった。

 

そんな時、輪花の自宅に無言電話が入る。その電話以降、父芳樹の様子が変わり始める。父芳樹は輪花が幼い頃、ネットのチャットで知り合った女性節子に執拗に迫られていて苦しんでいた時期があった。輪花が保育所で一人遊んでいると節子が四葉のクローバーを輪花に与えたりして接近してくる。節子のアパートへ行った芳樹が別れることを告げると狂ったように包丁で芳樹に襲いかかる。その際、帰ってきたら節子の息子に、もうすぐ兄弟ができると笑って叫んだりする。まもなくして、輪花の母美知子は公園に輪花を残して行方不明になっていた。

 

ある日、輪花の父は突然行方をくらまし、渓谷で自殺してしまうが、警察は他殺と考える。さらに、吐夢は尚美にも接近し、尚美から輪花に話があると連絡が来る。輪花が尚美のマンションに行くと突然尚美が階上から落下して死んでしまう。身近な人間が次々と死んでいく中、輪花は影山剛に、一軒の廃墟になった団地に連れて行かれる。そこで影山は、自分の母は輪花の父芳樹に執拗に迫った女性節子だと告白する。そして芳樹に捨てられ苦しんだ節子を見て娘の輪花への復讐の機会を探っていたのだと言う。影山剛は輪花に迫ってくるが駆けつけた吐夢に助けられる。マッチングアプリ殺人事件の犯人は影山剛だった。影山は駆けつけた警官に逮捕される。

 

全てが終わったかに見えたが、吐夢から、真実を知りたいかと輪花に連絡が入る。そして吐夢は山深い施設に輪花を連れていく。現れたのは車椅子に乗った女性とその世話をする女だった。話をする中、その世話をしている女こそ影山の母節子で、芳樹の不倫相手だった。しかも、車椅子の女は、両足に足枷をはめられた輪花の行方不明になった母美知子だった。輪花を公園に残して美知子は節子に話をするつもりだったが、節子は輪花の母を拉致して二十五年暮らしていたのだ。そして節子は輪花も殺そうと鋏を振り上げるが、すんでのところで吐夢が飛び込み身を挺して輪花を守る。

 

刺された吐夢が入院している病院に輪花が現れる。輪花は吐夢に新しい靴とシャツをプレゼントする。吐夢は留置所の節子に会いにいく。吐夢はロッカーに捨てられていたのだが、手にクローバーの入ったロケットを握っていた。節子が芳樹と付き合っていた頃にできた影山剛の弟が吐夢だった。

 

その頃、取り調べを受けている影山剛は、自分が殺したのは輪花の恩師の高校教師のカップルと尚子だけだと言う。そして新たなマッチングアプリ殺人事件が起こったと連絡が入る。殺害に使ったカッターナイフを洗う犯人の足には輪花が送った靴、血だらけのシャツがあった。吐夢は輪花と再びデートをしている。二人は顔を合わせて微笑んで映画は終わる。輪花もまた吐夢と同じくカップルを殺害する同じ精神状態の持ち主だった。97%のマッチングの意味がそれだと言わんばかりで映画はエンディング。

 

なるほど、二転三転させるのはしつこいほどに凝っているが、鮮やかさのテンポにはちょっと欠けるし、脇役が完全に死んでいるのは勿体無い。さらに、凝りすぎたために微妙な矛盾が見えなくもないのは残念。輪花が殺せない恩師と親友以外は吐夢らが殺したと言う裏読みも面白いし、良くできたB級ホラーサスペンスとしては楽しめる映画でした。

 

「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア

とってもテンポが良くて、それでいてユーモア満点な上に、ほろりと感動させる名作に出会いました。死期が迫った二人のアウトローロードムービーの傑作。音楽もいいし、ストーリー展開もとっても楽しい。それでいて絵作りも面白くて、どんどん引き込まれていく。エンタメ性も抜群で、憎めないキャラクターがとにかく最高の映画だった。監督はトーマス・ヤーン。

 

トゥルーロマンスという派手な風俗店の看板、店内でセクシーなダンスをする女性たちの傍で床掃除をする二人のギャング、一方が言うジョークを全く理解できないアラブ人の相棒。幹部のフランクが女たちのダンスにハッパをかけ、二人の手下に仕事を依頼する。かっこいいベンツをあてがわれ、何やら輸送するように指示されて映画は始まる。

