くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ルームメイト」「キャリー」(クロエ・グレース・モレッツ

ルームメイト

「ルームメイト」
結局、この手のサスペンス・ホラーミステリーの映画の原点は、ヒッチコックに行き着くということを証明したような作品でした。監督は古澤健である。

麗子が行くいかがわしい店「ARIADONE」の扉の前には、「めまい」のタイトルバックに使われる渦巻きが回っているし、ストーリーの根幹はいうまでもなく「サイコ」である。シャワールームのシーンがオマージュされ、殺人期がひらひらの服を着てカツラをかぶっているというのも「サイコ」、ナイフを多用した殺人シーンも、ヒッチコック映画には常道である。

映画ずれしてしまっている今となっては、物語の真相は中盤でほとんど見当がつくし、というか、出だしの、病室で春海が麗子を初めて見かけるシーンで、もしやと思ってしまうのだから困ったものである。

ネタがだいたいわかったとはいっても、丁寧に、最後まで手を抜かずに演出しているために、ラストまで、決して飽きてこない。もしかしたら、ああやっぱり、の繰り返しを何度もリピートしながら、行き着くべきところにどんどん突き進んでいくストーリーテリングのうまさは、評価してもいいと思います。単純におもしろかった。

なによりも、大好きな深田恭子、そして、北川景子が画面に出ずっぱりで、クローズアップも含めて終止スクリーンに投影されているのは、とにかく心地よい。それだけでも十分満足でしたが、それなりに楽しめる映画でもあった。

サイレンの音、雨の中、担架に乗せられた人物が救急車へ。刑事が事件現場に入っていくと、床に血糊が見え、さらに奥にはなにやら死体らしきものが。一人の刑事が、一冊のノートらしきものを拾い上げる。背後を横切る不気味な人物の影。このシーンをバックにタイトルが写る。

そして、三ヶ月前となってストーリーの本編へ。主人公春海が交通事故にあったところから物語が始まる。入院先で一人の親切な看護士麗子と出会う。

やがて意気投合し、ルームシェアする事になるが、ここまでの導入部が実にさらりと早い。そして、近所の犬が行方不明になり、春海が戻ると鍋に犬の死体が煮詰められている。と、ミステリアスな展開へ突入するまでの時間が、かなり早いので、ここからが本当のこの作品の見所なのである。

このエピソードのバランスが実にうまいのが、この作品の長所である。そして、しだいに、不気味になっていく麗子の存在。一方で春海を交通事故に巻き込んだ工藤のカラミがいかにもわざとらしく絡んでくる。

あとは、ちりばめられるヒッチコックオマージュを楽しみながら、深田恭子の変貌、北川景子のおびえ顔を楽しんで、何気なくネタが見える中で、物語を追いかけていく。

結局、クライマックスは、工藤の友人で、事故の仲裁をしている損保会社の社員が「ARIADONE」に呼び出され、麗子に殺され、それを見つめる春海?が、どこか一つになりはじめ、駆けつけた工藤の前で、ついに春海は麗子に、そしてマリになる。ミラーを多用した演出はどこかでみたことがと思いながらも、決してマンネリではなく、それなりに楽しめるところは、大したものだ。

そして、この最後の現場がファーストシーンにつながり、ことの真相が明らかになる。工藤の友人の知り合いの男が、娘を陵辱しているというエピソードまで必要だったかと思わなくもないのだが、何とか、よくあるネタを複雑に絡み合わせようとしているスタッフの意気込みは見えなくもないし、その熱意が作品を凡作に落としてしまわなかったと思う。

