くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「しいのみ學園」「桃の花の咲く下で」「ほとりの朔子」

しいのみ學園

「しいのみ學園」
こういう子供達をとらえると、清水宏のカメラ演出は、生き生きとしてくる。物語は実に普通のお話であるが、小児麻痺で不自由な体をカバーして遊び回る姿は、みずみずしいほどに美しい。

映画は、小児麻痺の子供を持つ大学の先生が、私財をなげうって、そういった障害のある子供だけを教育するしいのみ学園という学校を設立し、そこで繰り広げられる、子供達の学園ドラマである。

例によって、ゆっくりと横に移動するカメラが、大勢の子供達の動きを丁寧にとらえていく。そのきまじめさが、本当に美しい作品で、現代ではこの手の障害を扱った作品は作れないだろうと思うが、この時代でこそ描ける一ページであるように思えます。

名作とはいえない普通の出来映えですが、いい映画でした。


「桃の花の咲く下で」
笠置シズ子の母もの映画という位置づけの一本で、お話は単純だが、カメラのアングルといい、ワーキングといい、ほぼ完成品に近いほどに美しいのが見所の佳作だった。

映画は、歌を歌いながら紙芝居をする主人公を演じる笠置シズ子が、子供達を引き連れて、歌いながら歩くシーンにはじまる。ゆっくりとカメラが、横に移動しながらとらえていくオープニングが実にすがすがしい。

物語は、元夫との子供に、隠れて紙芝居をして生きる一人の母親の物語で、親が決めた正妻に子供を渡し、一人、影の存在となって、子供の成長を見守っていく。

この時代ならではの設定であるが、随所に笠置シズ子の歌声が挿入され、作品全体が非常に明るいムードに包まれる清水宏の演出が絶品。

川にかかる橋を渡る練習をする子供を、手前からとらえ、向こうに広がる湯治場の町並みのカットや、神社の石段をとらえるカットなど、計算されたというより、職人技的なアングルが美しいし、さりげないカメラ移動に、清水宏の才能がちらほらと伺える。

ラストも、一人子供達を前に紙芝居をして歌う笠置シズ子を、満開の桃の花を通して俯瞰でとらえるカメラのカットでエンディング。なかなかの作品でした。


「ほとりの朔子」
大学受験に失敗した主人公の朔子が、叔母の家に夏休みの最後の二週間を過ごしにやってくる。そこで、大人達の世界をかいま見、ほんの少し前の高校時代をかいま見て、揺れる心を表現していく作品。

主演を演じた二階堂ふみだけが目当ての作品でしたが、その通りの結果になりました。

延々と長回しによるカメラで、俳優達の演技に任せきりの演出。しかも、原発反対や福島の問題まで絡ませて、大人の世界の一遍とする脚本の陳腐さ、せりふの弱さ、登場人物の存在感の弱さ、なにもかもが、私の一番苦手なスタイルの映画でした。

朔子が、叔母の家に向かう電車の中のシーンに始まり、後は、叔母の家での生活を、絡んでくる人々とのお任せの会話シーンでつないでいく。確かにプロの俳優ですから、それなりの演技はしてくれますが、絵づくりはいっさいせず、カメラが、せりふをしゃべっている俳優を手持ちでとらえていくだけ。

妻子がいるのに、学生とSEXしようとする大学講師や、ラブホテルまがいのビジネスホテルを経営する叔母の知人、引きこもりながら、どうしようもない高校生、未成年者を買春するバカおやじなどなど、キャラクターはわかるが、人物が生き生きしていない。それが、監督の意図だといわれればそれまでだが、こういう作品を評価しているようでは、日本映画の未来はないなと思ってしまう。

ただ、前半部分、朔子が森の中の池に着いて、そこに少し足を踏み入れる時の、波紋の美しさと、水の反射のシーンは幻想的なほどに美しい。もちろん、デジタル映像らしく、やや加工したような感じがしないでもありませんが、このシーンだけに絵作りをし、他を普通の画面にしたのかもしれませんね。
監督は深田晃司。以前見た「歓待」が、なかなか面白い作品だったので、才能があると思う人だけに残念な一本でした。