くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「乱暴と待機」「ナイト・トーキョー・デイ」

乱暴と待機

乱暴と待機
ちょっとおもしろいのじゃないかなという不思議な期待で見に行った映画、何とも始まってから最後まで訳の分からない支離滅裂な展開に何ともいえない思いで劇場をでる結果になってしまいました。

原作があるので、原作のファンがそれなりに集まっているのでしょうか?なぜか笑いが飛び出してくる。物語にこれといって笑いの間もウィットの聞いたせりふも全く見られない。ナンセンスからくる笑いでもない。なにがこの笑いを生み出すのかわからないままに中盤から、いつの間にかこの不思議ワールドを当たり前のように見ている。常識で見ていたらバカらしくて座ってられない映画なのです。

映画が始まるととある家に引っ越してくる夫婦の足が写っている。小池栄子扮する妊婦の妻あずさとその夫番上(山田孝之)。引っ越し挨拶で近所へ行った夫はそこで奈々瀬という奇妙な女にであう。仏壇の前でお経を読んでいた彼女は番上の挨拶にしどろもどろに答え、ついには我慢できなくなったおしっこを漏らしてしまう。

実はこの奈々瀬はあずさの高校の同級生で、人に頼まれると断れず、嫌われるのを避けたいあまり、どんな男性ともSEXしてしまう。そんな奈々瀬の家に草履を投げ込んだり自転車を放り込んだりとやり放題で追い出そうとするあずさ。このショットも何ともナンセンスである。一方奈々瀬は兄と称する英則(浅野忠信)と同居。これもまた奇妙で、突然マラソンにいくといって屋根裏に上りのぞき見している。

こうして四人の訳の分からない毎日が描かれ、何事もことわれない奈々瀬は番上と関係を持ってしまいあずさと番上は離婚。しかし、その後、出ていった英則も帰ってきてまたもとの四人になって・・・・。

この映画を理解する感性は私には備わっていない。というか、この映画を素直に楽しめる人がいたら、是非説明してほしい。結局、なにをいわんとし、なにを語らんとする映画なのか・・・・。


「ナイト・トーキョー・デイ」
外国人の視点で見た夜の東京の無国籍でスタイリッシュな映像が男と女の不思議な物語を切実に語っていく。そこには日本人としては感じ得ない日本的な感情の世界が展開している。そんな非現実の東京の夜の物語がこの映画である。
画面の構図や夜の町の光のとらえ方が実に美しく、その美しさがかえって東洋的なエキゾチックな雰囲気を醸し出してくれる。純日本的な魚市場やラーメン屋台、ラブホテル、カラオケ、日本家屋の縁側などが実にクラシカルな中にあるSF的なムードを漂わせている映像はまさしく、外国人の視点である。その点はこの映画の美しさを倍増させて評価させるに十分な値打ちといえると思います。

どうしようもない男と女の感情の物語がこの映画の本編。子煩悩な父親長良が娘の自殺で狂ったように放心してしまう。それを哀れんで娘の夫ダビを殺すべ殺し屋を雇う父親の右腕になる部下石田の存在。
夜は魚市場で働く女が実は裏の顔が殺し屋であるという設定。なにもかもがあまりにも日本の風土に対する偏見の固まりがもたらした不思議世界である。

背後に流れるのはナツメロ。その音楽が絶妙にストーリーを運ぶのに効果的に演じられるからこれも監督の選択の才能のなせる技である。

映画の出だしで女の裸体に寿司が盛られ、それを外国人との商談の接待に使うというのもこれまた明らかな偏見。娘の自殺を知って感情的にその場で暴れる姿もあまりにも日本人をステロタイプ化している。

殺しを請け負った女リュウ菊地凛子)がそのターゲットであるダビと恋に落ち、ラブホテルでSEXを繰り返す。リュウとかつてであった初老の男のナレーションが所々でこのミステリアスな国の物語をサポートしていく。

仕事を成し遂げられず契約を解除するリュウに業を煮やした石田は自ら銃をダビに向けようとするがリュウが身代わりになって命を失うラストシーン。非常に浪花節的といえばそのまんまの世界である。

映像の所々に登場する「さぁみんなでキスをして」というような妙は団体のパフォーマンスや地下街にたたずむ木を身にまとった妙な生き物のショットなども不思議と日本的なイメージを増幅させている。

日本語の看板を無駄なく撮ったかとおもうと夜の町では極力アルファベットの看板のネオンをとらえて無国籍さをアピールした画面づくりも美しい。

つまりは、今や日本であって日本といえないような無国籍な場所になった東京を舞台に、スペイン人と日本人のやむにやまれぬ男と女の物語を描いた秀作といえる一本なのかもしれない。
ただ、個人的には好きな映画ではない。