ラストの病院シーンも結構しつこいから、もしかしたら工藤も春海の人格かと、深読みしすぎたが、さすがにそこまでしていなくて、二人が別れてエンディング。

いろいろ欠点があるとはいえ、まぁ、落ち着くところに落ち着いたものの、ミステリーホラーの娯楽映画としては失敗作ではなかったと思います。おもしろかった。


「キャリー」(クロエ・グレース・モレッツ版)
私のような年代の映画ファンにとっては、「キャリー」は青春映画の一種のカリスマ的な金字塔である。そして、いうまでもなくスティーブン・キングのデビュー小説であり、ブライアン・デ・パルマ監督の代表作であるのだ。

そんな、一種、唯一無二に近い映画がリメイクされた。それも、今話題で、大好きなクロエ・グレース・モレッツ主演とくれば、不安の中でも期待は最大限なのです。

まず、あまりにも個性的で魅力のある映像でファンが多いブライアン・デ・パルマ監督版と比べるのは、やめようと思う。今回の監督はキンバリー・ピアースという女性である。

とにかく、クロエ・モレッツが抜群にかわいらしいし、ジュリアン・ムーアがとにかく怖い。それだけで、この映画を見る値打ちがあったという感じの出来映えでした。

話は、映画版に近いので、基本的にクライマックスまでは時間を忘れてみてしまう。それに、プロムに誘われて、うれしそうに出かけるキャリーのシーン、パーティ会場でのにこやかなシーンは、ついつい胸が熱くなってしまう。

しかし、クライマックスの処理は、さすがにブライアン・デ・パルマの才能に脱帽せざるを得ません。若干、くどいように思えるのですが、気のせいでしょうか。いや、ここでクロエ・グレース・モレッツをとにかく延々と写す。でも、初めてこの物語を見る人は、この迫力に納得するのかもしれませんね。

ラストで、キャリーが母親を殺した後に、スーがやってきて、そのおなかを触って、妊娠していることを告げるキャリーのショットは、明らかに女性監督の視点ですね。ファーストシーンもジュリアン・ムーア扮する母親が、キャリーを産み落とすシーンから始まるのですから、ここにちょっとメッセージが見える。

パルマ版にあった、エピローグの墓から手がでるシーンはないけれど、原作では町中が、石の中に埋もれてしまいますが、映画版はこのリメイク版も同じく、キャリーの自宅だけが埋もれるシーンになっている。

まぁ、監督それぞれの個性なので、どちらがどちらとはいいませんが、映画としてはやはりパルマ版の方がテンポがあったと思います。個人的にもパルマ版の方が好きです。


「愛怨狭」
信州の本陣までつとめた名門の旅館の息子謙吉が女中の文との間に子供ができたところから映画がはじまる。

雪深い信州の景色を大きくとらえ、雪が屋根から崩れるシーンで始まるこの作品は、戦前の溝口健二作品の中でも白眉の名作である。その評判通り、見事な長回しの連続と、得意の横にゆっくり移動するカメラワークのみでなく、時に前後に移動する人物をとらえながら移動するカメラの映像演出など、テクニックの限りを尽くした見事な画面が展開する。

物語は、父の反対で東京へ駆け落ちした謙吉とふみだが、仕事を見つけられずぶらぶらしている謙吉を見かねて、ふみが仕事を探し回る。やがて、迎えにきた父と一緒に、謙吉は帰ってしまう。しかも、ふみと子供を残してである。子供を人に預け、その仕送りのために女給になり、その縁で知り合った芳太郎と、コンビを組んで旅回りの漫才師になる。そして信州へ戻るも、一時は謙吉の元に戻るが、またも、父の反対で再び漫才をするところでエンディング。いわゆる溝口健二監督得意の女の人生の流転の物語である。

延々と漫才をする二人のシーンをとらえたり、室内で会話をするシーンをフィックスでじっと見つめたり、時に部屋から部屋へとカメラが移動したりと、全く見事な映像が次々と展開する。ただ、いかんせん、戦前の作品で、フィルムの痛みが激しく、タイトルさえも飛んでいたのが本当にもったいない。

しかし、紛れもなく名作である。そのクオリティの高さに引き込まれる一本だったと思います。