くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々 魔の海」「近松

パーシージャクソンとオリンポスの神々

パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々 魔の海」
前作が、それなりにスピーディでおもしろかったのだが、今回はひどい。才能のない監督が3D映画を撮るとこうなるという典型的な作品だった。とにかく、物語に全くテンポがない。3D映像らしい部分があるように思えるが、それも大したことがない。ネットの評判も悪かったのでどうしようかと思って見に行ったが、予想通りにつまらないというのも珍しいパターンである。
監督はトール・フロイデンタールという人である。

映画は、半神たちの訓練所、この訓練所を守っている木の姿になった半神のバリヤーが、なんとルークという半神に毒薬を与えられただけで瀕死の状態に。その木を救うために黄金の羊を探しに行くというのが中心の物語だが、いわゆるギリシャ神話の世界である。

一方、悪に寝返った半神ルークがこの黄金の毛皮で悪の王クロノスを蘇らせようと、パーシー・ジャクソンらのじゃまをするのだが、なんともつまらないエピソードの羅列と、次々飛び出す登場人物の意味が不明な上に、見せ場それぞれが、大したことがなくて、しかもすぐに終わってしまう。

結局、ハッピーエンドで、次に続く展開で終わるが、それも、どうでもいい終わり方である。とにかく退屈の極みの特撮映画というのも珍しい一本でした。

元々、登場人物に花がないのが難点だったのだが、第一作はクリス・コロンバス監督の演出で持ちこたえていた。しかし、今回はその面白味も出ていないのだから、どうしようもない。この出来映えだと、続編がむすかしいだろう。


近松物語」
何度みてもすばらしい名作である。
水谷浩の美術、宮川一夫のカメラの美しさもさることながら、長回し長回しと感じさせないような溝口健二監督の見事な映像演出に、改めて引き込まれる思いがしました。

名場面として名高い、琵琶湖湖上での道行のシーン、ゆっくりと舟が向こうに流れ始める長回しのシーンはため息が出ますね。

親子の切っても切れない愛情の強さ、知らず知らずに沸き上がってくる男と女の情念、近松門左兵衛門の世界が、映画という映像となって芸術的に昇華した傑作ですね。

ここまで完成度が高いと、それぞれのシーンのすばらしさを書くのははばかられます。一つの映像芸術の完成品です。やはり名作、これぞ名作。


祇園の姉妹
映画は、ゆっくりと横にパンしながら、一軒の落ちぶれた商家にある品物が骨董屋に売りさばかれているシーンに始まる。
30年ぶりくらいに見直した作品だが、ほとんど覚えていない。しかし、今回見直して、溝口健二監督作品にめずらしいカメラワークが随所に見られることに気がついた。

溝口健二監督のカメラワークは横に大きく、ゆっくりパンするのが多いが、この作品では、後ろにどんどん引いていきながらの長回しシーンなど、奥の深い動きをとるワーキングも多い。フィックスで延々と会話のシーンを捉えたり、こちらに歩いてくる人物を、カメラが狭い路地を下がりながら撮影して行く。狭い路地のシーンや路地の奥に見える景色のショットなどもたくさん登場。

物語は、祇園の中でも体を売ることもする乙部の芸妓の話である。生真面目に仕事をする姉梅若と、正反対に、男を手玉にとって世渡りしようとする妹のおもちゃの姉妹の生き様を、ユーモア満点に描いて行く。おもちゃが次々と寄ってくるだんなを言葉巧みに操縦する姿が、実にコミカルで、そんなおもちゃに翻弄されながらも、言い寄られて鼻の下を伸ばすだんなたちの姿もまたユーモア満点。溝口健二監督作品としては珍しいやや喜劇超の作品なのです。

しかし、そうこうして、笑いながら見ているのですが、終盤、騙された男たちが、おもちゃに復讐をし、大怪我をおって病院に入るおもちゃ。かたわらに、だんなとして一緒に暮らしていた男が、突然田舎に帰って、失意に中に涙する姉梅若がよりそう。そんな姉を見て、そして自分の情けない姿を考え、「どうして私たちみたいな女が無くならないのだろう」とつぶやくおもちゃの台詞でエンディング。ここに、溝口健二監督らしい女の無情さが一気に彷彿する。

全体の物語のテンポは実に素晴らしいし、カメラワークも抜群、戦前の作品であるが、名作のレベルにある一本だと思います。