くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「喜びも悲しみも幾歳月」「新・喜びも悲しみも幾歳月」「風

喜びも悲しみも幾歳月

「喜びも悲しみも幾年月」
かなり以前に見た作品だが、この年になって本当のこの映画の価値がわかるものかと再見。

この作品、前半の第一部よりも後半の第二部の方がカメラショットといいドラマ性といいしっかりとしてくることに気がつく。確かに前半は主人公二人が新婚直後の若き日を描いているので灯台守の仕事や日本の津々浦々の姿をとらえる紹介じみた展開になるのは納得するがその終盤、第二次大戦が勃発し、後半太平洋戦争が起こってからはやはり木下啓介の毒が所々に挿入されてきて物語がドラマティックになってくるのだ。

戦争批判を含めた痛烈なせりふ。社会の変化にともなってくる人々の心の変化などがそこかしこに挟まれ、中心になるドラマにどんどん深さが加わってくる。さらにカメラも安定し、画面の構図も美しくなってくる。そして日本が高度経済成長に突き進むことを象徴するべく娘夫婦は貿易会社に勤務した夫と共に主人公夫婦の元を去っていく。有名な霧笛での別れのシーンで一気にクライマックスを迎える。

確かに160分はかなり長いが、後半は全くだれてこない。ラストに思わずむせび泣いてしまったのは年のせいだろうか。名作の持つ本当の情緒あふれる美しい日本の世界感がこの作品にはしっかりと根付いているように思えた。やはり名作だ。

「新・喜びも悲しみも幾年月」
やや観光案内的なシーンも多々あるものの基本的なストーリー構成は旧作に同様で父と子の物語を丁寧に描いていく木下恵介の手腕はなかなかのものである。なんといっても脚本がすばらしく、微に入り細に入るせりふのすばらしさにはうならされる。

そしてそれに答えたのが大原麗子のしっかりとした演技力と植木等の抜群の存在感である。

夫婦とそして子を持つ母親のさらには親を思う子供やたちの機微、本音がさりげなく交わされるせりふの中にちりばめられていて一つ一つ取り上げられないほどに胸が熱くなる。

ラストで大原麗子が息子の姿を双眼鏡で探す下りで「あの子だけが帽子を振ればいいのに」とか様々な言葉の端々に描かんとする様々な感情がきっちりと語られていく。

旧作に比べてそのレベルを比較することはできるが、さすがにある程度の水準以上の作品に仕上がっていることははっきり見えるのである。

旧作から30年たち時はテレビ全盛。その影響か1950年代の作品とは違ってクローズアップやバストショットが非常に多くなりかつてのような抒情的なショットはかなり影を潜めた映像になっているし、構図にしてもそれほど美を感じさせるようなアングルはない。それでも練り込まれた間で語られていくせりふと仕草の盛り込まれた演出が知らず知らずに忘れ去られつつある家族の絆や人と人の縁の大切さを切々と語ってくるのはすばらしい。

子供の船を見送る大原麗子が「戦争にいく船でなくてよかった」とつぶやくせりふなどに木下恵介の毒も見え隠れする。これが木下恵介作品の味であろうと思う。

「風花」
これはすばらしかった。横長の画面を最大限に利用した農村の風景の美しいこと。さらに画面の構図の美しさにも目を見張る。そしてさらに驚くのはこの物語の構成のモダンさ、斬新さである。

長野の農家の大地主の家を舞台に、今まさにそこの一人娘さくらが嫁ごうとしているシーンから映画は始まる。一人の青年捨雄が川にかけていく。その後を追う母春子、ようやく抱き止めた捨雄の手に扇が。そして物語は19年前に戻るのだが、過去と現代を何度も繰り返し、さらに同じシーンを繰り返すという斬新かつモダンな映像演出が施されている。抒情豊かな景色を背景に古風な旧家の物語があまりにモダンな演出で描かれるのは実に独創的で、作られた製作年度をみても驚かされる。これが木下恵介のすごさである。

大地主の息子英雄と心中事件を起こした使用人の娘春子。一人生き残った春子のおなかには英雄の子供がいたが、息子の不祥事に腹を立てた英雄の父はその子供に勝手に捨雄という名前を付けてしまう。しかしこの家の一人娘さくらは彼をかわいがり二人の間にはいつの間にかほのかな恋心が。しかし、さくらは金持ちの家に嫁ぐことになり、かなわぬ恋に嘆く捨雄の話が切なく語られる。

やがて、春子と捨雄はさくらの結婚を機会に家を出ていずこかへ。橋の上で長年住んだ家に最後の別れをする二人にちらほらと雪が舞う。すばらしいエンディングにうっとりするが、それにもまして今となっては珍しくもない過去と現代を繰り返したり、同じシーンを何度も映し出すというチャレンジ精神あふれる演出に頭が下がる。見事な秀作でした。

「Virginia ヴァージニア」
フランシス・コッポラ作品だというのにレイトショーオンリーの上映だがこれは見逃せないと見に出かけた。

前作同様デジタルカメラによるファンタジックな映像が展開する。物語はホラー作家で次の作品の構想に悩むホールがエドガー・アラン・ポーゆかりの町にやってきて出くわすミステリアスな殺人事件。その事件を題材に小説を書き始める彼の前に不可思議な少女ヴァージニアが現れる。彼女とホールの娘のボート事故へのトラウマが絡んできて、そこへホラー小説好きの保安官ボビー藻は入り込み、その町の不思議な時計台やらが不気味なムードを醸し出してストーリーが展開。

閉じられたはずのホテルが夜中に開業していたり、気を失ったり眠ると現れるエドガー・アラン・ポーがホールを導いてその町の殺人事件の真相へ向かわせたり、警察署の死体安置所に杭を打たれた少女の死体があったりと、どこまでが現実でどこまでが幻想化の区別が取り払われていく。

デジタル映像を駆使しているのはわかるがやはりコッポラならフィルムにこだわった格調高い映像がみたいものだとストーリーを追っていくと、実は杭打たれた少女を殺したのは保安官だったという結末へ導かれ、それを小説にして完成するホールの笑顔でエンディング。

ヴァージニアはホールの娘ヴィッキーの幻影の姿か、それともホールの心に宿る小説家としての感性が生み出したものか。不可思議な映像の中で映画は終わるのだが、どうも近年のコッポラ映画は好きになれないなと今回も思った次第です。