くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「グッド・ドクター 禁断のカルテ」「マシンガン・プリーチ

グッドドクター

「グッド・ドクター禁断のカルテ」
期待はしていなかったが、その通りの映画だったのはちょっと寂しいほどでした。凡作というのがぴったり当てはまるつまらない映画だった。オーランド・ブルームももうちょっといい映画にでてほしいですね。

マーティン医師は研修医として赴任している。ある日、彼は人の美しい患者ダイアンの担当になる。大した病気ではないのですぐに回復するのであるが、そのつかの間の間にすっかり彼女に曳かれてしまう。

すぐに退院したダイアンは世話になったマーティン自宅の夕食に招待。そこで、マーティンはよからぬ策略を思いつくのだ。

処方した薬を佐藤のカプセルと入れ替え、再発した彼女が再入院してくるようにしむける。さらに入院してきた彼女の点滴も別の薬と入れ替え、さらに細胞培養のサンプルさえも入れ替えて、彼女の退院を遅らせていく。

周りはその計画に全く気がつかず、ただ難病として対処していく。
ところがあるよ、状態が急変したダイアンは死亡。いきすぎたことをしたマーティンはびくつくが、何のことはない周りは彼をいたわるばかり。

ところがダイアンがつけていた日記を手に入れた看護士がマーティンをゆすりはじめ、マーティンは再度彼も巧みに薬を飲ませ殺してしまうのだ。今度こそと思ったマーティンだが結局警察の手も及ばず、今まで通りの病院勤務を続ける彼のショットで映画が終わる。

とまぁ、なんのことはない映画なのである。映像の点からも脚本やカメラそのほかの点からも全く際だつものもオリジナリティもないこれこそ凡作と呼べる映画でした。

「マシンガン・プリーチャー」
「マシンガン牧師(プリーチャー)」と呼ばれ、アフリカの南スーダンで内戦であれる中で子供たちを助け続けている実在の人物サム・チルダースを描いた物語である。
正直、この手の物語は苦手というより嫌悪感を覚えてしまうのであるが、それは個人的な見解なのでここで語るのはやめようと思います。

2003年アフリカスーダン。夜、大勢のLRAの戦士がある村を襲撃、殺戮するショットから映画が始まる。そして、その数年目、アメリカ、ペンシルバニア、刑期を終えたサムが刑務所を出所するところから本編が始まります。

迎えにきた妻のリンとひとときの抱擁を交わした後自宅に帰ると娘のペイジが快く迎えてくれる。実に幸せそのものの家庭ですが、サムは幼なじみのドニーと覚醒剤や強奪をしてやりたい放題の生活に戻っていく。

ある日、薬の勢いで一人の男を殺してしまい、その罪悪感から妻たちが通う教会で洗礼を受け心を入れ替える。そして親友のドニーの薬中毒も助け、教会にゲストでやってきた牧師の影響でアフリカのスーダンの内戦の現状を見に出かける。そこで飢えと殺戮に苦しめられる子供たちを目の当たりにしたサムはこの子たちを助けようと私財をなげうち、寄付を求め、アメリカに拠点になる教会を作って積極的な活動を開始する。

当然、紆余曲折が描かれ、家族との確執が描かれ親友のドニーの死にも直面する。一時、自暴自棄になり狂気的に活動にのめり込みかけるも一人の少年の言葉に目覚め、人間としての感情を取り戻して新たに子供を助けに出かける。カメラは俯瞰でその姿をとらえエンディング。

エンドタイトルに実在のサムの姿などが写されていく。

スピーディかつハイテンポでどんどん主人公の前向きな行動を描いていく演出は決して間延びする暇を与えずに実話のリアリティを徹底的に訴えかけてくる。時に雑なシーンもみられるものの、常にサムの存在にのみ視点を向けたカメラワークは下手をすると銃撃戦のアクション映画に偏りかけるのを軌道修正し、一人の男のドラマとして描いていく。

テーマが重いし、子供たちの悲劇の姿も頻繁に登場するので内容はかなりシリアスであるが、人間ドラマと南スーダンの現実に対する訴えかけというテーマから決して目を逸らさずに語っていくスタイルが非常にきまじめな作品として完成させていると思います。

監督は「チョコレート」を演出したマーク・フォースターでもあり、人物を生き生きと描いていく演出はさすがにその手腕を発揮しているのではないでしょうか。

ただ、こういうテーマは個人的に好きではないので、気を抜くと嫌悪感が表にでる。しかし、そんな私の視点を決して目を背けさせずに最後まで見せきった迫力に拍手したいと思います。「正当化するつもりはないけれども、もしあなたの子供が誘拐され、私が助けにいくと言ったら、その手段についてあなたはとやかく言うだろうか?」というラストのせりふには感動してしまった。