 

一方列車の中、禁煙なのにタバコを吸うマーチンの前にルディという真面目そうな男が座る。二人はこれから病院で検査をするらしいが、それぞれ病院で、マーチンは脳腫瘍でいつ死んでもおかしくないと宣言され、ルディは骨肉腫で末期癌だと告知される。そしてたまたま二人は同じ病室になって再会する。マーチンはそこでもタバコを吸う。

 

一方ベンツで仕事をするギャング二人は、途中で不良少年を跳ね飛ばしてしまい病院へ連れていく事になる。少年は悪ガキで、ギャングたちに妙に絡む。その頃、この病院にいたルディとマーチンだが、病室にたまたまあったジンを飲むのに厨房へ行きレモンと塩をアテに飲んでいて、ルディが海を見たことがないと聞いたマーチンが、それなら海を見に行こうと地下の駐車場へ行く。そこでかっこいいベンツを見つけた二人は、ドアが開いていたこと、キーも中にあったことからちゃっかり盗んで走り始める。出口で、ようやく解放されたギャング二人に道を聞いてそのまま逃走、自分たちの車だと気が付いたのはそのあとで、フランクに叱られ、ギャングたちは車を取り戻しに向かう。

 

マーチンたちはベンツのグローブボックスで拳銃を見つけ、ガソリンスタンドで店主を脅して金を奪い、逃げる途中、車を中古屋へ預けて銀行強盗に入ってとりあえず逃走資金を工面する。一方ギャングたちは中古屋で自分たちの車を見つけたが買い戻す金がなく、銀行強盗に入るが、そこはマーチンたちが先に襲った後だった。

 

マーチンたちは中古屋でベンツを買い戻して逃走するが、ベンツのトランクにアタッシュケースに入った大金を発見する。マーチンたちは衣装を買い揃え豪華なホテルに泊まり、贅沢三昧しようとする。マーチンは時折発作を起こし、劇薬を飲んで抑える。

 

翌朝、ベンツを追ってきた警官たちがホテルでベンツを発見し乗り込んでくる。マーチンはルディを人質だと偽ってその場を脱出、警官の制服を奪ってパトカーで逃走するが、途中でオーバーヒートし、出くわした自家用車をうまく騙して再度逃走。一方ギャングたちはようやく車を取り戻すがフランクに報告に行くとトランクに金がない。フランクは手下にマーチン達を追うように指示する。

 

こうしてマーチン達はギャングたちと警官に追われる事になる。フランクは、手下に任しても埒があかないので無法者ギャング団を呼び寄せる。無法者たちとパトカー軍団に挟み撃ちにされるマーチン達だが、トウモロコシ畑に逃げ、警官隊と無法者の銃撃戦が起こる。しかし逃走したマーチン達の車は崖から車が落下してしまう。

 

それでも、逃げおうせたマーチンたちは、手にした大金で死ぬまでにやりたいことを書き出し、お互いに何をするか決める事にする。マーチンはエルビス・プレスリーの大ファンの母親に、プレスリーがしたのと同じようにピンクのキャデラックを送るのだが、実家に行ったところで待ち構えていた警官に捕まりそうになる。

 

ところが突然マーチンが発作を起こして倒れ、救急車に乗せられることになるがルディも同乗したいと言う。ヘルシンキシンドロームだと警官たちが納得し、ルディも同乗するが実はマーチンのお芝居で、二人はまんまと救急車を奪い海へ向かう。途中、ルディのやりたいことの一つ、女二人とSEXするというのを叶えるために通りかかりの風俗店へ入る。ところがそこはなんとトゥルーロマンスだった。

 

女を選んで部屋に行く途中、ギャング二人に見つかり、マーチン達はフランクらに追い詰められるが、そこへ大ボスのカーチスがやってくる。新聞記事でマーチンたちのことや病気のことも知っていたカーチスは、二人を送り出してやる。マーチンとルディは救急車で海にやってきて浜辺に立つ。やがて太陽が昇る中、マーチンは事切れて死んでしまう。ルディが寄り添って映画は終わる。

 

とにかく、映画が面白い。詰め込まれたストーリー展開が抜群の音楽センスとテンポ良い流れであれよあれよと進んでいく心地よさと、エロと毒を織り交ぜているのに憎めないほどにユーモア満点で、切ないラストと相まって映画が本当に心に残る感動を呼び起こしてくれます。生涯好きな映画の一本が増えた気がします。本当にいい映画だった。

