くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「侍(岡本喜八監督版)」「大菩薩峠(岡本喜八監督版)」「違う惑星の変な恋人」

「侍」

これは傑作だった。原作の五度目の映画化だと言いますが、淡々と進む前半がみるみるスピードを帯びてきた、さらに緊迫感が昂るにつれて演出が冴え渡り、役者陣の演技が鬼気迫って行くクライマックスは恐ろしいほどの仕上がりになっています。しかも、冷淡なくらいに研ぎ澄まされた橋本忍の脚本は、余りにも冷酷かつ切ない。隅から隅まで詰め切ったカメラアングルとカットのリズムのうまさに呆気にとられていきます。これこそ傑作、その言葉がぴったりに作品でした。監督は岡本喜八

 

雪の降りしきる桜田門前、茶屋の娘と軽口を交わす侍たちの姿、実は彼らは水戸藩士で、この日、井伊直弼を打とうと待ち構えていた。しかし、井伊直弼が登城せず、一党は一時相模屋へ退却する。どうやら、こちらの動きが井伊直弼の元に漏れていると副首領佐田の進言で、首謀の星野は裏切り者を捜査し始める。そして、今回集まった面々の中から怪しいものの素性を聴取し始める。

 

腕は立つが浪人ものとして参加している鶴千代もその一人だったが、相模屋に居座り毎日酒に明け暮れていた。女将のお菊は辟易としていた。鶴千代は備前の御用医師を養親に育てられたらしいが、たまたま水戸藩士を救ったことから今回のメンバーに加わっていた。したがって素性がわからなかった。相模屋を追い出された鶴千代は木曽屋の所に金の無心に行く。しかし木曽屋の主人政五郎は、鶴千代を冷たく追い払うのだった。

 

鶴千代は水戸浪士の中で栗原という博学の武士とも懇意だった。栗原は、妻と子もいる温厚な男で、道場で師範代をしている時に押し込んできた鶴千代と対峙し、お互いの力量が互角だったこともあり、それから親友付き合いだった。鶴千代の飲み代を催促に木曽屋へやってきたお菊は、政五郎から、鶴千代の過去を聞くことになる。

 

お菊は、かつて鶴千代が惚れた武家の娘菊姫とそっくりだった。とある名家の武家の子供として生まれた鶴千代だが、父は公然として鶴千代を息子と言えない立場だった。仕方なく、備前の御用医師のもとで育てられたが、末は立派な武士となるべく文武に励んでいた。ところが、ある時、ふとした諍いで菊姫と出会った鶴千代は一目惚れしてしまい、お互い惹かれ合うようになる。しかし。身分の差にこだわる菊姫の父は鶴千代との仲を認めず、鶴千代の素性を知る政五郎も真実を話せないままとなる。やがて、菊姫は別の男性に嫁ぎ、鶴千代はすっかり荒れて、とうとう道場を破門になってしまう。

 

五年の歳月の中、すっかり落ちぶれた鶴千代だが、水戸浪士と知り合う事で、再起をかけることにしていた。政五郎に諭されたお菊は鶴千代を労り寄り添うようになる。そんな頃、星野は、裏切り者の目星がついたという知らせをもらう。それは栗原だった。栗原の妻みつは井伊直弼と親しい松平家の側室お千代の方と姉妹だった。実際栗原の家にも頻繁に出入りしているという事で、裏切り者は栗原ということになり、星野は栗原を斬るように鶴千代に指示する、

 

そして嘘の会合で出てきた栗原を鶴千代は一刀に斬り殺してしまう。ところが後日、本当の裏切り者は参謀の僧位惣兵衛であることが判明、いたたまれない思いの鶴千代は、惣兵衛を斬り捨てた星野から、情を捨てるように言われる。星野はその場で井伊直弼を斬る決行日は三月三日と決めたと告げる。一方、鶴千代が水戸浪士と親しくしていると聞いた政五郎は、心配になり鶴千代を探すが見つからず、住まいの堂にやってくる。そこへお菊も鶴千代を探しにきた。政五郎はお菊に、鶴千代の本当の父は井伊直弼だと告げる。

 

ところが、決行日を知らせにきた水戸浪士の小島がこの話を聞いてしまう。小島は星野に報告し、星野は鶴千代を事前に殺す計画を立てる。そして、三月三日の決行日の朝、鶴千代を殺そうと顔が割れていない刺客を送り込むが返り討ちにされてしまう。桜田門前に待つ星野たちのところに、何も知らない鶴千代が駆けつける。そこへ井伊直弼が通りかかる。星野たちは一斉に斬りかかる。そして大乱戦の中、鶴千代は井伊直弼が父とも知らずその首を取り、刀の先に捧げながら叫ぶ鶴千代の姿で映画は終わる。

 

とにかく映画のテンポが抜群に良くて、みるみるスピードを増していくクライマックスへの流れが絶品で、これぞエンタメと言わんばかりである。その中で、実父を殺してしまう主人公の悲劇、そして、仲間を疑心暗鬼に疑っては、目的のために非道になる星野の姿など、辛辣な脚本にも寒気がしてしまう。素晴らしい一本でした。

 

大菩薩峠

終盤時間切れで、短縮してバッサリ切ったような作品で、重厚な中盤までが一気にラストへ傾れ込む展開には呆気にとられる。何度も映画化された原作の映像化ですが、ちょっと出来栄えは普通だったかなと思います。監督は岡本喜八

 

