くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「芙蓉鎮」

芙蓉鎮

中国文化大革命を背景に、一人の女性の半生を通じて、激動の時代に翻弄されていく人々の姿を重厚なカメラで描いた中国映画の秀作を見てきました。
横長の画面で大きく俯瞰でとらえた架空の街芙蓉鎮の甍の町並みの隙間からみえる村人の姿や、傾けたカメラによる対話シーンの大胆さ、時に雪景色の繊細な風景や家の明かりを黄色くとらえた映像など多彩な画面演出が実に美しい。そして、文化大革命に翻弄され、激動の人生を歩んでいく主人公胡玉音のささやかなラブストーリーの中には、ようやく落ち着いた現代(映画公開時の1987年)から振り返った作者の視点が鮮やかに映し出され、反革命をテーマにしているとはいえ、一人の女性の恋物語として楽しむだけの娯楽性も兼ねた充実した作品でした。

映画が始まると、架空の街芙蓉賃の瓦屋根が映し出され、それを背景に大きくタイトルがどんと映されます。そして、ゆっくりその甍の隙間にカメラが近づくと、石臼で豆を砕くヒロインの姿。画面の半分に映しながらタイトルが続きます。
彼女が作る豆豆腐汁(?)の店は彼女の愛嬌と、その料理のおいしさで大繁盛。その様子がファーストシーンで描かれますが、そこにどことなく中国政府の目に見えない統制がかかってきているのが感じられます。それは近くで国営食堂を営む女店主・李国香のねたましい視線が物語っていきます。

大きな新居も建てるまでになっていく様子が描かれていきますが、その後、金持ちになることをねたまれた胡玉音の店は、中国政府からの官吏の圧力で、総て没収となる羽目に。そして胡玉音は遠方へ逃げるように芙蓉賃を離れ、一方一人残った夫はふとした出来心から処刑されてしまいます。

戻ってきた胡玉音に待っていたのは村人たちから新富農という差別的な呼び名でさげすまれる生活でした。すでに夫はなく、家も没収され、村の中を一日中掃除する仕事だけが与えられる毎日。狭苦しい村の中の石畳が映されて、積み石のそこかしこの路地の構図が横長の画面で非常に造形的で美しくとらえられ、どん底の毎日を送る主人公のひたむきな姿を重々しく演出してくれます。

ここに同じ境遇で掃除をする秦書田という若者が居ます。毎日毎日を掃除をするうちにふたりの間には感情が芽生えてくるのですが、季節の変遷を示す雪景色や枯れ葉のシーンが実に詩情的で美しく彩られるので、次第に高まるふたりの感情を増幅させていきます。

1963年に始まり、1979年まで、中国内部で次々と人々の立場が入れ替わり、時にさげすまれるかと思えば、次は権力者となり立場が逆転したりと、ヒロイン胡玉音の回りの人々の姿も時代の流れを映し出していく演出もなかなかおもしろみがあります。

やがて胡玉音は秦書田と結ばれ、妊娠、結婚すべく政府に嘆願しますが拒絶され、秦書田は10年の懲役に生かされます。しかし、時は移り、1979年になると中国は総てがある意味で近代的に落ち着き、10年ぶりに秦書田が帰ってきて、身分も回復されたふたりはもう一度豆豆腐の店を開くことに。そして映画の冒頭シーンの繰り返しで、繁盛する彼女の店の様子が映されて、時代に翻弄された周辺の人々がそれぞれの立場になっていく様子を描いて映画は終わります。

やや古くささを感じさせる面もありますし、中国近代史の知識がないと出だしの部分が全く意味不明であるところもありますが、この映画はあくまでヒロイン胡玉音の物語であり、それを素直に楽しむ映画だと思います。重厚な演出は見応え十分であり、傑作とまでは評価しませんが非常に良い映画でした。