くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ザ・マスター」「汚れなき祈り」

ザ・マスター

「ザ・マスター」
ポール・トーマス・アンダーソンが描いた今回の作品は、主人公フレディの深層心理の奥底に潜む心象風景を描き出したかのような非常にシュールで個性的な心理ドラマ。

カメラの使い方、映像演出、バック音楽の使い方は非常に独創性に富んでいる。しかもストーリー展開もどこへ向かっていくのかと思えるように淡々と進んでいく。平坦ながらどんどん心の奥底に沈み込んでいくような感覚に浸ってしまう。結果として、終盤が近づくと眠くなる。それは退屈ゆえではなくそういうリズムで演出されているからである。

開巻、真上から船の航跡を写す。波しぶきからカットは船員たちのショットへ。背後に第二次大戦が終わったというラジオの声が聞こえる。主人公フレディは訳の分からないアルコールを混ぜ合わせて豪快に飲む。どこか異常な姿である。砂浜で水平たちが砂で作った女にはしゃいでいる。そのおんなにかぶさりSEXするフレディ。

内地に帰ってもことあるごとにアルコールを飲み、写真の仕事でも客とけんか、農場でも同僚の農夫と喧嘩してしまう。ある日、酔って忍び込んだ船でランカスター・ドッドという男と出会う。彼は「マスター」と呼ばれコッズ・メソッドと呼ばれる独特の治療方法で教祖的な存在であった。そんな彼の元に身を寄せるフレディはしだいにマスターに好かれていく。

宣伝では洗脳されていく物語であるかにかかれているが、少し違う。ドッドはなぜかフレディと会うべくしてあったと考えているのである。そして、フレディの病的な精神状態を直そうと催眠術まがいのことや、奇妙な質問などをなげかける。このあたり、フィリップ・シーモア・ホフマンホアキン・フェニックスの演技力のなせるものかものすごい迫真のシーンが続く。

この「ザ・コーズ」という宗教的な団体が異常に見えるのはドッドといっしょに全裸の女たちが踊るシーンである。男どもは全員着衣なのに、女は老いも若きも全裸で踊り狂うのである。このシーンでこの団体が普通ではないと思うが、ほかのシーンではそれほど過激な演出はない。

フレディとドッドの物語としてこの後も淡々と続いていくので、その行き着く先がだんだん見えなくなってくる。そして、時折、フレディは過去の自分の姿をみたり、空間が一気に飛んだりするという描写が行われる。

オートバイで遙か彼方まで走れといわれて、フレディはそのままドッドの元を去るが、イギリスに渡ったドッドから連絡がくる。なぜ居場所が分かったのかも不明のままフレディがドッドを訪ねると巨大な部屋で執務をするドッドがいる。この教壇がいかに巨大になってきたかが目の当たりにされる。そこで、ドッドはフレディとは会うべくしてあったと告げて抱き合う。

映画は砂浜に作った女体を見つめるフレディのショットでエンディング。タイトルが流れる。

結局、描かれたのはフレディの心の世界なのか?現実の物語なのか?第二次大戦直後だが、時と空間が大きくジャンプする映像演出にその時間の流れも不明になる。背後に流れるジャズの曲やピアノ曲などのセンスの良さも秀でているが、なんといっても二人フィリップ・シーモア・ホフマンホアキン・フェニックスの演技のすばらしさだろうか。

決して、わくわくするおもしろい娯楽映画とはいえないが、ハイレベルの作品であることは否めない傑作と呼べる一本でした。


「汚れなき祈り
4ヶ月、3週と2日」のクリスティアン・ムンジウ監督作品。圧倒されるフィックスのカメラアングルと延々と描くワンシーンワンカットの演出、粛々と交わされる会話の応酬に肩が凝ってぐったりとなってしまう。

孤児院で育った仲良しのアリーナとヴォイキツァ。修道院に入ったヴォイキツァのところにアリーナが会いに来て駅で抱き合うところから映画が始まる。どうやらこの二人は友達以上の仲であるような雰囲気がだんだんにおわせてくる。

一緒に修道院へ行ったものの、今や神に仕えることの方を大切にするヴォイキツァにアリーナはたまらない寂しさを覚える。そしてことあるごとに一緒に一緒にと懇願するのである。

修道女たちが交わす会話のシーンも据え付けたカメラが延々とワンカットでとらえていく。移動やパンを極力抑えたカメラ演出は重苦しいほどに厳格な修道院の人々の姿を描写していく。

修道院を出て一緒に暮らそうと迫るアリーナだがヴォイキツァはためらう。ヴォイキツァの態度は修道院に原因があるのだとアリーナは神父たちをなじるようになっていく。やがて常軌を逸した行動に走るアリーナはいったん病院へ。しかし、どこも問題がないと再び修道院へ戻る。

暴力的な行動がやまないアリーナについに修道女たちは悪魔払いを神父に依頼する。暴れるアリーナを木に鎖で縛り付けて儀式が始まるが、どこか疑問を持ち始めるヴォイキツァ。とうとう、耐えきれなくなったヴォイキツァがアリーナの鎖を解いてやる。津々と雪が降り始め、辺り一面雪景色となる。

その翌朝、落ち着いたアリーナの姿に修道女たちが安堵したとたんアリーナはその場で気を失い病院へ着いたときには事切れていた。

警察に神父たちがつれていかれ、検事が戻るの車の中でまつ神父と警察官たち。横を走るバスが泥を跳ね上げてフロントガラスが泥まみれになってエンディング。

実話を元にしているので動かせないエピソードも多々ある中でしっかりとしたカメラワークと前半の静かなシーンの連続から次第にヴォイキツァの心の変化を描き、さらにクライマックスの悪魔払いの儀式でヴォイキツァの心理状態が極限になるとともに、縛られたアリーナのヴォイキツァへの思いも事切れるラストショットが何とも切ない。鎖をほどいて「逃げなさい」と告げるヴォイキツァをじっとみつめるアリーナのショットがすばらしい。

二時間を超える作品であり、三分の二くらいが宗教に絡んだ淡々としたリズムの映像なのでかなりしんどいが、ラストの四分の一あたりのドラマティックな締めくくりがそれまでの粛々としたシーンを一転させて一気に観客にアリーナとヴォイキツァのドラマを訴えかけてくる。もちろん、宗教的なメッセージを伴っていないとはいわないものの、重厚すぎるラストシーンをさっとかわす泥の跳ね上げのしょっとが驚くほど鮮やかでした。好みの映画ではないものの作品の質は非常にハイレベルな一本だったと思います。