くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「むかしの歌」「残菊物語」「小人の饗宴」

むかしの歌

「むかしの歌」
1939年、石田民三監督作品。その完璧な構図の連続で文化遺産のような名作と呼ばれている一本らしい。

その作品紹介通り見事な映画でした。連続する画面の構図がそのどれをとっても非常に美しいし均整が取れている。日本映画ならではの町並みや小道具を最大限の効果を生み出すように配置されている。

川に沈む破れた唐笠、川に写るお澪と珊次の姿をとらえるショット、橋の上を通る二人を画面の上に半分切るようにとらえ、川の欄干をとらえるショット、それぞれが書ききれないほどに見事なのである。

主人公は商家兵庫屋のいとさんお澪。将来を約束した珊次がその店の前を通りかかり立ち寄るところから映画が始まる。
この珊次とお澪がたまたま道で一人の女篠を助け、兵庫屋の店で暮らすように勧めたところから物語が展開していく。

篠の実家へ珊次が使いにいってそこで篠の母親に会い、この母がお澪の生みの母であると知る。それをお澪にいったためにお澪は篠をうとんじ珊次の店である和泉屋ですむように託す。

やがて、兵庫屋が倒産しお澪は芸子になるために家を出るのがクライマックス。雪の降る夜に家を出るお澪を陰から母がみおくる。人力車に乗るお澪の顔が次第に暗くなる瞬間にほほえむラストシーンに思わず涙があふれてくる。

単純な物語なのですが、珊次が篠のことを父親に話し、帰った後、篠の父親が自分のふがいなさにたまりかねて刀でさお竹を切ると同時に人力車が走り抜けるカットへ続き一気に物語が後半に展開していくという劇的なショットなどの目を見張る演出も取り入れられ、まさに極上の完成度を見せてくれます。

無駄なシーンを極力カットしたシャープなストーリー構成のすばらしさ、ライティングや画面構図のこだわった美しさ、さりげなく語る人物描写のすばらしさ、珊次とお澪の大阪弁の掛け合いの軽妙さ、一方の篠のしとやかな娘姿などどれをとっても極上の傑作と呼べる一本でした。

「残菊物語」
溝口健二版のリメイクで、脚本も同じ依田義賢であるが、こちらは豪華絢爛スター映画である。
ストーリーは変わりないのでその点は楽にみれたが、長谷川和夫、淡島千景の二人のスターを配して、ひたすら彼らよりにとらえる映像は当時の文芸大作の典型的な娯楽映画として完成されています。

監督は島耕二、文芸物などを得意とする職人監督である。特に際だったショットもみられないものの、泣かせるところは泣かせるように演出していく手腕は非常に器用であり、今の監督ではとてもまねができないだろうと思われます。

ラストシーンが少々くどく見えなくもありませんが、これでもかと泣きのシーンを盛り込んでお客さんを引き留めるおもしろさこそ本当の娯楽であり、コレがエンターテインメントとしての映画の真骨頂であるようにも思えます。

素直に楽しんで、素直に泣いて劇場をでることができる。いまや忘れられた映画のあり方を見せつけてくれる大作でした。

「小人の饗宴」
ヴェルナー・ヘルツォーク監督のカルトムービーの一本で、その取り扱う内容から上映が制限されることの多いいわば珍品と呼べる一品である。

物語というものもなく、ひたすらおじさん顔、おばさん顔の小人たちが狂ったように笑いながらバカ騒ぎする様子をカメラがとらえていく。

豚を殺したり、猿を十字架に欠けたり、車を穴に落としたり、食べ物を投げつけたり、しまいにはなぜかラクダがでてきて映画が終わる。

終始、ゲラゲラと笑っているし、どこか小人たちをバカにしているかにさえ思えるが、そういう映像の訴えかけはない。途中、車に乗ってきた女性が道を聞く場面があるがこの女性も小人なのだから、いったいこの映画の世界の住民はすべて小人なのかと思えなくもない。そこに、ヘルツォークが語りたいものがあるのかと思えなくもないが、それも定かではないのだ。

小人たちが収容されている施設の所長が出かけたために、その留守にドンちゃん騒ぎをするという物語なのが解説には書いてあるが、どこをどうとらえるのか全く不明。結局、ヘルツォークが自由奔放にカメラを回しているようでもあるのだが、どこか作意的な演出も施されているようでもあり、こういう映像もあるものかと思う作品でした。