映画感想「マダム・ウェブ」「落下の解剖学」

「マダム・ウェブ」

前半、説明過多でちょっともたつくものの中盤からクライマックスにかけて、どんどん主人公の能力が目覚めて来るとエンタメ感が増してきて楽しめました。マーベルコミックのマダム・ウェブ誕生の物語という展開ですが悪役が精彩にかけてカリスマ性不足で、テンポが悪くなっているのはさすがに残念でしたが、全般には異色作の面白さがありました。監督はS・J・クラークソン。

 

1973年ペルーアマゾンの奥地、希少な蜘蛛を調査しにきたカサンドラと相棒のエゼキエルの姿から映画は幕を開ける。カサンドラは妊娠していてすでに臨月だった。この地にはクモ人間という伝承が残されていて、さがしている蜘蛛には奇跡的な治癒能力が期待できた。そしてカサンドラはついにその蜘蛛の捕獲に成功するが、突然エゼキエルが従者らを銃で撃ち殺し、カサンドラから蜘蛛を奪おうとする。抵抗するカサンドラを撃ち蜘蛛を持ってエゼキエルは逃げてしまう。瀕死のカサンドラをクモ人間たちが救出し、洞窟の中で出産させるが、間も無くカサンドラは死んでしまう。そして30年後、2003年に舞台が移る。

 

救急隊のキャシーはこの日も救急活動に勤しんでいた。相棒のベンと飛び回る日々だったが、ある日、橋梁に突っ込んだ車から救出する際、キャシーは車もろとも川に落下してしまう。九死に一生を得て助かったが、この日からデジャヴのように景色を繰り返すようになる。

 

その頃、エゼキエルは、巨万の富と権力を手にしていたが、毎晩三人のクモ人間に十年後殺される夢を見ていた。政府組織の最新システムを盗んだエゼキエルは、自分を殺す三人の現在の姿を再現して亡きものにしようと追跡を開始する。三人はジュリア、マティ、アーニャという名でまだ未成年の少女たちだった。エゼキエルには蜘蛛の毒から得た超人的な力があった。

 

キャシーはその後も時間を繰り返す経験を重ね、同僚の事故を予知したものの防げなかった自分を後悔していた。しかし、たまたま窓にぶつかって死んだ鳩をタイムループで助けたことから、自分にできる何かを求めて列車に乗る。ところがそこに乗り合わせた三人の少女が謎の男に殺される景色を見てしまう。キャシーは、三人に迫るエゼキエル=クモ男から救出して脱出する。執拗に追って来るエゼキエルを巻いて森に逃げ、キャシーは母が残したノートを見直すべく自宅に戻る。

 

三人を取り逃したエゼキエルは、捜査システムで三人を追っていたが、三人がキャシーを待ちくたびれて勝手にファミレスに行ったところを発見する。駆けつけたキャシーに三人は救出され、そのままベンの弟夫婦の家に三人を預けて、キャシーは母が残したメモを元にペルーに向かう。そして、母を助けた人物に会い、いずれ目覚めて来るキャシーの能力について教授される。キャシーの母カサンドラは、キャシーがお腹にいる時、キャシーは筋肉が弱る病を先天的に持っていると忠告されていた。そして奇跡を信じてペルーに行ったのだった。

 

一方、ベンの弟の妻が突然破水し、急遽病院へ向かうことになり、車で家を出たところをエゼキエルのシステムに発見される。そこへ戻ったキャシーは救急車を奪取して三人を救出、エゼキエルを倒すべく、花火工場の廃工場へ向かう。そこでキャシーは自らの予知能力を駆使して巧みに火薬を爆破させながらエゼキエルを翻弄していき、最後にとうとうエゼキエルを倒すが、キャシーは川に投げ飛ばされて沈んでいく。三人がキャシーを助け蘇生したがキャシーは両目が見えなくなっていた。家庭に顧みられていない三人は家を出てキャシーと暮らすようになって映画は終わる。

 

予知能力を駆使して悪を退治するマダム・ウェブの誕生で締めくくるのですが、クライマックスの花火シーンはなかなか面白い。キャシーの母の行動説明やエゼキエルの背景、三人の少女の家庭事情などが言葉の説明だけで済ませていてやや雑で全体に優れた仕上がりとは言えないけれど、地味ながらに、派手なアクションとはまた別のエンターテイメントを楽しむことができました。

