くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「戦争と一人の女」

戦争と一人の女

丁寧に演出された、レベルの高い自主映画というイメージの作品。霞のかかったような映像で、戦時中から、戦後すぐまでのもやに包まれたような物語を描き出していく。

原作が坂口安吾なので、どこか退廃的なムードがないわけではないが、監督が目指そうとしたメッセージ、脚本家が描きたかった物語はしっかりと映像になっていたと思う。しかし、今更日本人がここまで卑下するかというのも寂しい気がする作品だった。

一人の帰還兵が出てくるところから映画が始まる。出迎えたのは妻と一人息子、この男は右腕を失っている。帰ったものの、妻との情事には体が反応しない。そんな夫にもどかしさを感じる。ある日、町で強姦される女を見て欲情したこの男は、妻と子供を実家に疎開させ、町で女をだましては山中で襲うことを思いつく。

この作品にはもう一人の人間が登場する。父親に女衒に売られた一人の女。妾だったがその男から見放され、ある日、店の客で作家をしている男と夫婦になる。それも戦時中だけという約束で。女はふつうの情事ではすでに感じなくなっている。

この二つの物語が交互に描かれるが、どちらも今一つの描き足りなさが目立つ。腕のない兵隊のエピソードも、繰り返される強姦シーンに何の変化もなく、いったい、同じ女なのかとさえ思える。繰り返さざるを得ないトラウマのような帰還兵の心の病を描きたかったのだとは思うが、迫ってこないのがちょっと物足りない。

作家と女にしても、その暑苦しいほどの情事の繰り返しが、妙に淡泊に見える。女が焼夷弾で燃える隣家に向かって「もっと燃えろ」と叫ぶ下りも、蒸し返すような異常な暑苦しさが見えない。

映像は確かに煙ったようなムードだが、演出が淡泊なのだろうか。戦時中の悲壮感が描き切れていないのだろうか。監督は「アジアの純真」などの脚本を書いた井上淳一で、今回が初監督である。つまり、文字を書くにはそれなりの才能があるが、映像センスに弱さがあるのかもしれない。

敗戦の後、女は作家の元を離れてパンパンになるが、ここの描写も緊迫感がない。このあたりでは腕のない男の描写が放ったらかしで、いきなり、米を買い出しにいった女と出会い、例によって強姦しようとするが、かつての客だと言い当てられ、逃げていく。

作家はポン中で、最後に女が銀シャリを食べさせようとするため米を買いに行き、戻ってみたら、死んでいた。このが終盤の悲壮感のシーンのはずが、非常に淡泊な映像演出だ。鬼気迫る体制で臨んだ永瀬正敏のすさんだ姿も映像の中では生きていないのも本当に残念です。

そして、腕のない帰還兵は警察に捕まり、尋問され、日本は負けたから誰もが犯罪者になっているかの受け答えの後、暗転、エンディング。

戦争の悲壮感を、本国でいきる女、戦争で精神的に肩輪になった男を描くことでもうひとつの戦争の悲劇を語ろうとした意図はわからなくもないが、それならば、二人の男の存在感の意味は何かと思えなくもない。帰還兵と作家を描き、彼らにカラム女とのドラマに、戦争の悲惨さを見せようとしたところが無きにしも非ずだが、作家の描写の方が優れているために、双方ともどっちつかずになった感もある。

手持ちカメラを多用した、安定しない画面で始まる導入部から、右に左に人物を捉えるだけのカメラワークの意図も見えづらい。凡作ではないものの、ハイレベルの自主映画的なのが鼻につく作品でした。