「ラブ・アゲイン」
組に組み込まれた楽しいエピソードの数々がこれでもかというほどに入り乱れて絡み合って、チャーミングなユーモアのエッセンスに満たされた極上のラブコメでした。
本来ラブコメは苦手なジャンルの映画なのでほとんど敬遠するのですが、今回「フィリップ君を愛してる」のグレン・フィカーラとジョン・レクア監督の作品と聞いてあの軽快なタッチで楽しませてくれるのではないかと見に行ったのです。
画面が写ると足のショットからレストrん、熟年の夫婦キャルとエミリーがとらえられます。デザートに悩むキャルに向かってエミリーが「離婚しましょう」と答える。そして帰り道、車の中で複雑な重いのキャルは妻の言葉を遮るために車から飛び降りる。
こうして始まる物語、一見たわいのないアメリカンラブコメだと思ってみているとあれよあれよと登場人物が絡み始めてくるのです。
まず、毎晩一人でバーにはいって妻の浮気相手の愚痴を言っている。一方そのバーには名うてのプレイボーイジェイコブが次々と女性を口説いている。最初にくどき欠けた女性エミリーにはさりげなく断られたものの次々と女性と連れだってでていく。
ある日ジェイコブがキャルに近づき、モテ男に変えてやると特訓し始める。ここまで来てもまだまだ平凡な展開でもあるかもしれないが、スピーディな展開がとっても軽妙で見る見る引き込まれていく。そして、キャルは最初の女性をゲット。元アル中のその女性は情熱的にキャルと迫り、一夜をともに。その後はキャルもエンジンがかかったかのように次々と女性をものにしていく。このシーンの連続も実に軽快で楽しい。
一方、キャルの息子ロビンは13歳だが、ベビーシッターの17歳のジェシカに夢中。彼女に自慰をしているところさえ見られてあわてて取り繕うところがなんとも純粋でほほえましい。何とか彼女の気を引こうとあれこれ芝居じみたことで迫るが、実はジェシカはロビンの父キャルに密かに恋をしている。この絡み合いがなんともほんのりしてしまうのです。
ある日、意中の人と決めていた人からただビジネスパートナーになってほしいと告げられたエミリーは失意の中、かつて自分を口説こうとしたプレイボーイのジェイコブに近づく。ここまで、どうしてエミリーの話が時折挿入されるのかわからなかったがこのあとあっという展開へ進んでいくのです。
ジェイコブはいままで自分を偽ってイケメンを演じていたが素直すぎるエミリーに自分をベッドでさらけ出し、肩の凝らない意中の人に巡り会ってそのまま恋に落ちる。
一方のジェシカは何とかキャルの気持ちを引こうと、男慣れしている友人からセクシーな写真を送ればいいとアドバイスされ自分のセクシーショットを撮ってキャルに渡そうとする。
エミリーも浮気相手にいまひとつのめりこめず、時折キャルのことを思い出しては複雑な心境へ変わっていく。
ある日ロビンの三者面談でエミリーとキャルが学校へいて担任の女性に会うとなんと彼女はキャルが最初に射止めた元アル中女だったという展開からこの映画どんどんエスカレートして楽しくなってきます。
どうにもエミリーを忘れられないキャルはロビンたちと画策し、自宅の庭に初めてあったときのセットを作ってエミリーを迎える。一方、先日から全くあえないジェイコブからある日キャルが連絡をもらい、すてきな女性ハンナに出会い、彼女の父に会いに行くことにした旨を聞かされる。
そして、キャルがエミリーに再度アタックする当日、そこへやってきたのが長女のハンナ。実はハンナはキャルとエミリーが若くして結婚しできた最初の子供だった。当然、あとからジェイコブも現れて、そこへ、ジェシカの隠していたセクシーショットの写真を父が見つけてキャルの元へ。後を追いかけるジェシカ。こうしてあっという展開で物語はクライマックスへ向かう。
あっといわせられるこの展開が実に爽快なくらいに楽しいのです。
その場は散り散りに別れ、やがてロビンの卒業式。キャル、エミリー、ロビン、ジェイコブ、ジェシカなど全員が集まり、実はキャルがエミリーに出会ったのは15歳、ジェシカに熱くなっているロビンは13歳と、このあたりの設定も心憎い。
キャルとエミリーは仲良くなり、ジェイコブとハンナノコとも許され、ロビンはジェシカから、セクシーショットの写真をもらい、あちこちですべてがうまくまとまってエンディング。本当に楽しい一本でした。
ところで、エミリーの浮気相手は?と思えなくもないですが、まぁ目をつぶりましょう。
「ミラノの奇蹟」
古き懐かしい名作というムード満載のいい映画でした。
監督はヴィットリオ・デ・シーカ。ネオリアリズムの旗手として数々の名作を手がけた人です。
今回は完全な寓話の世界。ファンタジーワールドがところ狭しと展開していきます。つまり、むかしむかしあるところに・・・・の物語。
映画が始まるとキャベツ畑に一人のおばさんがやってくる。赤ん坊の泣き声につられていうとそこに男の子が。
この男の子はトトと名付けられ大きくなりますが、少年の頃に育てのおばさんが死んでしまう。仕方なく孤児院へ入るトト。まるでサイレント映画のようにせりふなしでも十分語れる画面が展開し、背後にはサイレント映画のバックミュージックよろしく曲が流れている。
やがて、青年になって孤児院を出たトト。あるところで鞄を盗まれて、それを取り戻した際にその男のところにすむことになる。なんと線路際に広大に広がるいまでいうとホームレスたちのような貧乏人が集まる集落。背後に列車がひっきりなしに通っている。
ここで繰り広げられる本当に寓話の世界が不思議な特殊撮影も交えて展開。そこにはどこかブラックな社会風刺さえ見え隠れし、戦後まもなくのイタリアの荒廃した国と経済が回復するにつれて表にでてくる貧富の差、人間の欲望などがさりげない笑いの中に織り込んだ物語はどこか行き場のなくなった人々の悲しみさえ見えてくるから不思議です。
なんと、ここに突然石油が噴き出し、その利権も含めて資本家が立ち退きを求めてくる。警察が動き出し、ガス弾を打ち込んでまるで雲海のようになったなか、ポールによじ登るトトの姿が幻想的な画面を生み出す。そこへ天からやってくるおかあさん。何でも願いの叶う鳩をトトに託し、トトはそれで住民の願いを次々にかなえていく。
鳩が起こす奇跡の数々が幼稚とはいえ素朴な特撮で次々と描かれる様は本当に寓話の世界へと放り込まれたような錯覚にさえ陥ります。
ところが、鳩を取り戻しにやってきた天使が鳩を捕まえたほんの隙にトトたちは警察に捕まり護送車でミラノへ。そこへトトのお母さんがもう一度鳩を与えて、ミラノの真ん中で護送車から脱出したトトたちは箒に乗って遙か空のかなたへ飛び去っていく。「幸福の土地を求めて・・」というテロップがどこか意味深なメッセージを訴え欠けてきて映画は終わる。
ファンタジーではありますが至る所に社会風刺が盛り込まれた物語はまさにヴィットリオ・デ・シーカなのか当時のイタリアの現状なのか。そこまで深読みせずに素直に笑っていればそれはそれで楽しいのですが。そういう意味でなかなかの傑作だった気がします。