くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「私は、幸福(フェリシテ)」「汚れたダイヤモンド」

kurawan2018-01-11

「私は、幸福(フェリシテ)」
とにかく、暗くてしんどかった。たしかにキンシャサの生活描写は必要であるし、そういう話だから、それもありなのだが、この作品がベルリン映画祭銀熊賞受賞という肩書きがどうも良くないのです。

ドキュメンタリータッチの手持ちのカメラワークと淡々と綴って行くう主人公とその周辺の人々の機微は伝わりますが、いかんせん、入り込めない何かの壁があります。繰り返し挿入される賛美歌を歌う人々のカットが何かを訴えて来る。監督はアラン・ゴミス

主人公フェリシテがバーで歌っているシーンから始まるが、いかにも殺伐とした第三国という描写である。そこに彼女に気のある男性タブーのカットが入る。

間も無くして、フェリシテの息子が交通事故で大怪我を負い病院に担ぎ込まれる。足を骨折したらしいが、その手術代もないフェリシテは、なりふり構わず金を集め始める。この描写がいかにも上から目線に見えて気分が良くない。

一方タブーはフェリシテに求婚する。
フェリシテの家にある冷蔵庫が壊れ、その修理にやってきたタブーだが、なかなか修理が進まない。この冷蔵庫の修理を絡めて物語が進む。

なんとか金を作ったフェリシテだが、息子の容態が悪くなり足を切断したと伝えられる。悪い方へ転がるばかりのフェリシテだが、彼女の名前の由来は、「幸福」であると母親が語る場面が入る。

どうしようもなくなって行く展開ながら、支えるタブーはついに冷蔵庫も直し、片足がなくなって荒んでいた息子にも笑いが戻り、画面に色合いが加えられて明るくなって来る。休んでいたバーでの歌手活動も再開するフェリシテ。こうしてなんとか希望が見えて映画が終わる。しかし、どうしようもなくしんどかった。


「汚れたダイヤモンド」
面白いはずなのだが、今ひとつまどろっこしいのと、主人公の容姿が丹精すぎて最後まで感情移入できないままに終わってしまいました。監督はアルチュール・アラリ

ダイヤモンドのカットをしている二人の青年のシーンから映画が始まる。そしてカットしている青年の目のアップから、カットしている機械に手を挟まれ怪我をする。それを見ているもう一人の青年、そしてタイトル。

パリ、強盗に明け暮れる主人公ピエールは、音信不通だった父の死の知らせを受ける。そして、父の死がダイヤモンドの加工を主業とする名家の兄ジョセフの一連の仕業であり、その父への処遇に対する復讐のためにアントワープへ行くことにする。

強盗団の仲間に、ジョセフが把握しているダイヤモンド原石の盗難の計画を持ちかけ、自らはジョセフに近づき、さらにダイヤモンドの加工職人の修行に入り込んで行く。

そして強盗の決行の日に、ふとした行き違いで、ピエールの仲間が死ぬことになり、ジョセフの信頼も得始めていたピエールは、仲間であることまで隠してもらうことになるのだが、結局アントワープの街を出て行くことにして映画が終わる。

主要な物語の脇に、ジョセフの息子のてんかんの発作や、ジョセフの会社の危機に資本提供する男の思惑なども絡んで来るのだが、そもそもピエールが復讐を誓う下りが実に弱いために、物語の核心が際立ってこない。

その弱さが全編に、ストーリーの薄っぺらさとなってしまって、スリリングな見せ場が弱められてしまった。しかも、ピエールを演じたニールス・シュネデールという役者が端正な顔立ちすぎて、余計に映画の空気感を軽くしたのも残念。面白いどんでん返しを用意しながら、物足りなかった映画でした