くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「シテール島への船出」「Seventh Code」「パリ、ただ

シテール島への船出

「シテール島への船出」
ここまでいくと、まさにテオ・アンゲロプロス監督は、詩人である。映像は例によって美しいし、流麗な長回しによるカメラワークは、ストーリーに美しいリズムを生んでいく。しかも、今回の作品は、現実の中から、映画中映画へと私たちを誘い、その物語のほとんどが、物語の中の映画監督アレクサンドロスの描く作品のストーリーという展開になる。

しかも、語られるのはアレクサンドロスの父の話なのだから、もう、妙にストーリーにつじつまを合わすよりも、語られる映像を感じるという鑑賞になっていく。

しかし、そこに、決して平凡な映像は表現されないし、二時間半ほどある長尺もものともしないクオリティの高さをうかがうことができるから、全く映像詩人たるテオ・アンゲロプロス監督の真骨頂と呼べる。

映画は、一人の少年が、路地を走るところを俯瞰でとらえ、門番の兵士にいたずらをして逃げる。屋上に隠れる彼のショットから、主人公アレクサンドロスが目覚めるカットへ。そして、映画監督である彼が、スタジオに行くと、次の作品のオーディションで、父の役をする俳優たちが面接にきている。しかし、意にそぐわない彼は一人、カフェに行くと、そこに、一人の老人が現れる。

その老人こそが、アレクサンドロスが求めていた人物だと思った彼は、その老人を追いかけ、地下道にはいると、物語は映画中映画へと入り込んでいく。

なんとも、シュールな演出であるが、あとは、32年前に亡命した父の帰りを待って、母の元にいくアレクサンドロス。そして、そのふるさとが、スキー場開発の話の中で売却されそうになっている、という時の流れの物語が展開していくというものである。

寒々とした景色の中に、真っ青な壁の自宅のショットや、押さえた色彩ながら、色のあるセットや、小道具を配置した画面が実に美しい。そして、画面の端に木々をとらえた構図もまた、詩的なイメージを生み出してくる。

ラストシーンは、父と母が浮き筏に乗って霧の彼方に流れていって、暗転。まさに詩である。すばらしい叙情詩の傑作でした。


「Seventh Code」
今、のりに乗っている、前田敦子主演の中編映画。監督は黒沢清である。

まれにみるショートムービーの傑作。黒沢清がミュージックビデオを作るとこうなるという、凝縮されたストーリー展開と、先の読めない物語が秀逸、うならせる一本でした。

ロシアへ、一人の男松永を追ってきた少女秋子。彼女が、松永が乗るブルーの車を追いかけるシーンから映画が始まる。いったい何事?この子は誰?という導入部からどんどん、不条理な世界へ。

一端は、まかれてしまった秋子だが、日本人レストランで働きながら、松永を発見。レストランのオーナー斉藤と追いかけていくと、どうやら核爆弾の貴重な部品を持っているらしいという展開になり、一人飛び込んでいった斉藤は殺され、秋子は単身松永に接近。そして、マンションまで行ったところで、突然、松永の攻撃を逆手にとって、素早いアクションで反撃して殺す。

そして、部品を奪い、なにやら政府の要人に渡して金をもらい、ダイナマイトを積んだトラックにヒッチハイクして、消えるところへ、さっきのブルーの車が追いかけ、彼方に走り去ったところで、銃撃戦、大爆発、カメラはその煙を遠景でとらえて、ゆっくりパンしてエンディング。ラストにこの作品のテーマ局「seventh Code」を歌う前田敦子がかぶって、エンドタイトルとなる。

突拍子もない展開と、どんでん返し、スパイスの利いた展開に、すっかりはまってしまう一品で、さすがに切れのいい演出に頭が下がる。それにしても、前田敦子のキャラクターのおもしろさは、改めて評価に値するなと感じてしまいました。


「パリ、ただよう花」
ロウ・イエ監督版の「ラスト・タンゴ・イン・パリ」というキャッチフレーズだが、なんとも品のない作品だった。手持ちカメラを中心にしたドキュメントタッチの映像づくりで、冒頭から、その個性に引き込まれそうになるが、主演のホワはそれほど美人でもない、ただ,SEXにおぼれる女にしか見えないし、パリで出会った、ルワンダから来たというマチューという男性も、髭面で汚らしく見えて、この二人のどこにも艶やかな色気が見えてこない。

画面は、徹底した暗いトーンで、息苦しいほどに接近したカメラワークが、次第に重々しくなって、窮屈になってくる。どこが「ラスト・タンゴ・イン・パリ」だというのが感想である。

主人公ホワが、パリまで男を追いかけてきたというお話から物語が始まり、ふられたホワは、たまたま路上で作業していたマチューと知り合い、体を重ねる。マチューの友人たちもいけ好かない男ばかりできたならしい。

マチューには妻がいるし、ホワにも夫がいる。北京に帰れば帰ったで、また男がいる風で、それのどこが、自由奔放なSEXにおぼれる一人の女の物語だろうかと思えなくもない。

終盤は、だんだん退屈になってきて、確かにカメラワークはみるところはあるし、監督の描かんとするメッセージもちゃんと伝わってくるから、決して、凡作ではないが、全く好みではない映画だった。