くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「からっ風野郎」「憂国」

からっ風野郎

「からっ風野郎」
いやぁ、何とも痛快な一本でした。三島由紀夫の大根役者ぶりが満開なのですが、どこか引き込まれてしまう荒っぽいストーリーが拍手ものなのです。そして、でてくる男がどれもこれもだらしない奴らばかりで、次第に表にでて強さを見せてくる若尾文子の存在感、これぞ増村保造監督、女を描かせると一級品です。

物語はたわいのないやくざの抗争の話、しかも時は古く昭和の時代、しがないやくざの親分同士が中途半端に女と恋に落ちて、一方で堅気になるかどうかとふらついている。
対立するやくざの親分を中途半端に狙撃し刑務所に入った主人公の武夫(三島由紀夫)が刑期を終えるところから映画が始まる。

一見強面で頭の切れる見るからにやくざ者というイメージながら、実は人殺しをする度胸もない二代目親分を演じた三島由紀夫がなんともその素人っぽい演技でじつに頼りない男を好演。この存在感がかえって作品におもしろさを生み出します。

一方の幼なじみの相談役愛川を演じた船越英二もまたよくあるパターンで二代目を支えるが、後の義理と人情の東映やくざ映画のような堅苦しさはない。

結局、若尾文子扮する芳江と所帯を持つ決心をし、芳江を見送る駅で殺し屋に殺され、エスカレーターの上で死んでいく三島由紀夫の姿で映画は終わります。

人情ドラマのようであり、不器用な男のドラマでもあるのですが、増村保造監督が描くと女のドラマに豹変する。そこへ三島由紀夫の怪演が色をそえて実に個性的な一品仕上がった楽しい傑作だったと思います。

憂国
二・二六事件で同士を反逆者として敵対しなければならなくなった陸軍将校武山中尉の遺書ともいえる書き付けと自刃するまでの思い、そして最愛の夫を追って自らも自刃する妻麗子夫人の最後を描いたいわば三島由紀夫の死生感、生き方、国家への想いをつづったプライベートフィルムとも言うべき一本でした。

しかし、すべてのせりふを排除し、巻物に語らせる演出手法、さらに映像に語られる彼の美的感覚、恐ろしいほどに繊細に研ぎすまされた感性に触れるにいたり、単なる彼のプライベートな思い以上に常人を遙かに越えた芸術感覚に圧倒される自分を発見します。その身の毛もよだつような恐怖こそがこの作品から漂う三島由紀夫のメッセージではないかと思うのです。

憂国」とはまさに国を憂うという彼のやり場のない失望感である。一本の巻物に書かれたこの文字に始まるこの作品は巻物が次第に開かれていく荷つれて物語と呼べる者がつづられていきます。

武山中慰の思い、そして切腹するに至る決意、夫の思いを理解し自らも彼の死を見届けた後の自害、鬼気迫る映像と画面が一度画面に観客をとらえると一歩たりとも身動きさえできなくなるのです。

掛け軸を背景にまるで能舞台のようなシンプルなセットを前に一人の軍人が自刃をまえに全裸で妻と最後の情愛を交わし、そして、身支度を整えた彼は真正面に座り妻を横にして自らの切る。汗が額ににじみ、口からは嗚咽が漏れたかのごとく苦しむ姿が映される。そして、持ち代えた短刀を首に突き刺して命を絶つ。リアルの極みと呼べる美学が展開します。

血の海になった夫の前を去って、化粧台の鏡で口紅をつけ、身繕いを整えた妻は流れた血の海を踏みしめて夫の前に座りうつ伏せの夫を上に向かせ、自ら首に短刀を突き刺した後夫の胸にうつ伏せに倒れる妻。

いままで、板敷きだった二人の床はカメラが変わると白砂にかわり、波の模様になった白砂の上で二人が死んでいる姿とともに巻物は「終」の文字にたどりつく。

これが芸術かどうかということはこの作品にはあてはまらない。これこそが三島由紀夫がその思いを映像という媒体に書き付けた映像美学の巻物の一遍なのである。その完成品を目の当たりにした観客は三島由紀夫の芸術感性の一端に触れたことがこの映画を鑑賞したということなのだろうと思う。