くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「歌麿をめぐる五人の女」(溝口健二監督版)

歌麿をめぐる五人の女

めくるめく女の情念が交錯する溝口健二監督の世界をじっくりみることができる。もちろん、彼の作品群の中では傑作のレベルに入るものではないが、じっくりと長回しで撮るカメラワークと、セットをゆっくりと這うように移動する長大なパンニングは、やはりその映像に引き込まれる魅力があります。

カメラはゆっくりと郭の入り口をとらえ、行き交う人々や群がる人物をとらえてタイトルが流れる。そして、花魁道中のシーンが延々ととらえられるファーストシーンから映画が始まる。

武家の子女雪江と許嫁の勢之助が、道中のみやげに錦絵を求めるのに一軒の店へ。そこで見かけた喜多川歌麿の描いた美人絵に、狩野家を侮辱した文面があると、歌麿のところへ勢之助が駆け込む。そして、そこで歌麿に、剣ではく絵筆で勝負しようとけしかけられ、勢之助が観音様の絵を描くが、歌麿はその絵には心がないと修正を加える。その見事さにすっかり惚れ込んだ勢之助は武士を捨てて、歌麿の弟子に。愛する勢之助が去ったことが耐えられない雪江は、一人勢之助に会いに来る。

こうして女の物語が幕を開けるが、歌麿が惚れ込んだ花魁多賀柚の肌に彫り絵を描くが、その花魁は庄三郎と駆け落ち紛いででていき、庄三郎を慕うおきたがその腹いせに勢之助をたらしこんだり、庄三郎の行方を見つけたおきたが追いかけたり、さらに、勢之助とお蘭がでていったり、帰ってきたりと、女同士の恋心の情念が次々と繰り返されていく。

取り留めのない話のようであるが、歌麿取り巻く五人の女が、入れ替わり立ち替わり、その思いの丈をかなえるべく行動する様はまさに溝口健二が描く女の世界である。

かなりフィルムが弱っているために、最初はせりふが聞き取れなかったが、次第に物語の骨格が見えてくると、増村保造が描く女の情念とはまた違った溝口健二の世界が見えてくる。

結局、おきたは多賀柚と庄三郎を刺し殺してしまい、捕まってしまう。公方様の機嫌をそこねた歌麿が50日の手錠の罰を終えて、最後に再び狂ったように絵筆をとるシーンでエンディングとなる。

モノクロながら、大勢の女たちがひしめく江戸の町の描写、美術が実に美しい一本で、作品のクオリティと言うより、当時の日本映画の力量を見せつけられる一本でした。