くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「マザーウォーター」「隠された日記 母たち、娘たち」

マザーウォーター

マザーウォーター
日常のたわいの無い風景がワンシーンワンカットを多用した画面作りで静かに展開していく様は一見現実的であるようであるが、まったくの架空の世界であることにいつの間にか気がつく。桜の花が満開になっていくさまが時間の流れを静かに語り、それを背景にしたそれぞれの登場人物の繰り返す生活のリズムが淡々と、それでいて、どこか非現実な世界を映し出されていく。

登場する人々はそれぞれに何の変哲も無い。その中に一人あまりにも動物的な赤ちゃんが登場する。その赤ちゃんがそれぞれの登場人物の間を渡り歩くように手渡されていって、物語がつむがれていく。といって、この赤ん坊が彼らを結びつけるわけでもない。さりげなく受け渡されていくだけなのだ。登場人物たちはまったく生身の人間にさえ見えないことも無い。

ラストシーン、姿の見えない母親の声で「いつもありがとうございます」と預けていた赤ん坊を受け取るショットで映画は終わるが、冒頭の赤ん坊と母親らしき女性が川岸で座っているショットに結びついて、実はこの赤ん坊は日常にさりげなく出入りする神様だったのではないかと思う。それは物語の途中で小泉今日子市川実日子との会話に出てくる最初のお客さんの如しである。それとなく入ってきていつの間にか出て行く小柄な人物。それは神様だったのじゃないかという会話である。

この映画に物語はない。シーンが変わるごとにそれぞれの人物がそれぞれの会話をする様子がじっとすえられたカメラが微妙に移動するだけで描かれる。ある意味ワンシーンワンカットの舞台の一場面の如しである。それが繰り返され、しだいのその中に赤ちゃんが入り込み始める。時の流れは桜がほころんでいく様子で語られるが、それほど長い時間の物語ではない。毎日の生活の中で微妙な変化を楽しむべきだというような意味のセリフも語られるがそれもこの作品のテーマでもないと思う。

劇的な展開はまったく無いので、人によれば退屈であるが、これはまたこれでひとつの映像の形式なのだろうと思う。荻上直子が描いた一連のほのぼの映画とは似ているようで異なっている。映画としてははるかにレベルが低いといえるかもしれないが、これはこれでひとつの姿の作品として楽しめばいいのじゃないかと思います。


「隠された日記 母たち、娘たち」
この映画はちょっとした秀作でした。登場人物たちの心の変化が徐々に伝わってくる演出のうまさ、それぞれの人間関係を決して混乱させないで伝えてくる脚本の見事さ、そして過去と現代を三世代の人物の交錯したシーンによって語っていく映像表現の秀逸さそれぞれが大変卓越した完成度に達している。

カナダから孫娘オドレイがフランスの両親の元に二週間の休暇で返ってくるところから映画が始まる。出迎える父は非常に気さくで好感な雰囲気であるが、家で待つ母マルティーヌ(カトリーヌ・ドヌーヴ)は態度が非常の堅くオドレイとの間に埋まらない溝があるようである。実際、オドレイの持参してきた土産にさえもつっけんどんな態度を取る。
休暇前に突然降ってわいた仕事を持って帰ってきたマルティーヌはそんな実家での生活では仕事もはかどらないため、近くにある祖父の家を訪ねる。そこは今は空き屋で、そっと外から中をのぞくとそこに一人の少女がおもちゃの洗濯機で遊んでいる。カメラがすっと中にはいると時間が過去になる。その少女はマルティーヌの幼い姿なのでした。

オドレイは祖父の家に移ってそこでしばらく生活することにする。キッチンを改装していたときに祖母が書いていた日記を見つける。そこには料理のレシピ、日々の悩み、お金、写真などが挟まっていた。

こうして、物語は祖母の世代の様子と現代のオドレイの生活が交互に展開しながら、時に祖母がオドレイに語りかけたりするという凝った映像が展開する。
何度も挿入されるのはマルティーヌが少女だった頃に家を出ていった祖母の姿。昔ながらの考えで母を束縛する祖父の姿。自由を求め、自立しようとする祖母の姿がなんども画面を変えて映し出される。

妊娠し、未婚の母になるかと悩むオドレイ。姉マルティーヌの態度を理解しづらくなっている弟でオドレイの叔父。そして最大の謎はなぜ祖母は家を出たのか?そんな物語を中心に、一冊の日記を追いながら物語が進んでいきます。
そして、妊娠していたオドレイが軽い出血したことがきっかけに祖母の日記を手にしたマルティーヌと心が交わり始め、そして、実は祖父が祖母を殺したことがマルティーヌの口から明らかにされる。それはオドレイの父も叔父もしらなかった共学の事実でした。

総てが証された後、何とか母を喜ばそうとオドレイがマルティーヌに買ったワンピースをマルティーヌが袖を通し、ようやくふたりの心がつながる。そして、祖父の家を出て両親の家に移ると応えるオドレイのところに祖母が一言「着てくれたのであの服」と告げて姿を消して映画が終わる。もちろん、祖母の姿は幻であるが、映像としては現実である。
オドレイと母の絆が取り戻された感動がじわりと伝わってくるラストシーンは見事でした。良い作品に出会いました。