くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「聯合艦隊司令長官 山本五十六 」「ミラノ、愛に生きる」

山本五十六

聯合艦隊司令長官 山本五十六 -太平洋戦争70年目の真実」
以前、三船敏郎版の作品をテレビで見たことがある。子供の頃だったのでほとんど記憶にないが、今回最新の特撮技術でよみがえった第二次大戦戦争スペクタクルと山本五十六の人間ドラマが最大の見せ場だろうと楽しみにしていました。監督は「八日目の蝉」の成島出である。

成島出監督はのこの作品での狙いが戦争スペクタクルというより山本五十六の人間ドラマに焦点を置いたようであることは今回の戦争シーンが「坂の上の雲」の日本海大海戦のシーンの方が迫力があった用に見えることから明白である。しかし、人間ドラマとしても特に際だって訴えかけてくるものもなかったいわゆる凡作であった。

「八日目の蝉」は評価は高いけれども永作博美の演技力によるところが大きく井上真央の部分は薄っぺらかったことは否めない。つまり成島出監督の演出力はそれほどでもないと思うのである。だから今回の作品にしても山本五十六本人の素直な姿を描きたかったという場面がたくさんちりばめられているが、どうもリアリティがないのが残念なのである。実在の人物なのだからそのあたりは難しいといえば難しいのですが。

まぁそれでもいいのかもしれない。実際の第二次大戦勃発から山本五十六が戦死するまでの順を追って描いていくだけなのだから、それ以上を期待するのも酷な話である。もっとハイレベルな脚本と監督なら違ったイメージの大作が完成したかもしれないが、それほど作品の質にこだわる観客もいないと思うし、これはこれで十分だと思う。それより、いまだに第二次大戦を忘れずに映画の題材に取り上げたスタッフには感心するし、この点は私も拍手したいと思います。

かつて山のように量産された戦争物映画よりもスケールを感じさせないのは画面の構図がテレビ的なのである。CGで描く連合艦隊の姿は実にリアルであるが奥行きを感じさせない。そのあたりの演出をできる特技監督がつかなかったこと人材不足、そして監督の力量不足。それもこの映画については妥協しようと思う。結局2時間半もの間眠くもならずにタンタンと進む歴史の真実と山本五十六の人間ドラマをさりげなく見ることができたのだから、大成功ではないでしょうか。私は感動こそはしませんでしたがそれほど不満も感じずに楽しめました。

ミラノ、愛に生きる
ヴィスコンティを彷彿とさせる映像美の世界というふれこみの期待の一本をみてきました。

繊維産業で財を築いたイタリアの富豪一家レッキ家、その当主である祖父エドシニアの誕生パーティの席で幕を開ける。雪景色のミラノの町はモノトーンで写され、やや色彩を押さえた室内のシーンが描かれていく。そこでエドシニアは次の事業の後継者に息子のタンクレディと孫のエドを指名する。ほとんどろうそくの明かりのようなほんのりとしたムードで語られるこのファーストシーンは、一見暖かい家族の風景のごとく見えるが、孫娘のベッタは今まで描いていた絵をやめ写真に方向転換したと祖父に告げ、祖父を当惑させるし、タンクレディとエンマの夫婦もどこかぎこちないショットが写され、不穏なムードがただよる。そして、エドの友人のアントニオが昼間エドにレースで勝ったおわびに得意の料理を持ってやってくる。たまたま彼を見かけるエンマの姿にこれからの展開が伺わせられるのである。

そして4年後、ここから物語は本編へ。エドがフィアンセのエマを招待したパーティの席でエンマはアントニオに再会、妄想の入り乱れる映像でエンマの欲望が心のうちにほとばしり始めるのが描かれる。
ベッタがレズビアンらしいと疑う出来事がありベッタに同姓の恋人を紹介したいと誘われたエンマは出かけた先でアントニオと再会、なぜかお互い引かれあって一気に愛し合う。エンマとアントニオが愛し合うようになってからカメラは今までの流麗なスローテンポから一気に踊り始め、非常に細かいカットや部分をとらえたクローズアップ、短いインサートカットを巧みに組み合わせて二人の情事の様子を描いていく。森の中で愛し合う二人のシーンの実に刺激的なカメラ演出は突出したこの作品の個性である。

また、厨房で食事を作るアントニオのところへ向かうエンマのシーンでは延々と廊下や階段を縫うようにワンシーンで追いかけたりする長回しも駆使して映像委がめまぐるしく踊り始める。

一方、会社はその未来のためにイギリスの会社に売却することになり祖父が築いた会社を手放すことで悩むエドの姿が描かれる。そして悩みを語るべく親友のアントニオを訪ねるが、アントニオはエンマと情事の最中で不在。そこでなぜか女の髪の毛のような物を見つけたり、母エンマが持っていた美術の本を見つけたりして、次第にエンマとアントニオの仲を疑い始める。

そして、売却先のイギリスの会社のスタッフを招いてのパーティで、アントニオがシェフになり、エンマの秘伝のスープでエドの大好きなスープをアントニオが作ったことからエドは母エンマへの疑いを確信、細かいカットですべてが明らかになるシーンはまさにサスペンスの世界である。

エドはエンマに詰め寄るがふとした弾みでプールに転落そのとき、頭を強打してそのまま死んでしまう。当惑し、放心するエンマ。葬儀の翌日、夫タンクレディにアントニオを愛している嫁げ、そのまま家を出て映画が終わる。

教会の大伽藍で夫は雨に濡れたエンマに上着を掛けるが、妻がアントニオとの仲を告白したとたんその上着をとる場面が実に冷酷な演出でびくっとさせられる。さらにその後、エンマが自宅にかけもどり、でていくための服やらを侍女に支度してもらうあたりの劇的かつ情熱的なカメラワークの激しいこと。背後に流れる音楽もオペラのごとく最高潮に達し、これぞイタリア、情熱の国といわんばかりのど迫力で一気に大団円。少々芝居がかりすぎているといえなくもないのである意味こっけいにさえ見えるのですが。その母を見送るベッタや子供たち。

ようやく家の束縛から解放される母の姿に誰もが涙し、そしてレッキ家がその崩壊を始めていくかのごときラストシーンは本当に劇的。まぁ、ここまで演出しなくてもと思わなくもないほどですが、この勢いはみごとです。まさに物語が映像だけでつづられているというイメージに驚愕してしまいました。

前半のカメラワークから後半の劇的な演出とかなり個性的な画面づくりはさすがに評価されるだけのことはあります。ヴィスコンティの退廃的なムードに共通する物があるといえばあるのですが、ヴィスコンティの絢爛華麗な世界とはちょっと違うイメージにも思える。そこはカメラマンが違うせいかもしれませんね。

いずれにせよ、見事な一本でした。もう一度ゆっくりみたいほどです。