くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「最高の人生をあなたと」「風にそよぐ草」

最高の人生をあなたと

「最高の人生をあなたと」
名匠コスタ・ガヴラスの娘ジュリー・ガヴラス監督作品
何かの建築家の賞の受賞式のロビー、夫であるアダムの演説がつまらないと出てきた妻のメアリーのショットから映画が幕を開ける。

真っ赤なコートが真っ白な幾何学的なロビーにたたずむというテクニカルなシーン。ゆっくりとカメラが引いていってタイトルになる。

すでに第一線を引退したかのような夫婦だが、その気持ちが表にでるかでないかの微妙な心の動きをとらえたしゃれた作品である。やはりロベルト・ロッセリーニウィリアム・ハートという粋な俳優さんが演じるととってもあか抜けた映画になるから不思議ですね。

真っ赤なバックのやブルーのバック、真っ白や黄色などの原色の色彩をふんだんに取り入れた画面づくりに特色のある映画ですが、物語は今一つすっと筋の通った堅苦しさはない。
記憶が飛んでいることに不安を感じた妻のメアリーは自分が老齢になってきたことを実感。一方のアダムはまだそれに気がつかないのか気づきたくないのか。そんな二人のどこかちぐはぐな日々が次第にバラバラになっていく様がユーモアあふれる映像でつづられる。

息子、娘たちあるいは孫、祖母の存在が微妙に絡んできて、これといってのメッセージ性を強制してこないのはとても気楽にみれる熟年自覚映画でした。
ラストで、やっと間に合った祖母の葬式でジョルジュとメアリーが抱き合って墓地の上に寝そべってエンディングがなんともしゃれていて気の効いたエンディングでした。

ちょっと物語のエピソードの構成がまとまりがなさすぎるのがちょっと残念ですが、背後に流れるテーマ曲としてのトランペットの軽快なリズムがこの映画のおもしろさを助長しています。決して秀作とまでは呼びたくないのですが、どこか魅力のある一本だった気がする。

「風にそよぐ草」
やってくれました。89歳という年齢にも関わらず全く衰えないすばらしい映像感性でつづるアラン・レネ監督の芸術作品の一つの頂点と呼べる映画に出会いました。

もちろん、この作品はクリスチャン・ガイイという人の原作があります。したがって物語というものがある。しかし、お話をたどろうとするとこの映画のすばらしさは全く理解できないと思う。それほどにこれこそが映画が映像作品であるということの証明をなしうる作品だからなのです。もちろん、上から目線で感想を書くつもりはありませんが、映画を見慣れていない人にとっては理解しがたいことは事実だと思う。

「去年マリエンバードで」をごらんになったことがあればあのイメージを思い出していただければいい。そしてその上でこの映画を楽しむのがベストだと思います。

映画が開巻、カメラは一つの煉瓦づくりの塔のようなものをとらえる。真ん中に穴があいていてそこにゆっくりと吸い込まれていく。すばらしいテンポでクレジットがフェードイン、フェードアウトする。このクレジットの表示のリズムからすでにアラン・レネの卓越したリズム感が私たちを不思議な陶酔感に呼び込んで、穴に落ちるように彼の世界に引き込まれてしまう。

タイトルバックにコンクリートか何かの割れ目から生える雑草を写し、オープニングが終わると草藪を縫っているかと思うと人の足首が画面いっぱいに写る。ナレーションをバックにヒロインマルグリットが靴屋さんにはいるまでをコミカルにナレーション。しかし靴を買って出たところでひったくりにあってバッグを持っていかれ、お金がなくなった彼女は仕方なく靴を返品。

場面は変わって主人公の初老の紳士ジョルジュが駐車場で車に乗ろうとして足下の財布を見つける。あけてみると、軽飛行機の免許と財布。ジョルジュはさんざん迷った末に警察に届ける。

こうして二人の出会いの物語の発端が幕を開けるのですが、ジョルジュが執拗にマルグリットに電話をしたり手紙を届けたりする。ストーカー的な行為に対しマルグリットは警察に届けたりするものの、一方で電話をして誘ったりする。

どうやらマルグリットは歯医者さんであることなどが描写されるがそれ以上は全く不明。一方のジョルジュも娘たちがいたり、妻がいるがそれ以上のこと全くわからない。時折「自分のことがばれたのはないか?」などというなぞめいたせりふも飛び出すためにいよいよミステリアスになる。

ジョルジュが映画館に出かけたシーンを20世紀FOXのオープニングの曲で華々しく描いたり、ラストでマルグリットとジョルジュが抱き合うシーンにも流してfinの文字をちりばめたりとお遊びシーンも満載である。この余裕もみている私たちには心地よい。

さらに謎だらけの人物設定もすべてアラン・レネは映像で処理してしまう。つまりこだわらなくてもどんどん画面が物語を先へ進めるのだ。

行き違っているようで、その一方で曳かれあっているようで、しかしジョルジュと妻の間には確執が生まれる形跡もない。マルグリットの友人とジョルジュがキスしたりする意味深なショットもある。

そして、ラスト、マルグリットはジョルジュ夫妻を自分の飛行機に招待し、その遊覧飛行の最中、マルグリットはジョルジュに操縦感を握らせる。しかし飛行機に乗る直前にジョルジュのファスナーが壊れたままなのを見つけ、それに動揺したジョルジュは運転を誤って、彼方に落ちたかのようなシーン。

カメラが地面を縫うようにはっていって、一つの部屋の中に横たわる少女が「猫になったら猫の餌が食べられるの?」とつぶやいてFINの文字がでる。その後のエンドクレジットも絶妙のリズムで次々と現れ、どこか狐に摘まれたような感覚で映画が終わる。

にもかかわらず、思い返すとしっかりとそのシーンそれぞれが思いだされ、静かに流れるピアノの伴奏が頭に残っている。果たしてマルグリットはわざと操縦をジョルジュに代わって死ぬつもりだったのか?はたしてジョルジュは尋常の精神の持ち主だったのか?マルグリットはその正体は何者だったのか?など様々な謎が一つの映像芸術の中にわき起こってくる。

映画が始まってからその映像に酔いしれてしまい、気がつくとラストシーンを迎えている。しかも、その映像には凡人にはかれない芸術家アラン・レネの卓越した才能がなしうる世界が確固として完成されている。これこそが映像としての映画の本当の姿だと思う。すばらしかった。大満足です。