くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「自由はパラダイス」「海辺のリア」

kurawan2017-06-09

「自由はパラダイス」
ヌーベルバーグを思わせるような画面作りが特徴の作品で、これというお話があるではなく、一人の少年が、父親のもとに行きたくて、少年院の脱走を繰り返していくロードムービーである。監督はセルゲイ・ボロゾフである。

少年院から一人の少年が脱走したという声から映画が始まる。カットが変わると一人の少年サーシャがとある知人の売春婦の家に転がり込んでいる。

しばらくすると、警察らしき男がサーシャを捕まえにきて、また連れ戻される。面談の中で、父親が生きていて、ある監獄にいることがわかり、そのメモを盗み見たサーシャは仮病を装ってまた脱走、ヒッチハイクや列車無賃乗車を重ねて目的地に向かっていく。

物語は、ひたすら父のもとに向かっていく主人公の少年の姿をみずみずしい新鮮なカメラワークで捉えていき、普段のロシア映画と少し違う空気感を感じ、トリュフォーの「大人は判っていくれない」を彷彿とされるのもわかる。

結局たどり着いたものの、また連れ戻されて映画は終わります。

少年をじっと捉えるカメラや、自由に動き回るカメラワークが本当に開放感溢れる映像となって、こじんまりした中に若々しさがみなぎる感じのある一本。こういうロシア映画もあるものかと思わせられる映画でした。


「海辺のリア」
横長の画面を有効に使った映画的な構図と、テクニカルなカメラワークを徹底した画面作りが、逆にあざとく見えるほどな登場人物達のワンマン演技が、ただ鼻に着く。日本の老人映画はなんでどれもしょぼくれた尻すぼみの話が多いのだろうと思う、好みではない典型的な一本だった。監督は小林政広。それなりの力量はあるが、どうもいけないですね。

画面のど真ん中にトンネルを配置したシンメトリーなカットから映画が始まる。彼方から一人の老人が歩いてくる。パジャマの上にコートを羽織り、トランクをひきづっている。いかにもボケ老人のいでたち。この映画の全編にわたって、この手のありきたりの表現や台詞が散りばめられているのである。

老人ホームを勝手に抜け出してきた兆吉、かつては大俳優だったが、今や痴呆で、娘達にうまく言いくるめられて施設に入っている。勝手に逃げ出した兆吉を探して娘由紀子とその夫でかつての弟子の行男が探すシーンとが交互に描かれる。

一方兆吉は浜辺で、かつて別の女に産ませた娘伸子と出会い、会話をする場面が延々と描かれる。

物語は兆吉と伸子の会話、行男と由紀子の車の中での会話が繰り返されて描かれるのだが、やがて二つが一つになり、施設に兆吉を戻したかと思えばまた飛び出しての繰り返しがしつこく描かれ、その中に、兆吉の仰々しい演技シーンが挿入されてきて、ある意味シュールな展開が進む。

横長の画面に左右に配置した車と人物や、超広角レンズで捉える顔のアップなど、技巧的なカットがやや鼻に着くのだが、それもまた単調な物語に変化を与える効果を生んでいるのでよしとしよう。

結局、最後は施設に戻ったものの、また一人海辺にきて、大芝居を打って海に倒れたところへ伸子がきて抱きかかえてエンディング。

要するに仲代達矢の独り舞台映画である。しかも、みるみるしょぼくれてきた仲代達矢のしつこい演技だけが印象に残っただけの作品だった。