くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「青春の蹉跌」「アフリカの光」「櫛の火」

青春の蹉跌

「青春の蹉跌」
神代辰巳監督の代表作にして名作と呼ばれる一本。はじめて見たのはすでに30年以上前である。
今回見直して、もちろん神代辰巳節炸裂の映像表現であるが、即興に近い演出の中で主演の萩原健一、桃井かほりが見事のその演出に応えているという感じである。ぶつぶつとつぶやく神代流のセリフ演出もしっかりと伝わってくるし、萩原が歌う「えんやとっと、えんやとっと・・まつしま〜〜」という声もきっちりと物語のなで効果的に語りかけてくる。そのバランスが見事で作品としてまとまって完成したのであろうと思う。

原作は石川達三、脚本はあの長谷川和彦であることに気が付いた。

青春のまっただ中で目的もなく、ただひたすらに、というか無意味を承知でがむしゃらにその日を生きる青年の姿、さらに汚れた社会に反抗しながらもその中に流されていこうとする歯がゆい自分の姿を見事に主人公賢一郎に反映させて描かれていくストーリーは見事である。

映画が始まると、どこかの屋上で良そう時をする賢一郎の姿、そしてアメフトの練習風景、家庭教師をする家で教え子登美子との危険な濃いに流れかける日々。さらに資金の援助を受ける叔父の存在から、その娘との物語と、特に際だった展開こそない物の、ありきたりな中にやるせない若い男女のむなしさ、殺伐とした青春の物語があまりにリアリティあふれる即興演出とワンショット挿入される過去のフラッシュバックなどの神代演出で続々するほどの映像となって映し出されてきます。

妊娠した登美子を雪山へ連れだし殺害し、叔父の娘康子との結婚で将来を約束された賢一郎の前に皮肉にも刑事がやってくる。子供の血液型はABで賢一郎とは関係なかったということ、しかしO型の精液があったため犯人は賢一郎であるという確証になったということ。そして、アメフトの試合でタックルされ動かなくなってしまう賢一郎のアップで映画が終わります。どこか「太陽がいっぱい」を思い起こさせるラストではありますが、何とも切ないですね。やはり見直して改めて、良い映画であったと納得しました。


「アフリカの光」
てっきり見たことがあると思っていた作品でしたが、リストにないことに気が付きました。今回初めて見る作品です。

物語は九州から北の海へやってきた順と勝弘。ふたりはアフリカへの船に乗りたいためにひとときの稼ぎに精を出そうとしていた。しかし、経験もないふたりに漁船の仕事もなく、その日暮らしに困る中でケンカをしたり地元の漁師と諍いになったりとその場限りの毎日。そんな行く当てのないやるせない若者の生き方を描くのは神代辰巳作品の定番といえる。

物語というほどの物もなく、即興演出とアフレコで語っていくセリフの数々は口の動きとセリフ、あるいは行動さえもがちぐはぐであり、それがかえって神代作品の個性にもつながっている。ただ、前述の「青春の蹉跌」ではそのバランスが実に見事に効果を生んでいたがこの「アフリカの光」では聞き取りにくさと見づらい映像表現として逆効果になる部分も多々あり、それが作品の質にマイナスになっていることは否めない。

ただ、萩原健一田中邦衛の絶妙の掛け合いに桃井かほりの適当すぎる演技が何とも不思議にうまく絡み合っていることも確かであり、どこへというあてのない若者たちのあまりにも無意味な毎日の姿が見事に映像として完成されている。
時折、アフリカの真っ黄色な映像で見せる動物のショットや音もなく見える水平線の彼方に光る太陽のショットなどがスパイスのごとく物語にアクセントをくわえるという神代辰巳演出の冴えも行き届いておりそれなりに彼の個性を楽しむには十分すぎるできばえだったと思います。


「櫛の火」
ストレートな単純な話であるが、前後の時間や空間をバラバラにつないでいくという神代辰巳演出がさらに磨きをかけて即興で描かれるために最初はなかなか理解しがたいように思えるのであるが、情事のシーンが繰り返されて出てくるために次第の人間関係も整理されていくあたりはなかなかのできばえなのかもしれない。

映画が始まると、ブルドーザーを後ろにこちらに走ってくる主人公広部(草刈正雄)、引き出しから櫛を取り出して光にかざし窓の外に身を乗り出そうとする広部。公園で柾子(ジャネット八田)と会話する広部、そしてかつての恋人弥須子(桃井かほり)とのやりとりが次々と挿入されていく。

弥須子とのシーンはスタンダードサイズになって映され、今進行している物語はワイド画面に戻るという凝った演出もなされていて、どこか実験的な面も見られる作品でした。
ただ、着ては脱ぐ、脱いでは着るという広部と柾子との情事が次々と場所を変え時間を変えて展開するのは何ともしつこいくらいにである。しかもかつての恋人との出会い、SEXも当然描かれるからこれが一般映画と呼んで良いのかとさえ思ってしまう。さらには萩原健一とちがってどこか草刈正雄ではどうも役不足に見えて、萩原ほどの個性がもう少しほしいような気もしました。

本日見た他の作品もそうですが、やはり1970年代を舞台にしているためか学生紛争に関わったという登場人物の背景などが何度も見え隠れします。それにくわえて、目標を失ってしまった若者たちの姿があまりにもむなしい現実の中でもがく様子として表現されるのはやはり時代の映画ということでしょうね。