 

「落下の解剖学」

覚悟はしていたけど、相当にハードな映画でした。物語はシンプルですが、延々と戦わされる機関銃のような法廷劇シーンだけでなく、ふっと息を抜いた時のわずかなセリフにも意味を込め、さらに何気なく捉えているカメラの先に映る犬や雪景色、草原との色彩対比、わずかなカメラアングルにも描かんとするメッセージを込めていく演出は恐ろしい。これほどまでの作品になると、わからなくても、また感動しなくても、受け入れられなくても決して恥ずかしくないのではないかと思えます。唖然とさせる傑作だった。監督はジュスティーヌ・トリエ。

 

雪深い山荘、階段からボールが落ちてきてそれを咥えに一匹の犬が降りて来る。作家のサンドラは学生のインタビューをこの家で受けている。突然、階上で大音響で音楽が鳴り始める。サンドラの夫が鳴らしているらしい。サンドラの息子ダニエルが愛犬のスヌープをお風呂に入れてやろうとしている。嫌がる犬を無理やり洗ってやるダニエル。サンドラのインタビューは、嫌がらせにしか聞こえない大音響の音楽でとうとう中止になり、学生は帰ることにする。ダニエルはスヌープを連れて散歩に出る。ダニエルは視覚障害があるようで真っ黒なサングラスをかけている。

 

ダニエルが戻ってくると小屋の前に父サミュエルが頭から血を流して倒れているところに出会し、母サンドラを呼ぶ。救急車が来たがすでにサミュエルは死んでいた。どうやら三階から落下したようだが、小屋の前の物置に飛び散った血などから警察は他殺ではないかと疑い始め、サンドラが被疑者とされる。サンドラは旧友で元彼のレンジに弁護を依頼する。そして一年が経つ。

 

裁判が行われ、サンドラは法廷で執拗な検事の追求を受け始める。サンドラはバイセクシャルで、夫を愛しているが、インタビューに来た学生も誘惑したとか、過去の不倫疑惑まで表にした末、サンドラとサミュエルは日頃から口喧嘩が絶えず、その様子をダニエルも聞き知っていたことなどへも言及していく。

 

サミュエルもまた作家だったが、ダニエルが四歳の時、サミュエルに代わってシッターと出かけた際に事故にあい、その責任を感じて自身の作家活動が滞っていた。しかしサンドラの仕事は順調だった。サミュエルはこの地に移り住み、末は民宿を経営しようと室内の改装などもしていた。サミュエルはサンドラとの喧嘩を録音していて、その録音も証拠として裁判で公開される。ダニエルには、精神的なサポートと母サンドラの証人でもある関係で裁判所からマルジェという女性が付き添うようになっていた。

 

法廷では、検事は時に作家であるサンドラとサミュエルの立場などを引き合いにしては、サンドラが殺害したのではないかと問い詰めるが、いつのまにか唯一の他殺の証拠である小屋の血痕さえも傍に置かれ、状況からの推測が次第にその割合を占めていくようになる。次々と登場する証言者の証言に推測の域がどんどん追加されて、末は、過去にサンドラが書いた小説を検事は引き合いにし始めるに至って、果たして真実はどこから現実的なものとして具体化するのか翻弄され始める。

 

サミュエルは過去に自殺未遂したこともあり、アスピリンを大量に飲んで吐いたこともあったとサンドラは証言するが、それが今回の落下事件に結びつくのかさえ曖昧になる。そして一通りの証言が終わり週末に結審されるはずが、ダニエルが最後に証言したいと言い出し、週明けまで結審が延ばされる。

 

ダニエルは週末にサンドラと一緒に過ごしたくないと言い、サンドラは家を離れ、ダニエルはマルジェと週末を過ごすが、ダニエルはスヌープに大量のアスピリンを飲ませる。かつて、スヌープが吐いたことがあり、どうやらサミュエルが自殺未遂で吐いた吐瀉物を口にしたことがあるのではないかと実験したのだ。ダニエルはマルジェに、サンドラが殺したのではないと思っているが、過去の父サミュエルの自殺未遂などは知らなかったことから、最後の証言をどう話すか悩んでいると言うと、マルジェは、真実はどれかは自身で決めるべきだと進言する。かなり意味深なアドバイスです。

 

