くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「浪華悲歌」「春琴物語」

浪華悲歌

「浪華悲歌」
溝口健二監督の初期の傑作、すでに30年近く前に見たことがあり、よかった感想だけが頭に残っていた。今回見直してみて、そのストーリー構成の展開のうまさにうならせられるものがあった。

一見、コミカルな男女の物語のごとくスタートするストーリーは、いつの間にか、やむにやまれぬ境遇の中で自立し、そして不幸のそこへと落ちていく一人の女の壮絶な物語へと変貌していく。19才の山田五十鈴の名演技もさることながら、ぐいぐいと迫るような演出でじりじりとシリアスな物語へはまりこんでいく溝口健二監督の演出がすばらしい。

たわいのない男女の会話、笑いのペーソスはおそらく当時のこの手の物語の典型的な展開であろう。しかし、ここに一人の普通の女アヤ子(山田五十鈴)が登場、父の借金のためにどうしても工面しなければならない金がある。恋人に頼むもらちがあかず、そんな時、勤め先の社長の口利きで社長の囲いものとなる。

その一歩が彼女を自暴自棄にさせ、とりあえず金を作ったものの、今更元の生活に戻れず深みにはまっていく。
そして、すべてから足を洗い、かつての恋人との幸せな家庭を夢見て告白するが、時はすでに遅く、恋人も世間の目も彼女押しつぶそうとしているのです。

恋人に捨てられ、家族からも冷たく疎まれ、一人町にでて、さまよい歩く彼女のバストショットで映画は終わる。
傑作ながら、さすがにフィルムの痛みが激しく、そのストレスで、かなり疲れる。残念ではあるけれどもこれも時の流れである。

「春琴物語」
伊藤大輔監督が谷崎潤一郎の「春琴抄」を二度目の映画化した一本。
これが素晴らしい。今まで映像になった「春琴抄」をいくつか見てきましたが、今回はダントツに素晴らしかった。
クライマックスの佐助が自らの目を針で突く場面はいつの間にか涙があふれてきました。このシーンでここまで演出できる伊藤大輔の才能はすばらしい。

物語は今更言うまでもなく、大阪の道修町に奉公にやってきた佐助がその店のこいさんであるお琴の手挽きをするうちに次第に親しくなり、しかし恋人とまでは行かない時代背景の中での純愛の物語である。
ストーリーの展開は特に独特のものもないのですが、素晴らしいのがまるで生き物のように画面を映し出していくカメラワークのすばらしさなのです。

ゆっくりと佐助とお琴を捕らえているかと思うと、ゆるく回転して反対方向から捕らえたり、時に寄りと回転を組み合わせてみたり、さらに秀逸なのが、船越英二扮する利太郎にだまされて、あわや手込めにされかけたお琴が必死で逃げる時にカメラがゆらゆらと斜めに傾いて、お琴の必死の心の動きを映像に見せる。そこへ駆けつける佐助のショットが見事。

クライマックス、お琴が包帯を取った自分の顔を見られたくないと言う言葉に、万を期して佐助が針を自分の目に刺すまでの下り。奉公人の女たちが、なにかと外出し、次第佐助が一人になり、揺らぐ結審が徐々に強いものになっていく。針山がアップで写され、さらにパンして佐助にピント、そして針山にピント、佐助が針を取る、取った針が光る演出、そして鏡を見て目に突き立てるまでの緊張感あふれるシーンは見事である。

また、京マチ子が抜群にはまっていて、一番お琴役にぴったりの品があったし可愛らしかったと思います。そして、着ているきものが絢爛たる美しさで、フィルムの痛みではっきりとは見えないのですが、目の覚めるほどに素晴らしい。さらに木村威夫の美術セットの見事さも目を奪われます。

キネマ旬報ベストテンにも選出されていないが、これほどの名作が埋もれているというのは悲しい限りである。しかも、フィルムの痛みが激しく、特に前半、暗くつぶれた画面にストレスがたまってしまったのは実に残念でした。
でも、この一本は素晴らしいの一言です。