くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ブエノスアイレス」「汚れなき悪戯」

ブエノスアイレス

ブエノスアイレス
自然光を中心にした美しいライティングと、モノクロ、カラーの繰り返し、さらにスローモーション、ハイスピード等のテクニックを駆使し、手持ちカメラのみずみずしいほどの映像が二人の恋人の愛と別離、傷心を見事に描いていく傑作。さらに、アストル・ピアソラの切ないメロディが映像にさらに深みと哀愁を生み出していく。

元来、ホモセクシャルな映画は苦手で入り込めないのですが、この作品はホモセクシャルよりも二人の恋人の微妙な感情と絡めた愛と友情のドラマに心が自然と引き込まれうたれていきました。

ファイ(トニー・レオン)とウィン(レスリー・チャン)がベッドで戯れている姿から映画が始まる。モノクロームのオープニングがこれからの微妙な物語の始まりを予感させるようでもの寂しい。

二人はアルゼンチンのイグアスの滝を目指して車を走らせるが途中道に迷い、車が故障し、自然と諍いが始まる。まっすぐに続くハイウェイが車のトラブルで遮られるかに見える展開はあたかも二人の関係がここで微妙な溝を生み出し始める象徴であるかのようです。

金がなくなり香港へ戻れなくなった二人、ファイはドアマンの仕事について日々の生活を始める。ウィンは様々な男との関係を繰り返しながら自堕落な生活を続けている。しかし、ある日、傷ついたウィンはファイのところへ転がり込む。

時にカラーフィルムに切り替わるとぼんやりとした自然な映像が美しいライティングで独特の優しさを生み出すが、二人の関係はどこか不器用にかみ合いきれない。お互いに曳かれ、求めあっているにも関わらずののしりあってしまう姿が実に初々しいほどの美しい愛の姿を一方で描写しているかのようなのです。

ファイは香港へ帰る金と父の友人から盗んだ金の返済のために深夜レストランの厨房へはいる。そこで、気のいい後輩のチャンに出会う。彼は金をためて南米にあるという世界の果てに行くのだという。いつも悲しげに電話をするファイの姿をじっと見ているチャン。もちろん彼はホモセクシャルではないものの、悲しそうなファイの姿に密かに愛情を持っているようです。

やがて、けがが癒えたウィンはでていって、ファイはひとりぼっちに。そして、チャンは一人旅立つ日がやってきて、ファイとしっかりと抱き合って旅立つ。その前にチャンはファイにテープレコーダーに悲しみを録音して桶という。世界の果てに悲しみを捨て去るために。

金のたまったファイはイグアスの滝へ一人出かけ悲しみを癒そうとするが、ウィンの去った心の空白はどうしようもなくいやしきれない。

そして、ファイは台北へ。そこの屋台で南米の灯台の傍らに立つチャンの写真を見つける。その姿に自分の未来に何かつかむものができたかのように写真を盗んで去っていく。

ハイスピードで夜のハイウェイをとらえたり、スローモーションや非常に細かい編集などで心の微妙な揺れ動きを映し出すウォン・カーウァイ監督のバイタリティあふれる映像に終始釘付けになるとともに、背後のメロディとの映像と音楽の重なりあったリズム感にすっかり酔ってしまいました。話は面白味もない淡々とした物語ですが、エンディングの後なんともいえない想いが胸に沸き上がってきました。

「汚れなき悪戯」
いわずとしれた名作であるが、かなり以前にみたきりだったので、今回午前10時の映画祭で再度スクリーンでみる機会を得ました。監督はラディスラホ・ヴァホダという人でこの作品以外はほとんど知られていません。主演はいうまでもなくパブリート・カルボ少年。

一人の神父が病気で寝ている少女の元を訪れるところから映画が始まる。この日は村の「聖マルセリーノの祭礼」の日である。神父は少女と両親の前でマルセリーノの奇跡の話を語り始める。

スペインとフランスの戦争の後あれ果てた貴族の家に3人の修導士がやってきて修道院を建てる。ある日、修道院の前に一人の赤ん坊が捨てられているのが見つかる。12人の修導士はこの赤ん坊を育てることにする。

そして5年後、いたずら盛りのマルセリーノは怒られながらも修導士たちにかわいがられている。

修道院の中を走り回るマルセリーノのショット、外に広がる美しいスペインの空の雲のシーン、時折見せるマルセリーノの顔のアップと心地よいリズムが物語を紡いでいく。この詩情あふれる演出がこの作品の秀でた部分かもしれません。

物語の転換点はマルセリーノが町につれていかれ、そこでひと騒動起こしてからである。淡々と進んできたほのぼのした物語がここから一転、修道院の立ち退きを迫る村長、修導士たちにうとまれ始めるマルセリーノのさみしさが必然的に上ってはいけないという二階へとマルセリーノを誘うのである。

そして、そこでキリスト像と出会い、あまりにも純粋なマルセリーノの心はその像にむかってパンやぶどう酒を持ってきては友達のように話しかけるようになる。
不審に思った修導士がのぞいてみると、キリストはマルセリーノの望みを叶えるべく今にも神の元に召されようとしていた。そして修導士たちの前でマルセリーノは母の待つもとへと召されていった。

ルネ・クレマンの「禁じられた遊び」のような卓越した演出はみられるわけではなく、ストーリーの展開のバランスと詩情あふれる景色の描写、さらにパブリート・カルボ少年の愛くるしさが見事にコラボレートして名作として完成された一本だと思います。その意味でこの監督にとっては唯一無二の代表作となったものでしょう。本当に映画というのはおもしろいものだなぁとつくづく思ってしまいました。