週明け最後の証言台に立ったダニエルは、かつてスヌープが病気になり、サミュエルと病院へ向かう車の中で、いつかは死を迎えることは覚悟しないといけないと言われたと話す。そしてそれは犬のことではなくサミュエル自身のことだったのかもしれないと話す。結局、サンドラは無罪が認められる。サンドラは車の中でダニエルに、家に戻ってもいいか尋ね、ダニエルは了解するが、サンドラはレンジらと酒を飲んで、無罪を喜び夜遅くなって家に戻る。マルジェは今夜は二人きりで過ごした方が良いと家を後にし、サンドラは眠ってしまったダニエルをベッドに連れていき寝かしつけた後、自分はベッドに横になる。傍にスヌープがやってきて添い寝して映画は終わる。

 

真相を推理する作品ではなくて、具体的な証拠から入る物語がいつの間にか推測の中に埋もれ始め、結局、最後の結論はどう締めくくるかを決めた事による結果として収束すると言う恐ろしく奥の深いメッセージを含めた仕上がりになっている。舞台がフランスグルノーブルになっていること、サミュエルはドイツ生まれで、サンドラはフランス語は苦手で英語を話す事、ダニエルが視覚障害である事、犬の使い方、スヌープが追いかけるボールや小枝、アスピリン、酒、這うようなカメラアングル、それぞれに無駄のない演出を施した恐ろしい作品で、見終わってぐったりとしてしまった。果たして自分の解釈が正しいのか自信がないが、映画作品としては群を抜いたヒューマンドラマの傑作だったと思います。

 

 

映画感想「ソウルメイト」「ゴースト・トロピック」

「ソウルメイト」

オリジナル版も良かったが、これはこれでめちゃくちゃ良かった。今回、設定は一部変更してますが展開やセリフの隅々までほとんど同じですが、ラストはわかっているとはいえ泣いてしまいました。監督はミン・ヨングン。

 

精密画を描く手のアップから、その絵が保管されている地下のギャラリーへミソという女性が案内されるところから映画は幕を開ける。ギャラリーの学芸員が見せたのは巨大なミソの若き日の顔の大作だった。学芸員は作者であるハウンに連絡を取りたいので居場所を聞くがミソはわからないと答える。しかし学芸員はハウンがアップしているBLOGを示して、ミソが連絡をとっているのではないかと尋ねる。ミソはハウンと出会った日を思い出す。

 

済州島、小学生のハウンは授業中も先生の絵をノートに書くほど絵が好きな少女だった。ある日、ソウルからミソという少女が転向してくる。ミソはハウンの隣の席を指定されるが、座った途端学校を飛び出してしまう。ハウンはミソの鞄を持って後を追いかけ、高台に登っているミソを発見、高いところが苦手なハウンに、目を細めて登っておいでとアドバイスする。こうして二人は仲良くなり、ミソは時々ハウンの家にも遊びに来るようになる。ミソもまた絵を描くのだがかなり個性的だった。

 

高校生になった頃、ミソの母がミソを置いてソウルに帰ることになり、ミソはコテージのような家でバイトをしながら済州島で暮らすようになる。ミソはバイクに乗ってハウンを誘って遊ぶようになるが、ハウンがバスケットボールをしているジヌに恋心を抱いていると知り、あらかじめジヌに会ってハウンに興味を持つように頼んでやる。やがてハウンとジヌは付き合うようになる。ある時、ライブハウスにやって来た二人はそこでバイトをしているミソと出会う。そして三人であちこちに遊びにいくようになる。

 

大学受験が迫った日、森の奥の洞窟の祠に合格祈願に三人で出かけるが、ハウンは靴擦れを起こしてしまう。ジヌとミソが二人で祠へ行くが、そこでジヌは、いつも首にかけている御守りのペンダントの説明をする。そしてついミソと口付けをしてしまう。まもなくしてミソは絵の勉強をしたいとソウルへ旅立つことになるが、その見送りの港でハウンはミソがジヌのペンダントをしているのを見つけてしまう。ミソは、ソウルではバイトを掛け持ちしながら貧しい生活の中絵を描き、ハウンには、楽しく暮らしていると嘘の手紙を送る。

 

