くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「雪夫人絵図」

雪夫人絵図

溝口監督作品は、世界の映画史に燦然と輝くような大傑作があるかと思うと、非常に凡作そのものも存在するのが事実である。完全主義にこだわる彼の気質が生み出した、ある意味両党の刃であるのだろう。今回の作品もどちらかというと彼のライブラリーの中では凡作の類にはいる気がします。

かつては華族であった雪と呼ばれる夫人が没落していく姿を哀愁を込めて、さらに女の性を全面に打ち出してのストーリーですが、対する養子で夫の直之のふがいなさの描き方が非常に雑であるし、雪の愛人かと思う、琴の師匠菊中の存在も中途半端になっている。さらに、直之の世間知らずにつけ込んでくる京都の妾綾子とその愛人立岡の存在感も、全体の物語の流れの中で浮いてしまっている。

華やかな華族が、次第に没落していく姿を描いているのですが、どれもこれも不完全燃焼に仕上がっているのはいかんともしがたいのが残念。

ただ、画面の構図の美しさ、別荘から見せる芦ノ湖の美しさや、クライマックスの霧が煙る草原の幻想的な長回しのショットなどはさすがに、感性を垣間見せるものがある。ただ、これはカメラや美術スタッフの関与する部分が多いのも事実である。

映画は、女学校時代に雪をみて、その魅力にとらわれている浜子が、あこがれの雪夫人の別荘に女中としてやってくるシーンから始まる。しかし、ついたその日に雪の父が亡くなったという知らせに、東京へ行く浜子。そこで、雪と夫の直之らのぎくしゃくした姿を見る。

かつての華やかな華族も、今やこの別荘くらいしか財産もなく、直之は京都でキャバレー上がりの妾と生活をしている。たまに帰ってきても、雪の体を求めるだけである。そんな雪も、別れようと思いながらもつい、夫に体を任せてしまう自分がふがいない。

そんな姿を歯がゆく思う、昔からの女中や浜子、さらに、下働きの少年。さらに、雪夫人を何とか支えようとするお琴の師匠菊中。密かに雪夫人は彼に曳かれ、彼もまた雪夫人に曳かれるものの、つい夫に体を任せる雪夫人、さらに強い意志で夫から断ち切れない雪夫人の姿にしまいには愛想を尽かす。

菊中のアドバイスで、別荘を旅館にするものの、やがて綾子が経営権を手に入れ、その立岡と乗っ取ってしまう。適当に操られていたことを知った直之だが、時すでに遅し、すべてに絶望した雪は芦ノ湖に身を投げるのである。

かつてのあこがれの女性が、ぞの運命の中で死を選んだことにどうしようもない憤りを見せる浜子のシーンでラストシーンを迎える。

どの人物も、はっきりとした存在感が見えないのが本当に残念な一本で、描きたい意図が見え隠れするのだが、描ききれない展開で次に進んでいく。いつものような重厚で流麗なカメラワークもわずかで、息切れしているのではないかとさえ思える映像に見えてしまう。

これもまた溝口健二監督作品なのである。