くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「チョコレートドーナツ」「ブルージャスミン」

チョコレートドーナツ

「チョコレートドーナツ」
これは、かなりの秀作でした。いい映画です。すばらしい映像です、画面から伝わってくるメッセージがとにかくやさしくて、胸に迫ってきます。

映画は一人の少年マルコが、女の子の人形を抱えて夜の町を歩いているシーンからはじまります。夜の闇をブラウンの色調で補正し、ネオンの明かりを、暖かい暖色で照らし出す町の中を、止めどなく歩いている少年。見るからに知的障害のある姿の彼の後ろ姿に、タイトルがかぶる。この導入部だけで、スクリーンに目が釘付けになります。

シーンが変わると、とあるゲイバー。三人の女装した男たちがクチパクで歌を歌っている。その中の一人、ルディをじっと見つめる一人の客ポール。やがて、二人は駐車場で愛し合うが、パトロールの警官にイチャモンをつけられる。自分は地方検事であると啖呵をきり、警官を追い返すポール。このファーストシーンがこの作品のすべてのメッセージにつながる。

やがて、家に帰ったルディだが、隣人の部屋から大音響の音楽が流れ、思わず切れる。しばらくして、その部屋から薬中らしい女が出てくる。その様子を見ていると、後に、寂しそうに一人の男の子、といってもダウン症特有の容貌の少年が出てくるのだ。こうして、ルディはこの少年と知り合う。

しばらくすると、この少年マルコの母親が薬物所持で逮捕されたといって、家庭局の女がマルコを連れにくる。ルディは、施設に送られることがわかっているマルコを自分が引き取ろうと、ポールに連絡を取る。

ポールは法律の知識を駆使し、母親から監護権の委任を受け、マルコを引き取り、ルディとの三人の生活が始まる。しかし、時は1979年、ゲイにする世間の目は厳しく、ポールは勤め先を首になり、上司の敵対的な視線もうける。

しかも、ゲイであることで執拗にマルコの監護権を剥奪しようという圧力がかかるのだ。

終盤は、裁判所での、これでもかというゲイに対する差別的な扱いに必死で戦うルディとポールの物語へと集約していく。いつのまにか、マルコが蚊帳の外におかれるという異常な大人の偏見に対するメッセージが、ストーリーから爆発するように訴えかけてくるのである。

しかし、結局、検事局は無理矢理、母親を釈放し、彼女にマルコを戻すのである。関わった誰もが心の底では、薬物中毒の母親より、ゲイであるが、本当の愛情を持ったポールとルディがマルコには必要であることがわかっているのにである。この微妙な心理状態を、それぞれの俳優が見事に演じきるし、なんといってもルディを演じたアラン・カミングが抜群の演技力を見せるのだ。

家に帰った母親は、再び薬をやり、男とSEXにおぼれる。廊下に出ていけといわれたマルコは人形を抱いて外にでるが、一瞬、ルディの部屋を見るも、あきらめて一人夜の町へ。

ポールは、これまでの関係者一人一人に、本当にマルコに必要なのは、誰かを訴えかける手紙を書き、ルディは、自分の歌唱力が認められて、ステージで、愛のメッセージを訴えかけ、歌う。マルコは、一人夜の町をさまよい、川縁にたたずむ。そんな彼を後ろからとらえて暗転エンディング。美しいが、あまりにも切ない。これからの未来をにッセージだけを残して終わるこの作品のラストシーンは、30年近くたった私たちへの訴えかけであろう。このラストの締めくくりが、余りに画面が美しい故にかえって、たまらなくなるのである。驚くほどの秀作だった。


ブルージャスミン
飛行機の中で、主人公のジャスミンは隣の人に機関銃のように自分の華やかな頃の生活をしゃべっている。そのおしゃべりは、空港について荷物を受け取るまで続く。これこそウディ・アレンの世界、と思わせる導入部から映画が始まる。

主人公ジャスミンは、かつて、実業家のハルとゴージャスでセレブな生活を送っていたが、ふとしたことから、ハルは逮捕され、自殺し、どん底の生活へ。精神に異常を来す寸前になった彼女は、庶民的な生活をする妹のジンジャーの元へやってくる。

しかし、かつての華やかな生活が身にしみていて、そのギャップに、さらに精神的に不安定になっていく。ウディ・アレン独特のアイロニーと皮肉が入り交じった男と女のブラックコメディ。例によって、右往左往するカメラワークと機関銃のように繰り返されるせりふの数々が、スクリーンを埋めていく。

しかし、近年のウディ・アレン作品のような夢やファンタジーは存在しない。いや、今回はジャスミンの頭の中に夢が存在するのか?
前半の場面はなかなか、アイロニー満天に、にやけるような笑いがちらほらするが、中盤から後半はちょっとしつこさも見えてくる。

ジンジャーのところで出会う男たちは、ジャスミンの抱く理想とはほど遠く、やっと、出会った国務省の男ドワイトの前で、ありもしない過去をでっち上げてしまうのだ。

ハルとの華やかな日々を、時々フラッシュバックさせながら、次第にハルの浮気で破局を迎え、それがきっかけで、ハルを逮捕に導き、今の現実に落ちていく物語を挿入していく。

結局、かつてハルにだまされ、夢を奪われたジンジャーの元夫オーギーによって、ドワイトにも嘘がばれ、ジンジャーもまた元の恋人とよりを戻し、オーギーに教えられた息子のところに行くも、冷たくあしらわれるジャスミン

追い出されるように、ジンジャーのもとを出ていったジャスミンはベンチで独り言をつぶやく暗転。

男と女なんて、こんなものさとブラックユーモア満点に笑い飛ばすウディ・アレンが、スクリーンの影から見え隠れするような作品で、さすがに、彼の手腕というか感性はまだまだ健在である。しかし、個人的に、あまり好みのタイプの作品ではなかったかな。