くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「天心」「父の秘密」

天心

「天心」
明治初期、西洋にかぶれていく日本で、ひたすら、滅ぼされんとする日本美術を必死で守り抜いた岡倉天心の半生の物語である

特に秀でた作品ではないが、丁寧な作風で、美しい画面を作り出していく感性は、それなりに見るべき部分もたくさんあり、日本の一つの時代の姿を知る上では、貴重な時間だったと思います。

映画は、五浦の六角堂を中心にした日本美術員の建物に、横山大観を訪ねたルポライターに大観が語る形で回想の物語として始まる。

若き日の岡倉天心と、日本の美術を保護することに情熱を傾けたフェノロサの日々をかいつまんで描写の後、日本美術学校の校長になる天心、やがて、西洋画の派閥に追いやられて、五浦に日本美術院の前身となる建物を建立。横山大観菱田春草、下村観山、木村武山等とともに暮らす姿が映画の中心になる。

松林をシルエットにした夕日のショットや、海岸に映る六角堂のショットなど、日本的な構図で演出する画面がなかなか美しく、しっかり、丁寧に語っていく画家たちの姿と、影になって必死で奔走する天心の物語は、十分に見応えがある。

やがて、第一回の文展の成功と、菱田春草が病で五浦を旅立つ日をクライマックスに、天心の死がテロップ人ってエンディングとなる。

絵を描いていた者にとっては、この作品で語られるいくつかのせりふは、心に染み渡るし、見るに耐えるいい映画だったと思います。


父の秘密
救いようのない暗い作品であるが、恐ろしいほどに映像が美しい。このアンバランスが、よけいに、不条理なラストシーンを助長してしまう。監督はメキシコのマイケル・フランコという人である。

映画は、車の修理工場から始まる。修理された車の中からのカメラに人の声がかぶってくる。一人は、この車で妻を亡くしたロベルトともう一人は修理の男だ。

ロベルトが車に乗り、道にでて、途中で乗り捨てるところまでワンカットで描き、タイトルが流れる。

どうやら、妻であるルシアが事故を起こし、乗っていた娘アレハンドラは助かったが、妻は死んだようである。失意の中、ロベルトとアレハンドラは、すんでいたヴァレキアという高級住宅地を離れ、新天地へ引っ越してくる。しかし、悲しみを捨てきれないロベルトは、新しい職場でもつい怒りを出してしまう。一方のアレハンドラは、新しい学校で順風満帆に生活が始まる。かに見えるのが導入部。

新しい学校での友達と別荘へ遊びに行ったアレハンドラは、そこでホセという男の子とSEX。その模様を動画に撮られ、学校にばらまかれてしまう。そして始まる陰湿ないじめの数々。

画面は、モダンなたたずまいや町並みを、横の線を多用したフィックスのカメラでとらえ、まるで小津安二郎を思わせるようなシンプルで美しい映像を見せるから、余計にアレハンドラの悲劇が、いつか希望へと向かうのではないかと食い入るのである。

しかし、エスカレートしていくいじめは、学校の短期旅行で頂点になる。夜中の海岸でふざけあっていた悪友たちとアレハンドラは、小便をかけられたアレハンドラを洗うためにみんなで海へ。ところがアレハンドラは行方不明になるのだ。

実は、アレハンドラは、一人海を脱出し、元の家にバスで戻るのだが、父も誰もそのことを知らない。

そして、ようやく明るみになるいじめの実体に、未成年だからと、どうしようもない結論を出す警察側に、ロベルトは、その首謀者のホセを車で拉致し、ボートで海に連れ出し、縛ったまま海に投げ捨てる。カメラは延々とボートを操縦するロベルトのカットでエンディング。父ロベルトの、行き場のない怒りがひしひしとスクリーンから漂う見事なラストである。

そして、結局、ロベルトはアレハンドラが無事なことも知らないまま、映画は、この後の展開に余韻を残す。

画面が横の線と奥行きのある画面を組み合わせたカットを多代水、頻繁に、車の中からのシーンがでてくる。しかも、全体にワンカットが長いのも特徴で、非常にシンプルで美しいのである。そして描かれる陰湿な世界は、結局、未来の希望を見せないままに終わるのである。

クオリティが高い作品であるのだが、なんともやるせない後味をの残す一本でした。