くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「セイフヘイヴン」「いとしきエブリデイ」

セイフヘイヴン

「セイフヘイヴン」
いやぁ、この映画はよかった。ニコラス・スパークス原作のラブストーリーの中で、一番サスペンスフルな物語だと思います。いや、もしかしたら脚本に起こす段階で、そういう組立にしたのかもしれません。

ストーリーの中にちりばめられた伏線が、きっちりと実を結んでいく展開が、実に鮮やかだし、ラッセ・ハルストレム監督の詩的な映像が、作品全体を美しく彩り、さらに、趣味のいい音楽選曲が、深みを与えてくるのです。ラストは、ええ?まだもうワンシーンあるの、と思えるくらいのエピローグに思わず胸が熱くなってしまいました。隣の女性はひたすら泣いてましたね。それが納得できるエンディングです。

映画が始まると、夜、一軒の家から一人の女性が手に包丁らしいものを持って、着の身着のままに飛び出してくる。そして、向かいの家に飛び込んで、そこから、遠距離バスに乗るまでの展開が、サスペンス映画のごとく進むのです。もちろん、一方で、警察が彼女を追っている風が交互に描かれる。この導入部にニコラス・スパークス原作なのと疑ってしまう。

出てきた女性はエリン、どうやら殺人を犯したのではという感じで、髪を金髪にし、ショートヘアーに変装してバスに乗り込み、何とか警察の追跡を交わす。

美しい入り江の夕景色にタイトル。サウスポートという港町で物語が幕を開けます。逃げ仰せたエリンはケイティと名前を変え、森の中の一軒家に住む。町の雑貨屋に入って、店番をしていたレクシーという少女と出会い、その父親で、二年前にガンで妻を亡くしたアレックスと知り合う。彼にはもう一人ジョシュという息子がいるが、未だ、母親の面影が忘れられず、ケイティと親しくなる父親に反抗する。

この甘いラブストーリーの進展とうらはらに、エリン=ケイティを執拗に追う刑事ケヴィンの行動が、交互に挿入され、サスペンスタッチのリズムが生み出される。

ある日、ケイティの家にジョーという一人の女性がやってきて、隣人だといって、次第に親しくなっていく。

ケヴィンは、エリンの髪型をパソコンで加工して、全国指名手配書を送る。実はこれは彼が勝手にやったことなのだが、この段階では明らかにしていない。

サウスポートに祭りの日が近づく中、ケヴィンはとうとうエリンの居場所を突き止めるが、実はケヴィンはアルコール依存があり、勝手な手配書を送ったために停職になる。

たまたまその手配書をみたアレックスは、一時はケイティを遠ざけるが、彼女を愛しているアレックスは、ことの真相をきく。

実はケヴィンはケイティの夫だったのだ。そして、暴力を振るうケヴィンと格闘になったケイティは、思わず包丁で彼をさしてけがをさせたのである。そして冒頭のシーンになるのだ。
ケヴィンの暴力を知る向かいの老婦人がケイティを助けたのである。

ここで、一気に物語はサスペンスタッチの色合いを増す。居場所を突き止めたケヴィンがケイティに迫る。町はお祭りムードである。ジョーがケイティに、彼がやってきたことを知らせる。こうして物語はクライマックスの花火の夜へとなだれ込むのだ。まるでヒッチコックサスペンスの世界なのです。

レクシーが父親とケイティの接近をちらちらと見つめる視線の演出も巧みで見事だし、全体が実に美しい景色をとらえていく。

ケヴィンがケイティの前に現れるが、巧みに交わしたケイティ。絶望したケヴィンがアレックスの店にガソリンを撒く。二階にレクシーをおいて、ケイティはケヴィンと対峙する。しかし、ケヴィンを何とか桟橋からつき落としたが、花火の火が引火して店が火事に。叫ぶレクシー、駆けつけるアレックス、這いあがったケヴィンがケイティに迫る。格闘の末にケヴィンのピストルでケイティがケヴィンを撃って一段落。レクシーも助かる。

そして、エピローグ。アレックスの妻は子供たちに、人生の節目で渡す手紙を書いていた。そしてその中の一通「彼女へ」と書いた手紙をケイティに渡す。なんと彼女は未来の新しいアレックスの妻にも手紙を認めていたのだ。そして、最後に同封されていた写真に写っていたのはジョーの姿だった。

ジョーは、自分の死後、アレックスの行く末を見守るためにケイティの元に現れたのだとわかる。このラストのとどめが抜群にすばらしい。ニコラス・スパークスの小説は手紙がよくでてくるが、これは今までで一番ではないかと思うのです。

甘ったるいラブストーリーと、迫ってくるサスペンスのスピード感、さらに登場人物の行動や、背景にさりげなくちりばめられる伏線のうまさ、最後に、人物関係の意外さと、最後の最後にとどめを刺す手紙のシーン。どれをとっても見事に一本の物語として完成されている。それぞれのエピソードの配置のリズム、展開するテンポが実にうまい。久しぶりに素直にうなってしまうラブストーリーをみた気がします。


「いとしきエブリデイ」
叙情あふれる映像とマイケル・ナイマンの美しい音楽が背後に流れる、とっても詩的な作品でした。上品すぎるといえなくもないのですが、独特の映像センスが、ある家族の5年間の物語を淡々と紡いでいきます。劇的な出来事は全くないのですが、唯一、夫で父親が刑務所に入っていることだけがドラマなのです。

赤青白黄色のクレジットが延々と流れた後、目覚ましがなるシーンから映画が始まる。音を止めて子供たちを起こし、シリアルを食べさせて学校へ送り出す。普通の家族の普通の朝。

妻と子供四人のこの家族の父親は、刑務所に入っている。時々、家族が面会に行く。子供たちは、順繰りに留守番と面会を担当して、母親と会いに行く。そのシーンが繰り返される一方で、美しい緑の大地が写されて、次のシーンへ続く。花畑を歩く子供たちのショット、大きく広がる空にはゆっくりと流れる雲が漂う。

限られた面会時間で抱き合い、キスをして、そしてまた次まで別れを惜しむ。広がる大地のシーンがとにかく美しい。

妻のカレンは、一人で幼い四人の子供を守り、父のところへつれていき、父を励まし、子供を慈しむ。しかし、毎日が寂しいカレンは、仕事先の男性と軽いつきあいの不倫をしてしまったりする。

一日だけの外泊許可のシーンや、クリスマスの帰宅シーンなど、後半へ流れるに従って、さらにどこか暖かいシーンが続くが、よく考えると、父親は犯罪を犯しているということである。まるで、自然と悲劇の家族になったような物語だが、すべてがこの父親の罪によるものである。ふとそんなことで夫に当たり散らすカレンの姿が実に切ない。

そして、最後は、めでたく出所の日。子供たちを迎えて、みんなで森を遊び、そして浜辺に出て、彼方まで歩いていくところで、カメラが大きくティルトアップ、引いていって遠景になってエンディングである。

全体が実に詩的だ。ある意味、不幸な家族の話だが、影の部分をいっさい映像でカバーしてしまう美しさがある。何気ないはずの映画なのに、美しい。そんな心に残る一本でした。監督はマイケル・ウインターボーンです。