しばらくして済州島にやってきたミソはハウンと楽しく過ごす、旅行に出かける。しかし生活が苦しく、世渡りの術で人と接するミソに対し、ハウンはラブホテルに泊まろうとするのを普通のホテルに誘い、外で食事しようとするのをホテルの高級レストランに誘う。たまたまミソのカバンを見たハウンはそこにジヌのペンダントを発見し、ついミソにそっけない態度をとり喧嘩別れしてしまう。

 

ハウンはあれから教師になるべく教育大学へ行き、ジヌは医者になるべくソウルに旅立つ。時が経ち、ジヌはソウルでミソに再会する。ミソは投資会社の社長を恋人にして、安定した生活をしていた。ところが、再会したジヌと話している最中、ミソの恋人は首を攣って自殺してしまう。それから行き場のなくなったミソはジヌの部屋で暮らすようになるが、ある夜、酔っ払ったミソを介抱して戻ってきたジヌは遊びに来たハウンと鉢合わせてしまう。ハウンはミソを責め、二人はジヌの元から去っていく。

 

反省したジヌは済州島へ戻りハウンにプロポーズする。そして結婚式になるが、ハウンが教師を辞めて絵を描きたいというのに否定的な返事をしたジヌのことが引っ掛かり、式の後ハウンは式場から姿を消す。時が経ち、ソウルで仕事をしているミソのところにハウンがやって来る。一方、ジヌは医師になりソウルで働いていたが、たまたまハウンのBLOGを見つけ、連絡先を辿ってギャラリーで聞いてミソと再会する。ジヌはミソに、ハウンの行先を聞くが、そこにハウンからの電話がミソに入る。ところがそれはミソの娘の名前だった。ミソが面倒を見ているのはハウンとジヌの娘で、娘の名がハウンだった。

 

ミソはハウンの娘を世話するようになった経緯をジヌに話し始める。ソウルのミソの会いに来たハウンは妊娠していた。間も無くして女の子を産むが、ミソが病院へ見舞いに行くと置き手紙を残してハウンがいなくなっていたのだという。ハウンは自由を求めて娘を残して旅立ったのだとミソはジヌに打ち明ける。ハウンは、望んでいない教師を捨て好きな絵の道へ進んだのだった。事情を聞いたジヌはミソと別れる。

 

一人になったミソは、本当のことを回想する。ハウンが出産してしばらく後にお見舞いに行ったミソは、ハウンの容態が急変し大量出血して亡くなったことを知る。ミソはハウンの娘を引き取ることになるが、ミソの年齢は27歳だった。学生時代、ミソは27歳まで生きることに決めたとハウンに話していた。ミソはそれまで事故がないようにジヌに御守りのペンダントを借りたのだった。

 

ミソはハウンがソウルで一人暮らしていた部屋を訪れる。そこはかつてミソが暮らしていた部屋だった。その部屋にはたくさんの二人の思い出があり、ミソを描いた精密画が残されていた。ミソはその続きを完成させ、ハウンになり変わってギャラリーに送り、ギャラリーとの契約は遠慮する旨を伝える。元気だった頃のハウンは、夢だったバイカル湖へも赴き、一人氷原を歩く姿で映画は幕を閉じる。

 

若干の設定の変更はあるのですが、おおむねの展開は同じなので、どんどん引き込まれて、終盤の真実が見えて来ると涙が止まりません。オリジナルに負けない出来栄えだと思いました。

 

「ゴースト・トロピック」

16ミリフィルムの柔らかい映像で描く一夜の何気ない物語で、これという劇的なものもなく淡々と普通の時間が映し出されていくのは、先日見た「Here」と同じ監督だからでしょうか。シュールというわけではなく、映像詩という感じです。細かくインサートカットが繰り返されたり、長回ししたりしながら流れていき、それほど長くない作品なので最後まで見れた一本です。監督はバス・ドゥボス

 

居間を捉えるカメラ、次第に黄昏ていき、ナレーションが被りながらやがて暗闇になる。灯が入ると、ビルの清掃をする人たちが集まって談笑している場面に繋がり、主人公の女性ハディージャが仕事を始める。仕事を終えて帰路に着く彼女は、列車に乗っていてやがて居眠りしてしまう。そして終点まで行ってしまい、娘に連絡をするが電話に出ない。

 

仕方なく、お金を下ろしてなんとか帰ろうとするが、やっと見つけたATMで操作すると残高不足と出る。そこの警備員に教えられた深夜バスに乗るが、急遽運休になってしまう。仕方なく夜の道を歩き出すハディージャは、路上で倒れている浮浪者を発見、近くに犬もいた。救急車を呼んでやり、犬はその場につないで浮浪者は搬送される。

