大友克洋監督が久しぶりにメガフォンを取った実写映画「蟲師」をみる。
特に大友監督のファンでも、アニメのファンでもないが、どこか期待の作品であった。
冒頭からラストまで、ひたすら静かな映画であった。日本の原風景そのものの自然の中の昔ながらの日本の生活が映し出されていく。
蒼井優演じる淡幽が非常に魅力的で、美しい。じっと座っているだけなのに全体からにじみ出てくる活力、そして優しさは並はずれている魅力がある。
また、オダギリジョーの主人公のギンコ(蟲師)の存在感も、特に派手な妖術や、バトルシーンがあるわけでもないのに画面からにじみ出てくる。
こうした淡幽やギンコなどの存在が、昔の日本にはあちこちにいたのではないかと思わずノスタルジイに浸ってしまう。
ギンコと旅をすることになる虹郎が山の頂から麓の彼方を見て「もうこんなところまで電気がきているのか」とつぶやく場面、そしてそれに続いてギンコが「いずれこのあたりは夜も昼のように明るくなるさ」と答えるシーンが印象的であった。
古き時代の終焉、新しい時代の幕開け、すでにギンコたちが歩いている山の遙か向こうでは現代的な新しい日本が次々と生まれているのではないだろうか。
そもそも、例によって、昔話を題材にしたCGアクションのような映画だと思っていた私にとっては、ちょっと驚きであった。大友監督というと私には「AKIRA」しかほとんど印象がない。あのスピーディとモダン性のかねあいがこの「蟲師」にも現れているのではないかと思っていたが、最後まで、まるで散文詩の如く静かな物語が続いていくのである。
ちょうど「もののけ姫」のクライマックスの森の中でのシーンににていなくもない。
要するに、古き懐かしい日本の原風景へのオマージュであり、そこにあった今では失われてしまった美しさ、暖かさへのノスタルジーとしての映画なのではないのでしょうか?
ラストシーン、ギンコがかつての育ての母を救ってやり、相棒の虹郎と分かれて、いずこかへ消えていくのは、それはまた新しい時代にとけ込んで、やがて消えてしまう自分の運命を暗示しているのかもしれません。
不思議な魅力の映画でした。