「彼岸花」
小津安二郎初のカラー作品で、ドイツのアグファカラーと呼ばれる落ち着いた色彩の発色により描かれた作品で、カラーを初めて意識した小津安二郎の画面づくりが随所に見ることができる。
主人公平山の家の廊下からローアングルでとらえるカメラの右端に真っ赤な茶釜、廊下の反対の奥においてあるいすの上の真っ赤な敷物や、タンスの上の赤いラジオ、次女久子の服装の色はブルーやハンドバックの赤などなど、様々にこだわった調度品や服装の演出が際だつ。
そんな毒々しい色彩の反面、アグファカラーと呼ばれるフィルムの落ち着いた色合いが不思議と静かな物語を引き立てていく。
物語は平山の友人河合の娘の結婚式から始まる。そこでぶこつなスピーチをして、友人等三人で料亭で酒を酌み交わし、それぞれの年頃の娘の結婚の話へ。
ところが、時を経ずして平山の会社に突然一人の若者谷口が娘節子と結婚させてくれとやってくるところから物語は本編へ。
友人との話の時は、物わかりの良いようなことを言っていた平山だが、いざ自分の娘が勝手に恋人を見つけ、結婚を決めてきたことでへそを曲げてしまう。そこへ平山の友人の三上の娘文子が勝手に家をでたことで、そのことで骨を折ったり、京都の佐々木の娘幸子のことでも相談に乗ったりと、平山は外では頼りがいのある物わかりの良い男を演じるところがなんともコミカルでさえある。
やがて幸子の芝居で思わず節子の結婚を許してしまった平山。そこからあれよあれよと物語はクライマックスへ。
京都へよったついでの平山が佐々木幸子に言いくるめられて、広島へ行った節子に会いに行くことになり、渋々列車に揺られるシーンでエンディング。
心の中では賛成し、喜びながらも、複雑な父親の心を見事に佐分利信が演じる。頑固おやじながら、どこか冷たさを感じない行動がラストに向かうにつれて、見ている自分が目頭が熱くなってくるのである。
ローアングルの落ち着いたカメラはこのあたりでは当然のように作品の質を確定し、さらにバーの路地のシーンや会社のビルのカット、冒頭のインサートカットからはいる物語の作り方など完成された美学も楽しむことができます。
また一本の名編にふれることができました。良かった
「出来ごころ」
いわゆる喜八物と呼ばれるサイレント時代の人情話である。
人々が座って浪花節を聴いている場面、ゆっくりとカメラがパンして人々をとらえて映画が始まる。
その中で財布のエピソードなどのコミカルなシーンのあと、寄席が引けて人々がいなくなった後に、一人の女春江がじっと隅でたっている。行き場のない春江を見かねた喜八は、友人の次郎の忠告も聞かず声をかけ、春江を行きつけの居酒屋のおとめ(かあやん)に預ける。
喜八には悪ガキの一人息子富夫がいて、父一人子一人の生活。気のいい次郎とちかくの工場つとめである。
朝の起き掛けの富夫のむこうずねを殴るエピソードや、父が読み書きができないと富夫がからかわれるエピソードなどが続き、春江が次郎に気がある展開などが進む。
ところが富夫が病気になり、命が危うくなり、何とか助かった者の病院の支払いに四苦八苦していると次郎が知り合いの床屋に金を借りて、その後、返済の金を稼ぐために北海道へ出稼ぎに行くと言い出す。それを知った喜八は自分が代わって船に乗る。
かあやんらが止めるシーンで空に花火が揚がるのが印象的である。
そして船に乗ったものの、富夫が愛しくなった喜八は、船から飛び降り泳いで帰ろうとするところでエンディング。突拍子もないラストシーンに唖然としてしまうが、これもまた小津安二郎の世界であると思うと、微笑ましくなってくるのです。
「秋刀魚の味」
何度か扱われた父と娘の物語で、小津安二郎の遺作である。
このあたりにくると真正面からカメラを構えて、奥に突き抜けたシンプルな構図が少なく、どちらかというやや斜めに路地を奥にとらえるカットが多いいことに気がつく。
とはいっても、いつもの料亭若松でのシーンでは低いアングルで入り口を撮って、同級生三人が酒を飲むシーンへ続く。おきまりの女中がやってきてコミカルなシーンへと続くのは同じであるし、二階の廊下の奥に巨大な提灯がぶら下がる料亭のショットなども毎度の場面である。当然、無人のカットやインサートカットも多用されているが、どこかカメラが斜に構えている。
映画は立ち並ぶ工場地帯の煙突を撮るところから始まる。とある会社で主人公の笠智衆扮する平山が執務をしている。男やもめで一人娘路子と次男和夫と住む平山。学生時代からの同級生河合、同じく同級生で最近若い奥さんと再婚した堀江もそれぞれに娘を片づけている。そんな中、かつての恩師で瓢箪のあだ名の佐久間先生を迎えての同窓会。先生も一人娘がいるのだが、とうとう嫁にやりそこねたらしい。
平山と河合が佐久間先生を送っていって、いまはラーメン屋を営む実家を見、でてきた娘が出迎える。なんと演じるのは杉村春子である。平山と河合が帰った後、一人残った父を横に涙ぐむ杉村春子の姿が物悲しいほどに切ない。ほんのわずかなシーンであるがこの作品の姪シーンと呼べるかもしれませんね。
佐久間先生の姿を見て、あせりだす平山は俄然、あちこちに路子の結婚場話を模索し始める。このあたり、ちょっと笠智衆の演技力にやや迫力がないように思えたりもするのだが。
長男幸一の妻秋子を演じた岡田茉莉子は例によってしゃんしゃんとして威勢のいい女性を好演、この場面だけでも楽しい。ふすまの向こうをさっっさっと横に消えては戻ってきて、一言言うショットは絶妙である。ゴルフクラブを買うのを反対された幸一が日曜にすねていると、ゴルフクラブを再度持ってきた三浦にさりげなく分割払いの二千円を差し出し、買うことを許すくだりは見事な展開でとっても楽しい。
平山はとうとう、路子の結婚相手を見つけ、クライマックスは路子が門出のシーンとなる。そして、式の後、かつての戦友(加東大介)に教えてもらったスナックのままが亡き妻に似ていることから、一人立ち寄り、散々飲んで家に帰る。やがて幸一夫婦も帰り、一夫と二人になった平山に、和夫は「明日は朝飯炊いてやるから」と声をかけるシーンがなんとも切ない。
そして、和夫が寝て、一人廊下の奥で水を飲んで座る平山。カメラはこちらからその姿を捉えてエンディングである。
この作品であらためて感心したのが、調度品、たとえば湯飲みや茶碗、などなどが料亭若松と他の店、さらにバーのグラスなどなど、当然違う種類なのだが、その選択された品物のセンスが抜群にいいことである。画面にさりげなく色合いのある食器が並び、それにあわせるような模様の陶器類がおかれているのには頭が下がるほどに感心してしまった。
あと、個人的な感じ方かもしれませんが、どうも岩下志麻が娘となってこういう物語をするのが、小津安二郎作品には違和感を覚える。原節子の印象が強すぎるのかもしれないですね。そして、どうも笠智衆がこの作品ではいまひとつ間が悪いというか、ちょっと物足りなく見えるのですが、私だけでしょうか。ラストシーンもさすがに「東京物語」と比べれば弱いように見えなくもない。
もちろん、作品のレベルは一級品ですが、小津安二郎の作品としては「晩春」「麦秋」などのころに比べると少しレベルダウンしている気がする。まぁ、あくまで相対的な感想です。