くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「素敵な相棒〜フランクじいさんとロボットヘルパー〜」「楽

素敵な相棒

「素敵な相棒 フランクじいさんとロボットヘルパー」
そう遠くない近未来を舞台にしたファンタジーである。設定のおもしろさ、ストーリー展開の組立がとってもよく練られているのに、何となくテンポが悪いために、それほど長くない映画なのに妙にもたついてしまうのがとっても残念な映画だった。

ニューヨークの寒いある日、そのテロップの後、一人の老人フランクが近所にある図書館を訪れる。そこには顔見知りの司書ジェニファーが出迎えてくれるが、この図書館もなにやら胡散臭そうなNPO法人によってデジタル図書館に変わるのだという。そして、貴重本の「ドン・キホーテ」を見せてもらったりする。

フランクは、帰り道、いつもの雑貨店によって万引きをする。ふつうの老人の物語かと思っていたら、このシーンで、何か違うとストーリーに入っていく。

ある日、彼のもとに息子のハンターがやってくるところから本編の物語が始まる。最近物忘れの激しい父フランクに、介護ロボットを持ってきたのだが、最初は拒否していたものの、妙に人間くさいロボットにすっかり意気投合。この展開がかなり荒っぽい。

やがて、このロボットに泥棒の基本を教え、ジェニファーにプレゼントしようと、貴重本の「ドン・キホーテ」を盗むが結局渡せない。そんなとき、NPO法人いけ好かない代表の青年はくせ者だと気がついたフランクは、彼の家に泥棒にはいることをロボットと計画し始める。

と、物語の展開は楽しいのだが、どうもストーリーに切れがない。青年たちの家を観察して、徐々に計画を具体化していく下りも今一つサスペンスフルさが足りないし、いざ実行の段階もスピード感がない。老人とロボットというコミカルさで描くならそれも良しなのだが、そうでもない。

結局、宝石を盗んだものの、疑われ、ハンターを呼んで妙な画策をするフランクの姿も、ロボットの記憶をすべて消し去り証拠を隠滅する切ないクライマックスも中途半端。

逃げたジェニファーの家で、若きジェニファーとフランクの写真を見つけて、実はジェニファーはフランクの元妻で、記憶をなくしてわからなくなっているフランクの真相が明らかになるラストも今一つ弱い。

そしてエピローグ、老人ホームに入れられ、ボケ老人のようになったフランクだが、最後に見舞いにきたハンターに、トマトを植えた下を掘ってみなさいとメモを渡し、実はボケていないどんでん返し?でエンディング。老人たちがかつてフランクの相棒だったロボットを連れて歩き回るシーンをじっと見つめるショットも、どうも迫ってこない。

ストーリーがおもしろいのに残念な出来映えの一本でした。それにしても、フランク・ランジェラ、歳をとりましたね。映画見はじめには「ドラキュラ」などの主演で脚光を浴びていたのに、すっかり老人です。つまりわたしも歳をとったかな。


「楽園の旅人」
ポー川のひかり」を最後に劇映画を作らないと言ったエルマンノ・オルミ監督が、前言を覆して撮った作品で、そこにこの映画のテーマがあるのだと思う。確かにかなりハイレベルな映像であるし、すばらしい作品であるが、いかんせん難しい。
宗教感を絡めた哲学的な芸術作品、いやさらに一歩進んで、複雑な世界情勢への辛辣な視点さえも見え隠れするのだから、かなりの教養を必要とする。しかし、映像作品としては何度も言うが一級品でした。

画面は、終始教会の中をでることがなく、ステンドグラスや、窓、扉の隙間を通って差し込む美しい光の演出を施して描かれていく。その光はまさしく神の象徴だと思われますが、カメラが向けるアングルもまた、神の視点であるようです。さらに、教会の外に漏れ聞こえるヘリコプターの音やパトカーのサイレンなどの俗っぽい効果音がまるで教会の中を別世界のようにしている。

カメラが真上から老司祭の頭をとらえるところから映画が始まる。
天井につるされたキリスト像からのアングルなので、明らかに神の視点ですね。まもなくこの教会は取り壊される。後ろの扉がさっと開くとサーチライトに照らされてクレーンが入ってくる。そして天井のキリスト像をおろすのである。

その夜、アフリカ移民だろうか、黒人がこの廃墟に近い教会に入ってきて物語の本編が始まる。クレーンが入る前に、祈る司祭の後ろからさっと斜めの光が射し込むショットから、この光の演出が実に美しい。人々を照らす照明のアングルも抜群で、ゆっくりと暖かい色から冷たいブルーの色に変わる下りなども絶品である。

不法移民を取り締まるべくやってくる保安委員に対して司祭が抵抗し、いったんは退けるのである。一気に踏み込んできた保安委員たちがライトで不法移民を取り囲んで照らすシーンは不気味なほどに恐ろしい。いったい、人間にここまでする権利が存在するのかと思わず問いかけてしまうのである。

いつの間にか、踏み込んではならない領域にまで踏み込んだ人間の愚かさをまざまざと映像として語っていくエルマンノ・オルミの視点は、実に辛辣である。一方で、そんな無礼も許さざるを得ないかのような神の存在への疑問もまた背筋が寒くなるほどの迫力がある。

やがて、移民たちはフランスへの旅立ちのためにでていくことになる。神の誕生を彷彿とさせる赤ん坊の誕生、淡い恋の誕生、一方でイスラム原理主義自爆テロよろしく体にダイナマイトを巻く人、、少年が浜辺で拾うノートに書かれている文章はまるで、世界の始まりがこれほどまでに美しかったのだと書きつづられているのだ。しかし、そのノートもすべてを見ることができない。世界の縮図のような彼らの姿が、神の家である教会からでていくというアイロニー的な描写が何ともいえない崇高さを見せつけらる。

中身が深い上に、映像的にもすばらしい、さらに、そのメッセージはエルマンノ・オルミの怒りさえも感じてしまう。すばらしい作品である。

「人々の物語が歴史を作るのか、歴史が人々を作るのか」ラストシーンのテロップがすべてを語る。

ただ、凡人である私にはこの映画をすべて理解し切れたとは思えない。いや、あまりにもそれはおこがましい話であるのだ。見事な映画だった。