「静かなる情熱 エミリ・ディキンソン」
死後、1800編の未発表の詩が発見された詩人エミリー・ディキンソンの半生を描いた作品ですが、どうもエミリーがただクソ生意気な女性にしか見えず、激しい情熱の背後にひぞむ才能が見えなかったために、ただ、気の強い女の物語にしか見えなかった。私個人の私見だったかも知れませんが、そういう作品で、これというほどの映画ではなかったかなと思います。監督はテレンス・デイビス。
女学校でしょうか、主人公エミリーが気の強いところを見せるところから映画が始まります。あとはほとんど自宅の屋内での物語になり、何かにつけ言葉で論破して行くエミリーの描写が続く。
姉の結婚、兄の不倫、そして父の死、母の死、恋、すべてのシチュエーションで辛辣な言葉でしか表現できず、周囲から困惑されてしまうエミリー。もちろん詩の才能、繊細な感受性は持っているはずであろうが、その知性が見えてこない。
結局、エミリーは腎臓の病気を抱えていたようで、最後はその病で死んで行く。特に目を引いたシーンは、エミリーに求婚してきた男性を追い返してのち、ゆっくりとエミリーの部屋の扉が開いてエミリーのなんとも言えない表情が映し出された時でしょうか。全体に、とにかくエミリーの罵声に近いセリフが響くのが気になったように思えた映画だったかなと思います。つまり好みではないといことですね。
「何か面白いことないか」
導入部はびっくりするほど上手くて、ワクワクしてくるのですが、みるみる方向性が訳が分からなくなってきて、ラストはじゃあなんだと終わらせる、まさに怪作というような娯楽映画でした。監督は蔵原惟繕。
毎日の生活のマンネリ化にうんざりし始めた若いカップルが、とある喫茶店で一人の男裕次郎扮する次郎とであう。彼は元旅客機のパイロットで、おんぼろセスナ機を入札するために会社を辞め、なけなしの金で飛行機を買う。しかも、生命保険に入って分割返済できなければ保険で返すという。
この辺りまではハチャメチャながら楽しいのだが、台風の夜、浅丘ルリ子扮する飛行機の売却人が飛行機を止めていたロープを切り、飛行機が大破。裕次郎は返せなくなり、自殺するのではという記事が出て、アレヨアレヨと野次馬記者が詰めかけてくる。この辺からもうめちゃくちゃな展開が進む。
なぜか妙な陰湿さが出てきて、何が起こるのかわからない方向へ突き進み、結局エンジンを展示している会社のエンジンを盗んで、それを買い取る契約をして、エンディング。
いや、だからなんだったのという感じである。一体、何を目指したいのか途中からよくわからなくなってしまう映画だった。所々に見せる独特のカメラワークやアングルは面白いのですが、なんとも言えない一本でした
「黒い太陽」
プログラムピクチャーの一本なので、これを単品で評価して良いものかというところなのですが、とにかくイライラするストーリー展開に参ってしまった。ラストのショットはおおっとうならせてくれるが、途中がとにかくやけくそのように時間稼ぎをする展開になってしまっている。監督は蔵原惟繕です。
廃墟の教会で暮らす主人公の若者は、ブラックミュージックのジャズが好きで、傾倒している。そんなねぐらに機関銃で殺人事件を起こした黒人が逃げ込んできて、あとはひたすらこの二人の掛け合いと逃避行が繰り返される。
もう終わってもいいと思えばまた繰り返されるストーリー展開がしつこい上に、黒人の英語もよくわからないし、対する主人公の適当なセリフの羅列も鬱陶しい。
結局追い詰められて、黒人はアドバルーンに自分を結びつけて大空に飛んで行く。主人公は逮捕されエンディング。黒人が太陽と重なってタイトルの意味するところとなるのですが、同様の作品の「狂熱の季節」と全然違った。