くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「赤い靴」「永すぎた春」

赤い靴

「赤い靴」デジタルリマスターバージョン
バレエ映画の最高傑作がマーティン・スコセッシ総指揮の元美しくよみがえった。何十年ぶりかでスクリーンで見直してみて、これほど美しい映画だったかと改めて感動してしまいました。

この映画を始めてみたときは、バレエ「赤い靴」が上演されるときの舞台シーンにため息がでるほど感激したものですが、今回はさらにその色彩にうっとりと引き込まれてしまいました。

タイトルシーンから、これほどまでにテクニカラーが美しいかと食い入ってしまいましたが、カラーフィルムという物はただ、生の色彩をいかに再現するかというのが目的ではないことを納得してしまいました。

どちらかというと奇抜なほどに毒々しいテクニカラーの色バランスですが、それを作品に最大限に生かしたのは名カメラマンジャック・カーディフ、そしてストーリー展開に生かしたマイケル・パウエルエメリック・プレスバーガーの演出力でしょう。

バレエ団に入ってその才能を見いだされるヴィッキーとジュリアン、「赤い靴」のヒロインを踊ったヴィッキーは一躍名ダンサーとしての名声を得ます。そして、なるべくして才能ある作曲家ジュリアンと恋に落ちる。ヴィッキーを世界一のプリマに育てる野望のある団長レルモントフは一方でヴィッキーにささやかな恋を抱いている。嫉妬と失望は若い二人に残酷な仕打ちを施すことになり、二人はバレエ団を去る。

そして、数年、再び「赤い靴」を上演するに当たりヴィッキーを呼び戻すレルモントフ、しかし、そこへジュリアンが駆けつける。バレエを選んだヴィッキーを残して失意の中去っていくジュリアンをなぜかバレエ「赤い靴」同様に赤い靴に引きつけられるように後を追ったヴィッキーはバルコニーから身を投げて汽車にひかれてしまう。

ヴィッキーのない舞台が演じられ、そして映画は終わる。

この映画の圧巻は中盤で映し出されるバレエ「赤い靴」の舞台シーンである。
本物のバレエダンサーでもあるモイラ・シアラーの踊る「赤い靴」のヒロインをジャック・カーディフのカメラが延々と追いかけていく。舞台が夜になり昼になり、もう一人のヴィッキーが現れたり、ヴィッキーに駆け寄る指揮者がスポットライトの中ダンサーに変わったり、床が巨大な大地に変わるかと思うと客席が怒濤渦巻く海岸へと変貌する。特殊撮影のすばらしさは単なる技術のみではなくまさにしなやかに踊るモイラ・シアラーのダンスを引き立てるように組み立てられた映像の美しさによるものである。

初めてこの映画をごらんになったら、まずこのシーンで完全に悩殺されてしまうだろう。そして、40年近く映画を見てきている私にとってもこのシーン以上のファンタジックな舞台シーンは未だにお目にかかったことがない。それほど唯一無二の名シーンだと思う。

おそらく膨大な費用と時間がかかったであろうリマスタリング。これだけの完成度に達したのなら決して無駄なことではなかったと思う。すばらしかった。

「永すぎた春」
何ともシャレた映画である。1957年制作というにも関わらず、軽妙かつコミカルなテンポは今の映画でさえも見かけないほどのモダンな色合いがふんだんにある。

白坂依志夫の見事な脚本もさることながら田中重雄監督のチャレンジ精神あふれる画面演出も見事なのである。といって、名作、傑作というような仰々しい物は片鱗も感じられない。実に肩の凝らない演出を終始しているのに、さりげなく様式美を意識したような構図で美しい画面をさりげなく見せてみたり、オーソドックスな構図で登場人物を歩かせてみたり、物語の中にもさりげない兄弟の暖かい人情や恋人同士の揺れる心の動揺や、貧富の差が生む社会の矛盾などもしっかりと織り込んでいる。この奥の深いストーリー展開に脱帽してしまうのである。

物語は単純。卒業まで1年3ヶ月となった大学生の郁雄(川口浩)は学校の向かいにある古本屋の娘百子(若尾文子)と恋仲で婚約をしている。卒業までは結婚式をしないという取り決めの元に交際しているが、どことなく二人には不思議な心の動揺がある。

百子の兄はどうしようもないのだが、盲腸で入院した先の看護婦千鶴子と恋仲になってしまう。
また、郁雄の親友の画家高倉(川崎敬三)が百子に恋心を持ちはじめちょっかいを出してくる。

千鶴子の家は貧乏で、その母はかなりゆがんだ性格で、金のことばかりで、百子と高倉の仲を取り持つためにはかりごとなどもする。

一方郁雄の家庭はかなり裕福で、ことあるごとに家柄などを持ち出すが、実に陽気な幸福な家族の典型である。百子の家も中流家庭であるが実直は両親と調子のいい従兄弟などと平和な家庭である。

こんな背景の中で郁雄と百子の1年3ヶ月の期間に起こる出来事をコミカルに描いていくのである。

郁雄を誘惑する手慣れた女の登場や郁雄の大学の友人のちょっかいなどもあって実にバラエティに富んだ出来事が次々と起こってきて実に楽しい。会話の応酬のおもしろさや、技巧的な画面やさりげない毒がちりばめられ、1957年の時代性を考えると全く驚かされる一品なのです。

結局、早めの結婚式をあげることになり、披露宴の席で映画は終わります。
裕福な家庭は幸せになり貧乏な人は不幸になるというエンディングはやはり原作者三島由紀夫の毒ではないかと思いますが、それでも見終わったあとの感想は好感だったというのが正直なところです。隠れた一品でした