くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ホワイトハウス・ダウン」「少年H」

ホワイトハウスダウン

ホワイトハウス・ダウン
まるで「ダイ・ハードのような作りであるが、非常におもしろい。アクション映画としてはということで、導入部の延々と見せるホワイトハウスの描写は今更ながらしつこい。

ただ、人物描写がしっかりできていないために、乗っ取った犯人を迎え打ったキャロルたち政府の高官たちの上下関係や、力関係、組織の役割がほとんどわからないので、ごちゃ混ぜに見える。そのために、せっかくの最後の最後の本当の真犯人の暴露シーンに、あっというどんでん返しの決定打が見えないのである。

先日みた「エンド・オブ・ホワイトハウス」は圧倒的な武力でミサイル、航空機を利用して乗っ取る導入部がすばらしかったが、今回は、ある意味正当な、オーソドックスな設定と内部犯行を組み合わせての導入部になっている。おきまりの巻き込まれ型の主人公が、一緒に巻き込まれた娘を救出することと大統領を守るという展開でストーリーが進むのは、まさに「ダイ・ハード」バージョンで、目新しさがない。その点では「エンド・オブ・ホワイトハウス」に軍配。

第一、クライマックスで、すでに核ミサイルがロックオンされているのに、他国が感知できていないはずもなく、ここでホワイトハウスを攻撃することをやめれば世界戦争なのだ。それを民衆が集まってきて、エミリーが旗を振って、攻撃をやめさせること事態はかなり非現実的だし、ローランド・エメリッヒの映画に頻繁に登場する強いアメリカ!アメリカ万歳!がここでも登場するのはかなり鼻につく。

なんせ、チャニング・テイタム扮するジョンもクライマックス「ダイ・ハード」の主人公よろしくシャツ一枚になってるのだから、もうこれは意識していないといえないね。

でも、おもしろい。どうでもいいのだがおもしろいのだからいいじゃないか。やはりローランド・エメリッヒには人間ドラマは描けないなと改めて感じてしまった。そういう平凡だけどたのしいアクション映画です。

「少年H」
1941年、神戸の浜辺で主人公の少年Hつまり妹尾肇がかなたに浮かんでいる軍艦をスケッチしていて、それを友達が見ているところから映画が始まる。物語はこの少年が体験する日本の第二次大戦下の激動の時代の一ページの物語だ。

降旗康男監督作品というのは昨年の「あなたへ」もそうだが、いかんせん、さすがに映像感性が鈍ったかなと思えなくもない。非常に無難な演出で淡々と激動の時代を描いているが、見せるべきリズムがスクリーンから漂ってこない。凡作ではない。しかし、傑作でもない。降旗康男監督ならもっとすばらしい映画を作れたはずなのに、と思えてしまうのです。

まず、主人公の家族にあまりにも時代色が見えない。いくらなんでも戦時中の家族に見えないのである。それは、着ている衣装や、せりふ、姿形、そういう表面的なものではなくて、にじみ出てこない緊迫感というべきでしょうか。

原作を知らないので、映画で語られる物語だけで感想を書いていますが、あまりにも脳天気でおめでたく見えてしまうのです。人に施しをする母の姿とか、きれいごとを語る少年の姿とか、やたら現実的な父の姿とかが、それぞれにリアリティを持ってこないのである。だから表面的に薄っぺらい激動の時代に見えるのです。

演技力の問題がないとはいえないのですが、確かに少年Hを演じた吉岡竜輝君はがんばっていると思うのですが、演技演出もちょっとおざなりすぎたでしょうか。

落ち着いた色彩で、静かな画面づくりを徹底する降旗監督の映像演出の意図は分かる。世の中がかつてないほどの急変をしていく日本、その姿を余りにも無垢で純粋な少年Hの視線で見つめる美学が語られるべきテーマなのではないでしょうか。争いや確執など大人の汚れは必要ないのです。それはこの作品に不要なエピソードである。そこをそぎ落とし、軽く流したにも関わらず、本来の少年の視点さえも軽く流されたところがなきにしもあらず。

しかし、神戸の空襲で、必死で逃げる少年と母。父のミシンを必死で引き吊りおろそうとする下りは、すばらしい出来映えになっている。所々で、理想論を叫ぶ少年のシーンもストーリーの核になっている。しかし、固まりとしての家族の姿がもやに包まれて弱い。少年の周りの人物描写が軽い。だから、少年一人が叫んでも、それがスパイスにならない。悪いできばえではない。並の映画よりはレベルは高い。でも、もう一歩、もう一押しの迫力がほしい。戦時下に日本はこんなにも淡泊な世界だったろうか。そう思えてしまうのです。