 

コンビニに入りコーヒーを飲んで、そこの店員の女性の車で送ってもらうが、途中、友達と遊んでいる娘を発見して、車を降りて様子を見る。その後、帰路に着くが、途中で救急病院の前を通り、さっきの浮浪者がどうなったか聞くために入ると亡くなったという。繋がれていた犬は紐が解けて何処かへ走り去る。

 

なんとか家に着いたハディージャはベッドに横になり、しばらくして起き上がって服装を整えて出ていく。娘は明るいビーチで友達と戯れている。冒頭の居間に次第に灯が差してきて映画は終わる。エンドクレジットは、虫食い状のクレジットが埋まって行ってエンディング。

 

淡々と紡ぐ作品で、映し出される柔らかい映像を感じていくだけの一本ですが、こういう描き方もありという作品でした。

映画感想「劇場版マーダー★ミステリー探偵・斑目端男の事件簿 鬼灯村伝説 呪いの血」

「劇場版マーダー★ミステリー探偵・斑目端男の事件簿 鬼灯村伝説 呪いの血

全く見る映画がなくなって、仕方なく時間潰しで見に行った。俳優陣にキャラクター設定と行動指示のみ与え、セリフはほぼアドリブで進む作品。物語がもうちょっとしっかりできていればこれはこれで面白いエンタメだったのだろうが、そもそも推理ドラマが適当すぎて面白みがなく、だらだらとやたら長く感じさせるだけに見えてしまった。即興の演技の面白さも今ひとつで、まあバラエティを見ているような仕上がりの一本だった。監督は光岡麦。

 

1991年、一人の少女の死体が森で発見され、それを抱き起こす父親のカットから、2012年、鬼灯村の奇妙な儀式へとジャンプカットして映画は幕を開ける。一夜に三人の生き血を捧げると死者が蘇るという伝承が伝わる村、この日一乗寺家では会食が行われていた。体調不良を訴えた当主が二階の寝室に引き取り、残った客や妻たちが歓談する中、妻の初乃と友人の七尾が当主の様子を見に行くと当主は血を流して死んでいた。駆けつけた女中の三宅らが大騒ぎする中、庭で不審な人物が見つかる。その男は八村というミステリー探検を動画にアップして稼ぐ男だった。

 

八村が疑われ、一乗寺家に引き入れられるが、土砂崩れで村道が寸断され警察も呼べない中、この場を推理していくことになる。当主の友人の五階堂、医師の六車、料理人の二宮、執事の四谷らは、それぞれ何か手掛かりはないかと邸内を物色することになる。ところがしばらくして当主の遺体を安置しようと二階へ行った四谷も殺される。他の面々は五階堂が捨てた毒薬の瓶、六車の鞄にあったフグ毒の瓶、トイレの注射器、四谷の部屋のノート、当主の部屋の七尾の写真、などさまざまを発見したそれぞれが疑心暗鬼になっていく上に誰もが当主を殺すつもりだったドラマが見えてくる。

 

四谷の残したノートから、村はずれのトンネルの先の廃屋にヒントがあると、面々は廃屋へ向かう。そこには、当主の娘で21年前の事件の後行方不明になった当主の娘の遺体があった。そこで、八村は自身が探偵であることを明かし、犯人は六車だという。六車は幼い頃、当主の娘と幼い恋人同士だった。六車らと五階堂の娘と三人で森で遊んでいる時に、ふざけた拍子に五階堂の娘が、落ちていた割れた瓶で怪我をして死んだという事件があり、それを隠すために当主は娘を幽閉し、六車親子を追い出したのだ。

 

六車はこの村の言い伝えで、三人の生き血を集めて当主の娘を生き返らせようとしていた。そして最後の一人の殺害を計画し、揉み合う中で五階堂を刺し殺してしまう。六車は押さえつけられ、このお芝居を撮影しているスタッフが入って来て映画は終わる。エンドクレジットの後、六車が当主と四谷を殺したくだりの映像が流れてエンディング。

 

どう考えても矛盾だらけの展開なので推理ドラマとして破綻しているし、いくら即興芝居でも、役者全員大声で叫ぶばかりで統一性もキャラクターの個性もないし、まさに安直に作ったバラエティにしか見えない仕上がりは残念すぎる映画だった。