「イヴ・サンローラン」
いうまでもない、フランスが世界に誇るファッションデザイナー、その彼の半生を描いた作品で、イヴ・サンローラン財団公認というのが売りの映画である。監督はジャリル・レスペールという人。
さすがに、ファッションに素人の私でも、でてくる衣服の本物の持つ質感、存在感に圧倒される。特にクライマックスの、最盛期のファッションショーの場面は圧巻というほかない。
物語は1957年、彼がディオールのサロンにいたが、そのディオールの死によって、デザイナーデビューをする。しかし徴兵され、そこで、鬱病になり、入院したために、解雇そこで彼は友人で恋人でもあるピエールと、独立したブランドを立ち上げるのである。
映画は、このピエールが、サンローランの死後、二人で集めた美術品を処分する下りからの回想するナレーションで始まる。
サンローランがその特異希なる才能によって、周囲から孤独になり、プレッシャーにさいなまれ、薬物やアルコールにおぼれながらも、世界に認められていく様を描く。
映画自体は、どちらかというと静かな作品で、品のいい映像、美術、カメラワークで淡々と語られていく。特に毒々しい演出を避け、サンローランを演じた端整な顔立ちのピエール・ニネの容貌そのままのしゃれた作品に仕上がっている。
独立してからの次々と登場する本物のファッションに踊るように、映画はそれ自体が、ファッションのような装いで展開していく。
確かに、サンローランが荒れていくシーンはたくさんあるのだが、陰惨さがほとんど強調されないのは、やはりそのファッションの華やかさを表にどんどん見せていく映像に終始している。
その意味で、確かに陰の部分も描いた作品だが、あっさり感がでたというのは成功だったのではないでしょうか。
品のいいしゃれた作品、そういう感想です。
「郊遊(ピクニック)」
台湾の巨匠ツィ・ミンリャン監督の最後の作品。というふれこみであるが、この手の傑作という紹介作品の常として、とにかく鋭い感性で彩られた芸術的な作品だった。
非常に長回しによる、カットからカットへの展開。ほとんど抑揚のない物語、静止画に近いほどのフィックスな映像。覚悟して見ていたので、ほとんど最後まで頑張れたが、最後の最後で意識が飛んでしまった。果たして、すばらしい映画だったのか。
一つの部屋に二人の子供が寝ている。手前に髪をとかしている女、タイトル。寝ている二人は?この女は?
カットが変わると、雨風の中看板を持つ男。これが解説にかかれた父親で、廃墟になったビルで子供二人と暮らしている。子供たちはスーパーの試食品を頼りの生活。いったい、なぜ彼らがこんな境遇になったかは説明はない。
三人で公衆トイレで歯磨きをし、体を拭き、廃棄処分らしい弁当を食べる。それぞれのシーンが長回しで語られては次のシーンへ、という構成になっている。
娘はスーパーでキャベツを買う。それを人形に見立てて一緒に寝る。
このスーパーに一人の女主任がいる。夜、一人で廃墟に行き放尿したりする。いったい彼女は誰?
父はある日、看板の仕事を放り出し、建築中の新築マンションに忍び込み寝る。
スーパーの女主任は、いつもうろついている女の子をトイレできれいに洗ってやる。
ある雨の日、父はつないである船に乗せて三人でどこかにいこうとするが、女主任に子供を連れていかれる。次のカットで、みんながこの女主任の家らしいところで、父親の誕生日祝いをしている。
廃墟のビルの壁画を見つめる父と女主任。延々と静止したようなカット。そして、二人は消えていき、その壁画をとらえるカットエンディング。
それぞれの長回しのシーンがドラマなのである。そう感じれば、この映画を評価することがどこかしら理解できる気がする。
これほどに、平坦な長回し画面の連続のドラマなのに、どこか凡作ではない感覚にとらわれるのが不思議である。手をたたいて、おもしろかったとはいえない一本だが、映画ファンとしては、見過ごせない映画であることは確かかもしれない。