くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ジャックと天空の巨人」「偽りなき者」

ジャックと天空の巨人

ジャックと天空の巨人
名作童話「ジャックと豆の木」を元にしたファンタジックアドベンチャー大作。監督はブライアン・シンガー、そして、助演にやたら出演のユアン・マクレガーという作品です。

CG全盛の御時勢なので巨大な豆の木が延びていくあたり、さらに天空に住んでいる巨人のシーンなどCGシーン満載で素直に楽しめる娯楽映画でした。まぁ、今時といえば今時で、3D上映もありましたが裏切られる方が多いので2Dでみた。

物語は二部構成の形を取っている。前半が姫救出の物語。そして無事救出して主要人物も下界にもどり、王位をねらっていた悪者も死んでめでたしめでたしとなったところで、天空に残していた豆を巨人が蒔いて下界へ攻め込んでくる。攻め込んできた巨人と王様たちが戦うのが後半部分。

確かに、エリック王の王冠を天空に残したままでジャックたちが地上に戻るのだからつながりがあってしかるべきなのですが、この前半と後半に完全に隙間を作った物語構成はちょっとおもしろいかもしれません。

後半の脚本がなかなか秀逸で、単に巨人たちが城に攻めてくるだけの話ですが、巨人の頭領が最初に堀に落ちてそのまま地下から城の中に入って大暴れ。ジャックと姫が太刀打ちし、ジャックが一粒だけ持っていた豆を巨人に食わせて双頭の巨人は死んでしまう。この巨人がエリックの王冠を持っていた為にそれを手にするジャック。

一方城に迫った巨人軍団と果敢に戦う王様たちのシーンも迫力満点で、時に巨人たちを圧倒する勢いがあるあたり見せ場満載でこの部分だけでも十分に楽しめる。この二つの場面それぞれ決して手を抜かずに演出されているのが実にうまい。さらに、巨人を天に帰すための伏線となった豆を食べさせて双頭の巨人を倒し、豆の木が再び天へ延びるという展開もうまい。

あわや王様たちがやられるかとおもいきやエリックの王冠をかぶったジャックが登場してめでたしめでたし。冒頭で見せ物小屋で姫のピンチを助けたジャックの後ろにユアン・マクレガー扮するエルモンドが現れる逆のパターンでエルモンドの後ろにジャックが現れるというお遊びで締めくくる。

このあたりの組立とストーリーテリングはさすがにブライアン・シンガーうまいね。とはいえ単純な娯楽エンターテインメントだし、面倒な作品分析はこの辺にしといた方がいいと思う。おもしろかったからいいじゃないのという映画でした。


「偽りなき者」
心ない少女の一言から大人たちが悪意の感情を増幅させていき一人の人間を非難し、責め立て、人間としての扱いさえもしなくなる。正直、この手の物語は大嫌いであり、虫ずが走る。見に行きたくなかったのであるが、作品としての評価が高いこともあり、いかなる映像作品かという映画ファンの心意気だけで見に行った。

予想通り、冒頭から気持ちがムカムカしっぱなしであった。ラストに至っては全く行き場のないエンディングにほとほとがっくりしてしまいました。もう二度と見たくない。

のですが、映画作品として冷静に見つめてみると実に巧妙に人間の心理ドラマが描けています。その点については評価せざるを得ません。

主人公ルーカスがどうしようもない怒りの中でぐっと堪え忍ぶように過ごす姿。一方自分の一言でルーカスを追いつめたという気持ちはあるのですがどうにもならないアンバランスな表情を見せるクララの姿。日頃の不満のはけ口としてルーカスに敵意を向ける村人の怖さ。大人たちの異常な狂気をさりげない視線で蔑視するスーパーのレジの女の子のカットなどなど細かいところに見事な心理描写をちりばめている。

離婚と失業に打ちひしがれている主人公ルーカスは幼稚園の先生として何とか仕事を見つけ落ち着いた毎日を送っている。子供たちにも人気があり、園についたとたんに子供たちに取り囲まれる。物語は11月に始まる。舞台がデンマークなので景色は実に殺伐としていている。まるでこれからの物語を象徴するようである。

ある日、ルーカスが園からの帰り一人ポツンとたたずむ少女クララを見つける。ルーカスの親友のテオの娘である。両親とはぐれてしまったというクララを家に送るルーカス。いつのまにかクララは優しいルーカスが大好きになる。ほかの子供たちと一緒にルーカスと遊びたいが入っていきにくいクララはちょっとした隙にルーカスの口にキスをする。さらに、ハートのおもちゃを作ってプレゼントしようとするが、ルーカスに諫められる。

大好きなルーカスにしかられて落ち込んだクララの様子に理由を知らない園長が問いただし、鼻をすすりながら答えるクララのシーンが実にうまい。そして、クララのさりげない一言で園長はルーカスがクララに性的虐待をしたのではと疑う。ここからこの園長がどんどん自分的に増幅させていく。この園長が実にバカというか冷静さがない。こんな人物が大勢の子供を預かる園長としての職にいることが一番の問題ではないかと思うのだが、物語はどんどんルーカスが変態であるという方向へ。

クララの家庭も、時に夫婦喧嘩が絶え間なく、兄も平気で妹にアダルトサイトの写真を見せつける。この家庭も一見普通であるがどこか異常である。クララがついてこないことを気にせずに家に帰ってしまうこと自体おかしいのではとも思えるのです。

少女の一言を大人が都合のよいように歪めていき、恰好のターゲットを見つけた獣のように弱者に牙をむいていく。異常なくらいに嫌悪感を露わにする園長もだが、親友だといっていたテオさえもがルーカスを敵視していく。見ている観客はたまらない。唯一、ルーカスの息子マイケルの名付け親だけが味方のように振る舞う。

12月、クリスマス、警察での調査でルーカスが無罪と判明しても人々の冷たい視線は変わらず、テオもぎこちなくルーカスを見つめる。教会でルーカスに責められるテオ。
村人たちは純粋に犯罪を憎んでいるのではなく、敵視したい狩りの獲物を失いたくないのである。

カメラがじっくりとルーカスの姿を追いかけながら、不気味なほどに悪意の固まりになる大人たちの姿を冷たく見据えていく。

年が明け、人々の心から次第に狂気が薄れていったかのようなシーン。マイケルが成人になったことを村人が祝い、ルーカスは銃をプレゼント。今までルーカスを敵視していた人々もルーカスを抱きしめ祝福する。時間がすべてをぬぐい去ったかのようである。

ルーカスとマイケルが最初の狩りで森の中へ。一人になったルーカスが獲物を見つめていると突然銃声、明らかに自分をねらったことに気がつき倒れる。太陽を背にして一人の男が銃でルーカスをねらっている。誰かはわからない。そして、脅した後、その男は去っていく。暗転、エンディング。

ルーカスの幻覚だったのか?村人の狂気は消えていないのか?疑問を投げかけられるエンディングであるが、これでは出口が見えなさすぎる。あまりではないだろうか。これも映画の表現方法なのだからかまわないが、私はたまらなかった。