くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「北京の自転車」

北京の自転車

ベルリン映画祭で銀熊賞審査員グランプリ、新人男優賞を受賞したにもかかわらず未公開だった2000年制作のまぼろしの映画である。
オリンピック開催前の北京を舞台に、著しく経済成長していく都会の姿と、一台の自転車が仲介となってふたりの青年の姿を通じ、そこへ農村からやってきた人々のその日暮らしに近い生活を描きます。そこには現代中国の矛盾点、躍動感あふれる社会の現状の一方で必死に生きる貧困層の人々の物語が非常に細かく組み立てた脚本によるストーリー展開によって映し出され、見応え十分な秀作でした。

映画が始まると、青年たちの顔のアップ、それぞれ、農村から都会にやってきて様々な職業で働いている事を一言ずつ応えていきます。ひととおりが映し出された後、自転車が走る様子が近代化されてきた都会の風景をバックにファンタジックに映し出されてタイトル。
タイトルが終わると、帽子をかぶった青年たちの姿が映され、主人公グイが自転車宅急便の会社にようやく就職できたことが語られます。高級自転車をあてがわれ、ノルマ達成次第で取り分が増えると共に自転車も自分のものになるという条件が社長の口から語られていく。中国の物価価値の尺度が描写さえていきます。

就職できた喜びと、早く自転車を自分のものにしたいために必死で働くグイ、配達先では経験したこともない発展していく北京の様々な様子が映し出されていきます。そしてようやく、自転車が自分のものになろうとしたその日、ふとした集荷の遅れで外にデルと自転車が盗まれている。消沈のまま夜を迎えてしまったグイは預かった荷物を配達し忘れて、翌日、社長に首を言い渡される。そこで「たかが自転車じゃないか」という社長の一言が、貧富の差が顕著になり始めた中国の姿を叙述に語っています。

盗まれた自転車を見つけてきたら再雇用してやるという社長の言葉に必死で探し始めるグイ。
ここで物語はもう一人の主人公である高校生のジェンの物語へ映ります。
その日暮らしに近い生活をすジェンの家庭は、「来月こそ自転車を買ってやる」とい父の言葉が示すように、生活はかなり厳しい。ジェンの彼女はいわゆるお嬢様で、彼女と対等につきあいたいのと友だちと対等に遊びたい一心で父の蓄えを持ち出し、中古屋から一台の自転車を買う。実はこの自転車は盗まれたグイのものだった。

たまたまグイの兄貴(?)の駄菓子やにきたジェンを見た兄はすぐさまグイに知らせ、グイはその自転車を取り返しにいく。しかし取り返したものの、ジェンの友だちに袋だたきに会い、結局、また取り替えされる。しかし、自転車に印を付けていたグイはジェンの家まで行って、父に印のことを話し、ふたたび取り返す。そんな中、ジェンの彼女はジェンから離れていく。

何もかもうまくいかないジェンは友人と再度グイの自転車を取りもどさんとするが、グイの抵抗で、結局、日替わりで使うことになる。こうして奇妙な自転車共有の日々が映し出されていく。
ジェンの友人やジェンの彼女が「たかが自転車じゃない」と慰める下りは、まさにグイの場合と同様の繰り返しである。

この作品は自転車を取ったり取り戻したりというシーンを繰り返しながら、急激な経済成長する中国の姿をさりげないセリフや生活描写で描いていく。少々、この繰り返しがしつこいと思えなくもないが、この後一気に物語はクライマックスを迎える。

ジェンの彼女が新しくつきあいだした青年はそのあたりのヒーローに近い男で、それがなんとも気にくわないジェンは、ある日、グイに自転車を引き渡す時間を遅れて、その男をつけ、コンクリートで殴る。
逃げたジェンがグイに自転車を引き渡し、「もうおまえ一人で乗ればいい」と告げているところへ殴られた男とその仲間が追いかけてくる。訳もわからず一緒に逃げるグイ。

結局追いつかれ、袋だたきにあい、一人が自転車を執拗にたたきつぶすのを見て、グイは思わずコンクリートで殴る。
ぼろぼろになった自転車を担いで、都会を歩いていくグイのスローモーション、カメラが引いて北京の大通りに渋滞する車の姿を写し出して映画は終わります。

前述したように、繰り返しが少々しつこく感じる部分と、グイやジェンの生活の姿が今ひとつ国柄がわからない私たちには理解しづらい部分もあるのですが、そのへんをさらりと流してもこの映画の良さは十分に伝わってくるのですから、これはこれで良い映画だったのだと思います。