くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「メタルヘッド」

メタルヘッド

こんなところにもナタリー・ポートマンがでていた。という一品。とはいえ、突然公開された作品であるが、監督はいわばカリスマ的な存在のスペンサー・サッサーという人。今回の長編デビューはかなりの期待であったという。

とにかく、はちゃめちゃなストーリー展開と、何でもありのプロットの組立は頭を空っぽにして、日頃の常識的な考え方でストーリーを追わないようにしないとついていけないおもしろさがあります。

映画が始まると一人の少年TJが自転車でレッカーで引っ張っていかれていく赤い事故車を追いかけている。どうやら、彼の母親が車の事故で死んでしまって、その車が今処分されようとしているのを追いかけているのが推測されます。

この主人公のTJ、学校では解体業者の息子に執拗ないじめに遭っている。しかし、たまたまスーパーの駐車場でいじめられているところをレジーの女性二コール(ナタリー・ポートマン)に助けられる。

一方、このTJ、ムシャクシャして廃墟の家のガラスを割ったところ、そこで一人のキリストみたいな風貌の妙な男ヘッシャー(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)と知り合う。この映画の原題はこの男の名前である。
この男、ぼろぼろの車ではちゃめちゃなことをくりかえし、いつの間にかTJの家に居座る。

TJの父親は妻の死ですっかり落ち込んで鬱状態。おばあちゃんがなんとかいようとがんばるも家族は立ち上がれない。このおばあちゃん、なんとパイパー・ローリーなのです。

こんな家に入り込んだヘッシャー、ふつうの映画なら、この家族を立ち上がらせるためにやってきた神様的なイメージなのだろうが、そうと思っているとやることがめちゃくちゃ。TJのいじめっ子の乗る車に火をつけたり、売家に飛び込んでむちゃくちゃにしたりとやりたい放題。おばあちゃんと親しくなるが、なんともどこかふつうの物語にでてくるキャラクターとは違う。

結局、このヘッシャー、たまたま二コールを助けるも、それも、これという善意でもないようにさえ思える。

物語の終盤、おばあちゃんが亡くなり、さらに落ち込む家族に見かねたヘッシャーはやりきれなくなり飛び出し、二コールと体の関係を。それを目撃するTJ。ナタリーに母のイメージを持ちまたあこがれの視線を抱いていたTJはヘッシャーをののしる。

おばあちゃんの葬儀の席で、突然ヘッシャーが現れ、死ぬ間際に約束した散歩をするため棺を転がして表に。それを追うTJと父。

翌日、TJが買い戻そうとしていた赤い車のスクラップが家の前に置かれ、父は立ち直り、ヘッシャーは去って映画が終わる。

ふつうに作ればヘッシャーはこの家族を立ち直らせるためにやってきた神のような存在として描かれファンタジックに終始するのだろうがそうでもないし、ナタリーの存在も、TJが求める母の姿としてハッピーエンドになるところだがそれもなく、いつの間にか物語から消える。

題名の「メタルヘッド」はヘッシャーがくるまで流すヘビメタロックのイメージであるらしいし。ストーリーの展開の吹っ切れ具合がハードロック調であることから独特の映像表現なのである。

映画の常道とはかけ離れた感覚で描かれるバイタリティあふれるオリジナル映像の世界というのがふさわしい一品でした。