くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「山猫」「新少林寺」

山猫

「山猫」イタリア語完全復元版
まず最初に、驚くのが、見事によみがえった豪華絢爛たる色彩、そしてクラウディア・カルデナーレの美しさである。
本物の調度品、本物の美術品がところ狭しと飾られた室内のシーンはこれこそヴィスコンティ映画の真骨頂ともいえるため息がでるような場面である。

さらに、クライマックス、クラウディア・カルディナーレ扮するアンジェリカの手にキスをするサリーナ公爵(バート・ランカスター)に対し、ほのかな嫉妬に揺れ動くタンクレディアラン・ドロン)の額ににじむ汗、老いた姿を鏡に映し、貴族の没落、時の流れに一抹の寂しさを浮かべるバート・ランカスターの目に一筋の涙が流れるシーンは30年近く前に初めてこの作品を見たときには気がつかなかった。デジタルマスタリングされたフィルムが再現した驚くような細やかなヴィスコンティの演出なのだ。

今更ながらなのですが、今回再見してみて、この作品が実にシンプルなストーリーであることに気がつきました。
地元の由緒ある貴族のサリーナ公爵家、すでにイタリアには革命が勃発し、時代は古き王政から共和制へと移り変わろうとしている。革命軍に従軍しにいく甥のタンクレディの姿をみて、時の移り変わりを敏感に感じ、古い因習に固執する自分たち貴族に嘆きを感じるサリーナ公爵の姿を通じ、イタリアの歴史をさりげなく描いているのである。

共和制に移行した後、上院議員になってほしいと以来にきた男を見送る際に「我々は山猫だ、次にやってくるのは山犬や羊だが、かれらもまた塩を手にするのだ・・」というせりふがこの作品の題名に通じます。(ちょっと記憶が甘いので少し違うかも)

土地の成金であるアンジェリカの父を一方で軽蔑しながらも影から応援し、新しい時代の立役者に身をゆだねざるを得ない自分の姿をわびしく見据えるサリーナ公爵の表情が実に微妙である。

食事に招いたアンジェリカがタンクレディの下品な話題に高笑いするシーンで見せるサリーナ公爵の複雑な表情。クライマックスの晩餐会のシーンで、勲章の意味も分からずにつけてきたアンジェリカの父の姿にさりげなくその勲章をはぎ取るタンクレディの姿、自慢げに戦争での武勲の話を語る軍人に不快感を浮かべるサリーナ公爵の姿、いとこ結婚ばかりで、はしゃぐ貴族の娘たちが猿に見えると嘆くサリーナ公爵の姿などの細やかなシーンに来るべき時代への不安、没落していく貴族への嘲笑を埋め込んだ演出にも目を奪われる。

そして、なんといっても豪壮華麗な貴族の館をさらに巨大に見せるカメラアングルのすばらしさ。まさに本物の貴族でもあるヴィスコンティならではの視点が見事に開花している映像芸術であろうといえますね。

クライマックスの晩餐会のシーンは圧倒される迫力がありますが、そのすばらしさの一方で、年齢のせいか疲れたサリーナ公爵が、アンジェリカからのダンスの申し出に、ワルツならと答える下り、そして、一人夜明けに歩いて返るサリーナ公爵の前に葬儀の場に向かう神父を見かけひざまずき「自分を迎えてくれるのはいつですか」と天を仰ぐシーンが何とも寂しい。

やがて一人寂しく暗い路地の奥へ消えていくサリーナ公爵の姿でエンディングとなりますが、終わった後ため息がでるほどにものすごいものをみたという感動に満ちあふれました。これこそヨーロッパ映像芸術の極致ですね。ルキノ・ヴィスコンティの世界を堪能できたひとときでした。すばらしい。

「新少林寺
辛亥革命の裏の部分を描きながら、革命軍の隊長で権力と金の欲望に突き進む主人公侯杰(こうけつ)が家族を失ったことがきっかけで少林寺に入り、人間性に目覚めていくドラマを完全にフィクションを交えた大エンターテインメントに仕上げた娯楽大作で、とにかくなにも考えずにおもしろかった。

監督はベニー・チャンという人で、ジャッキー・チェンがハリウッドから香港に戻り「新香港国際警察」シリーズを再スタートさせたときの第一作を監督した人で、私はDVDでしかみていませんがゲーム感覚で構成されたストーリーが抜群におもしろく、娯楽映画の秀作に仕上がっていた印象があるのでちょっと今回の作品も期待していました。

物語の導入部から、自分の欲望のために陰謀を巡らしたものの、部下に裏切られた侯杰(こうけつ)が馬車に乗って逃げるあたりのチェイスシーンははまさに西部劇のおもしろさとゲームのスリリングさが同居したすばらしいシーンで見せてくれました。

さらに、終盤、少林寺を舞台に曹蛮(そうばん)の軍隊と少林寺の僧との大乱闘シーンが豪快なカメラワークで描かれる演出は下手なハリウッドアクションよりよほど迫力と見せ場の連続なのです。その上、欧米軍が大砲で少林寺を破壊していくクライマックスもまた豪快そのものの大スペクタクル。これこそ娯楽映画の手本と呼べるようなシーンで締めくくってくれます。

全体にこれといった訴えかけがあるわけでもなく、大胆なカメラワークで描かれる少林寺の僧たちの格闘シーンと革命軍との銃撃戦で見せる乱闘シーンの面白さ、さらに利権をめぐって暗躍する欧米軍の卑劣さなどがどれにこだわるわけもなく次々と展開していくさまは単純な娯楽映画です。主人公侯杰(こうけつ)が曹蛮(そうばん)を改心させるべく命を書けるくだりが物語の中心であるかにも思えますが、全体の中ではほんの些細な部分でしか見えないところは弱点といえば弱点かもしれません。でも、スクリーンでこれ見よがしに見せる大エンターテインメントはかなりの見ごたえがあるし、さすがに香港映画のよさを目の当たりにさせる娯楽映画だったと思います。