大菩薩峠に老人とその孫お松が通りかかるところから映画は幕を開ける。お松が水を汲みに行き、一人残った老人の前に一人の浪人机竜之介が現れる。そして老人を一刀両断にして去る。途中、七兵衛という町人と出会うが、七兵衛は竜之介の刀を交わして去り、通り道で泣き崩れるお松を助ける。竜之介が自宅に戻ると宇津木文之氶の妻お浜が来ていた。明日の夫との試合を負けて欲しいという。竜之介はお浜を水車小屋に呼び、手篭めにしてしまう。

 

試合当日、妻の不義を知った文之氶は離縁して竜之介との試合に臨む。しかし結局竜之介は文之氶を倒し、撲殺してしまう。帰り道、宇津木の門弟たちが竜之介を襲うが、返り討ちにする。そこへ、離縁されて行き場のないお浜は竜之介に連れて行って欲しいと近づいてくる。江戸を離れて二年、竜之介とお浜の間には子供も生まれていた。竜之介は吉田竜太郎と名を変え、新撰組の前進の組織の芹沢と親しくなり、芹沢も吉田を信頼し始めていた。

 

たまたま街で、道場から聞こえる竹刀の音に何かを感じた竜之介はその音のする島田虎之助の道場で他流試合を申し込む。そこで竜之介は師範代だという男と立ち会うが、実はこの師範代は文之氶の弟兵馬だった。後日、吉田が竜之介だと知った兵馬は、島田虎之助と相談し、吉田を倒すべく徹底した稽古を始める。一方、新撰組の前進は、とある藩士を襲う計画を立て、吉田共々襲いかかるが、籠に乗っていたのは島田虎之助で、藩士たちは返り討ちにあってしまう。その鮮やかな剣捌きに恐れをなして動けなかった吉田は、すっかり自身の剣に疑問を抱いてしまう。

 

吉田らが京都へ向かうという情報を得て、島田虎之助は竜之介=吉田に果たし状を出すように兵馬に勧める。竜之介はお浜との間に溝ができていた。冷酷な竜之介をお浜は殺そうとするが、竜之介はお浜を斬ってしまう。その頃、七兵衛はお松を預けた女将のところへ来ていたが、そこの女将がお松を京都島原に売ってしまったと言ったため、京都へ向かう。兵馬は竜之介を追って京都へ行く。と、突然話が飛ぶ。

 

七兵衛は京都でお松に会うが、かつて一度だけ雨宿りをした際に知り合った兵馬もまたお松に会いにくる。七兵衛は兵馬に助太刀することに決め、新撰組が贔屓にしている店で働くお松に情報を集めるようにする。一方、竜之介は芹沢から、近藤勇を斬る相談をされる。近藤勇も芹沢を無きものにしようとしていた。

 

芹沢と竜之介の密談を聞いていたお松は竜之介に詰められ、竜之介=吉田に御簾の部屋で二人きりに拉致されるが、お松が大菩薩峠で斬り殺した老人の孫であることを知り、又お松も幽霊が見えると言い始め、竜之介も次第に狂気に取り憑かれたようになって暴れる。その頃、芹沢は近藤らに殺され、吉田は暴れたままストップモーションで映画は終わる。あれ?という感じです。あとで資料を読むと、この後に目の見えなくなった竜之介が滝の中を進むシーンを撮っていたが、尺の関係でカットされてしまったらしい。ある意味、映画産業全盛期の所業かもしれません。

 

「違う惑星の変な恋人」

ポップな感覚で淡々とした会話劇を繰り返す面白い作品なのですが、次第に行先が見えなくなって延々と同じパターンを繰り返すので終盤、ちょっと退屈になってしまった。しかも、結局、収束のないエンディングというのは、意図したものか、何か伝わるものを汲み取るべきか悩んでしまう作品でした。監督は木村聡志

 

主要な登場人物がボーリングをしている場面に被ってオープニングタイトルが映され、美容院に勤め出したむっちゃんが先輩のグリコと何気ない会話を取り交わして映画は幕を開ける。グリコは付き合っていたモーと別れることに決め、荷物を取りに行きづらいので一緒に行って欲しいとむっちゃんに頼む。

 

むっちゃんはグリコも自分が贔屓にするシンガーのナカヤマシューコのファンだとわかり、一緒にライブに行くが、そこで、グリコからナカヤマシューコのマネージャーでもあるベンジーを紹介される。大人の雰囲気のベンジーにむっちゃんは一目惚れしてしまう。モーとも友達になったむっちゃんはモーに色々相談し、ベンジーと何気なく一夜を共にするまでになる。

 

しかし、ベンジーはナカヤマシューコと同棲していた。まもなくしてナカヤマシューコとベンジーは別れてしまう。モーはいつのまにかむっちゃんが好きになっていた。グリコは今もモーが好きだったが、ベンジーはグリコが好きだった。それぞれが好きになる矢印が食い違っていることがわかり、四人でスポーツバーで話し合うことになるが、結局、グリコの美容室で一夜を明かす。そして、モーとベンジーはその美容室でグリコとむっちゃんに頭を洗ってもらう。ベンジーの前にナカヤマシューコのCDが置かれ、映画は終わる。

 

軽妙でモダンな会話の応酬は最初は面白いのですが、脇で登場するボーリング場のモーの友達やグリコがモーをつけている時に立ち寄るカフェの店員などの使い方が、面白いのだが、一時的な効果を生み出しているだけ何がもったいない。又ナカヤマシューコが途中で完全に消えてしまうのも、ちょっと脚本として物足りない。面白い映画なのですが、もうちょっとコンパクトに練り込んだら、いい映画になった感じです。役者さんの演技は楽しいし、会話も、いいリズムなのですが、ラストの宇宙服のシュールなシーンも効果薄だし、あと一歩工夫が欲しかった。