くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ALWAYS 三丁目の夕日’64」

ALWAYS三丁目の夕日’64

このシリーズも三作目、可もなく不可もない普通の作品に落ち着いた感じでした。第一作、第二作と2年ほどの間でつくられ、それぞれに山崎貴監督の作品への意気込みを感じましたが、今回、5年たって、さすがにその迫力がなくなったようにおもいます。第一作が一番できばえが良いし、脚本のできばえも演出もなかなか力が入っていたように思います。そして、その意気込みは第二作目までは引きつかげたようにも思える。しかし、今回の三作目はちょっと、そのあたりが実に弱い。

物語は主人公となる六子(堀北真希)と森山未來扮する若い医師菊池との初恋から結婚の物語。一方吉岡秀隆扮する茶川と須賀健太扮する淳之介の物語を中心に、時代背景に東京オリンピックを描いて、高度経済成長に突き進む日本の姿を描いていく。誰もが高学歴と大企業での出世を目指していた時代に、次第に価値観が変化し、人の幸せは出世と安定だけではないと変わっていく様を菊池と淳之介の姿に投影し、また、古き結婚意識も、自由恋愛が徐々に浸透していく様も交えている。人の心の変化を微妙に交えていく脚本は今までと変わらないのであるが、登場人物が固定化されてきているために下町の人情物語に見えなくもない。

また、茶川が書く小説が不振になり、一方淳之介が投稿していた小説がブームになり始めるエピソードの影に、編集者が小説から漫画専門に変えていったほうが・・というせりふも飛び出してくる。時の流れをさりげないせりふにちりばめた脚本はなかなかのものかもしれませんが、といて、秀逸と呼べるほどのできばえでもない。

ラスト、六子と菊池が新幹線で新婚旅行に旅立ち、淳之介が茶川に追い出されるも、忘れ物の万年筆(第一作へのオマージュ)を茶川に届けてもらうラストシーンは第一作のエンディングの繰り返しとして、ひとつの終止符を打った感じがしないでもありません。

個人的には山崎貴監督はVFXの使い方についてはなかなか才能があると思いますが、さて、物語の演出、俳優への演技付けなどについてはそれほどの才能かと偉そうに思ったりもする。このシリーズ三本の内では一番平凡で、果たして作りたくて作ったのかというようなできばえだった気がします。このシリーズ、この辺でやめてほしいですね。しかも3Dって、それはちょっとやりすぎだろう!!何の意味があったのかといいたい。