くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「当りや大将」「いとはん物語」

当たりや大将

「当りや大将」
大阪は釜が崎を舞台に車に当たって金をせびることを商売にしながら社会の底辺でいきる人たちを描くいわば人情ドラマである。

監督が都会派のスマートな画面づくりで評判の中平康というのが見物といえば見物、さらに昭和30年代の大阪の町並みがところ狭しと写し出されるのが何とも懐かしい。といって、このころはまだ生まれたばかりで知らないのですが、通天閣阪堺線、さらには天王寺界隈の古き良き町並み、まだ汽車がはしる南海線やJR(国鉄)の風景はそれだけでも見応え十分でした。

映画が始まると一台のタクシーが割腹の良いおじさんを乗せて釜が崎へ。そこへ当たりに飛び込む主人公である大将(長門裕行)。ところがこのタクシーの客がこの地へ赴任してきた警察署長であったために無駄骨になるところから始まります。

広場に集まって昼日中から博打をする人々の姿、安居酒屋で酒を飲みながらその日暮らしをする人々の様子を描きながら、飲み屋のおばさんの金をだまし取った大将がそのおばさんが長年貯めたお金を無くして悲観して死んだことに心を動かされ、おばさんの夢だった博打広場を公園に変えるということに信念を持つクライマックスへと進んでいきます。

物語の展開はかなり荒いし、主人公のなんの道徳心もない展開は正直ちょっと矛盾した展開なのですが、脚本は新藤兼人です。

結局、公園にブランコを作っても作っても地元の胴元に壊され金の工面に最後の当たりをしたところが、失敗して命を失う。そんな大将に感化されて警察所長たちが力を合わせてブランコを完成させるエンディングです。

さりげない人情ドラマですが、町並みの描き方が実に巧みで、人々の生活が生々しく伝わってくるリアリティがあります。背後に走る電車や遠くに輝く通天閣、さらにいまにも壊れそうなドヤ街のうらぶれた様子、さらにその日暮らしで金に逼迫しながらいきる人々の生活感が見事に描写されていてそれもまた堪能させていただきました。


「いとはん物語」
こちらは伊藤大輔監督の傑作でした。なんといっても細かいところの演出の見事なこと。さらにいつものように大胆なカメラワークや構図、さりげない小道具による動きのある画面づくりがうならせる一本でした。

映画が始まるとお祭りの夜。大阪の老舗扇屋の三人娘がお宮さんにお参りにきます。顔を布で隠しているのでわかりませんが、先頭がいとはんの様子。しかもほかの二人よりひときわ深くかぶっているので、どんな美人かと思わせる導入部。ところが、このいとはん、妹たちと月とすっぽんほど違ういわゆるブス女、これを京マチ子が化粧で変身して演じているのもこの映画の見所です。

そんないとはんをからかう若者達と大立ち回りをしたのが鶴田浩二演じる友七。その立ち回りを真上からとらえるカメラは、いわゆるグラスステージと呼ばれるセットを利用してのことでしょうか。
友七に密かに恋いこがれるいとはんであるお嘉津(京マチ子)、しかし友七は同じ店のお八重と恋仲でした。

そんなある日、友七は四国へ仕入れに出ることに。はっきりと思いを告げていないお八重は友七の部屋へ出向くが、いざ声をかけようとすると薄暗かった電球がぱっと明るくなってしまって声をかけられなくなる。このショットがなんとも見事です。
娘が美人でないことに気に病んでいる母(東山千栄子)は友七が四国へ仕入れに行っているときに、お嘉津が知人に書いている手紙の橋に書いていた友七の文字に、お嘉津が友七に恋いこがれていることを知る。このとき、手紙が風で部屋に散乱し、それを拾うお嘉津のシーンで動きのある展開を演出するところは見事です。

さらに友七が出かける前にお嘉津のそばにある菊の鉢植えに包帯をおいて出ていくと、お嘉津がそのそばに行ったときに包帯がひらりと流れるショットなど、画面作りの妙味というほかありません。
お嘉津の母はお嘉津と友七を結婚させることをどんどん話を進め、元々恋心のあったお嘉津は舞い上がって毎日が夢見心地になります。夢の中でふつうの京マチ子鶴田浩二とデートするショットなどを挿入する遊び心も満天の映像が展開。なんとも楽しい限りです。

結局、母が画策し友七とお嘉津を結婚させるべく盛り上げていきますが、四国から帰ってきた友七はことの次第を知り、悩んだ末、お八重と出ていくことにします。
悲嘆にくれるお嘉津が菊の鉢植えの中で涙に濡れるシーンで映画は終わります。何ともやるせないラストシーンですが、繊細そのものの映像演出とシーン展開がまさに職人技のごとしで、うならせっぱなしでした。見事の映画だったと思います