午前10時の映画祭、二本目である。はじめてみたのは学生時代だろうか?そのときもあまり印象に残っていないし、眠かった気もするが、やはり印象の薄い映画は何度見ても好みではないらしい。
フランソワ・トリュフォーが撮影現場をドキュメンタリータッチのストーリーに仕上げた実験的な映画であるが、一本の映画を撮るにあたっての、カメラの前にフィルターをかけ昼を夜に変えるいわば「アメリカの夜」と呼ばれる撮影手法を題名にし、映画撮影中におこるさまざまな男と女のうそと本当の心の葛藤、トラブルを描き出していく。
もちろん、撮影現場の裏話的な興味で楽しめるという娯楽性はあるものの、ストーリーの中心は男女のまがい物のような恋物語である。それが撮影の中でトラブルとなりながら、さまざまな恋愛ドラマをつむいでいく。
それはまるで撮影所という舞台を使っただけの現実世界であり、そこに繰り広げられる物語は現実と紙一重の物語なのです。
どたばたとしながら、なんとか映画は完成するものの、そこにあるのは、結局、右往左往する現実の私たちの人生も、いつの間にか行き着くべくして人生の終焉を迎えるようなものだといわんばかりなのである。
即興演出の妙味を徹底的に繰り返すトリュフォーならではのカメラ演出は当時としてはかなり斬新であったでしょうが、ここまで時代が進めば、今となっては決して珍しい演出でもない。しかし、トリュフォーが創り出す独特の映画リズムはやはり彼のオリジナリティであり個性であると思います。
前半の淡々とした撮影現場の展開、そして後半、ジャクリーン・ビゼットが登場してからの人間ドラマの展開と大きくうねっていくストーリーテリングは見事だと思います。ただ、やはり、印象に残るほどの好みの映画ではないですね。