くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「太陽の墓場」「士魂魔道 大龍巻」「背徳のメス」

太陽の墓場

「太陽の墓場」
1960年代、大阪は釜が埼を舞台に、ドヤ街に生きる人々の底辺の生活をまるで日本の縮図のようなキャスト配分で描く群像劇である。

戦争が再び起こると信じ、日本帝国の再興を叫びながらたった一つの手榴弾を手にして、その日の生活をいきる男、血液売買で浮浪者たちから搾取する男、新興やくざを起こし、敵対する大物やくざから逃げながらその日暮らしで売春や恐喝をして暮らす男、新興やくざの組織に入ったものの、その現実に疑問を抱き、自分に嫌気がさして、相棒を殺し、さらにやくざのリーダーを巻き込んで鉄道自殺する男、などなど、ほとばしるようなエネルギーの中で描かれる汗くさい物語は圧倒的というほかない。

時折、夕焼けに映される通天閣大阪城、送電線の景色が異様に殺伐としたムードを醸しだし、レフ板を効果的に使った光の演出が実にほこりっぽい舞台の姿を演出する。

女の着る真っ赤な服装や津川雅彦がきている小粋な帽子などが浮浪者たちのぼろぼろの服装の中で不気味に見える怖ささえ生み出す演出はこれぞ大島渚ならでは色彩感覚である。

クライマックスで次々ととらえられる浮浪者たちの薄汚れて汗にまみれた顔のクローズアップの怖さ、そしてその後の暴動シーンから燃え尽きるドヤ街のショット、そして再び次の商売に走っていく女と男の後ろ姿に、何ともいえない迷路に入り込んでいく日本の姿が見え隠れしている。

この後、日本は高度経済成長に入っていく。その揺れ動く一瞬をとらえた大島渚の鋭い感性にうならせられる一本でした。みごと。

「士魂魔道 大龍巻」
たわいのない娯楽活劇時代劇。何の取り留めのないストーリーと、一本の筋がどこにあるかわからない展開に、正直疲れてしまう。まぁ、肩が凝らないからいいとしようというようなお気楽な作品でした。

物語は大坂夏の陣からはじまる。先日見た「大阪城物語」のクライマックスのシーンが使い回されたかのようなショットがちらほら見えた後、物語は本編へ進むが、主人公は結局市川染五郎扮する重兵衛、星由利子扮する小里なのか、どれなのかわかりづらい。

豊臣方を根こそぎにしようとする侍たちがいるかと思えば、それに荷担して豊臣方を裏切り、隠し金を奪おうとする物語も一方で展開する。さらに忍術使いが父の敵と重兵衛たちをねらう。
その上、なにやら重鎮の侍らしい三船敏郎扮する明石まででてくる。もう笑わないわけにいかない。

忍術使いの女が重兵衛に惚れる。さらに佐藤允扮する侍の話やら、商売人になって金持ちになる残党の侍やら、もう何でもありの適当な脚本に参ってしまった。

クライマックスは円谷英二の担当した竜巻シーンであるが、それもさりげなく終わって、生き残ったのは三人かとつぶやく重兵衛たち。なんともいえないお手軽作品でした。

「背徳のメス」
さすがに新藤兼人脚本のすばらしさか、野村芳太郎の演出手腕のみごとさか、クライマックスはいつの間にか画面に引き込まれている自分に気がつくほどのめり込んでしまいました。

ストーリーの展開が実にテンポよくてスピーディ。なんの間延びするプロットが全くないために、ぐんぐんと物語に引き込まれていく。しかも、キャストが普段のイメージとは正反対の役柄で締めくくられるので、その人物象の変化がまた興味津々に作品に引き込まれるゆえんだと思います。

一見、実力もあり人間的にもすばらしいとされる産婦人科部長西沢(山村聡)がしだいに、やくざの圧力に揺らぎ始める下りから、クライマックス、田村高広扮する医師植に責任を擦り付ける卑劣な男へとその描写が変化していく展開、一方の女たらしで、口ばかりに見える植が押しつけられた手術を見事にこなして、実力のほどを証明する終盤の展開とこの人間性の描写の入れ替わりが実に見事。

そして、久我美子扮する婦長信子が西沢を毒殺し、それまでの真相を植に語る手紙のショットで、病院内を徘徊させて見せる不気味なほどに鬼気迫るクライマックスの映像表現の迫力。

物語や真犯人はそれとなく途中でわかるものの、植が命をねらわれるにあたっての真犯人探しのサスペンス性からのエンディングまでの重厚さは見事です。
病院内のくらい室内撮影で、しかも内容もかなりすさんだ展開なので重々しくなるほどに沈み込んだ画面が繰り返されますが、細かいカット割りゆえか息苦しくなるところはない。

さすがに野村芳太郎の演出は見事ですね。傑作とは呼べないまでも、それなりのレベルのサスペンス映画に仕上がっていたと思います