くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「生きものの記録」「俳優は俳優だ」

kurawan2014-11-20

「生きものの記録」
初めて見たのは新世界だった。そのあと、どこかの自主上映でみたはずだが、間違っているかもしれない。

製作年は昭和30年、「ゴジラ」の翌年である。物語は、原水爆におびえる一人の町工場の社長が、家族や妾の子供を引き連れてブラジルへ移住しようとする物語である。

当然、子供たちは大反対し、父親を準禁治産者、今で言う成年後見制度の対象者とするべく家庭裁判所のシーンに始まる。

ここに、家庭裁判所の調停員で、志村喬扮する歯科医師がいる。彼は、判事たちが、人道的に、子供たちの言い分を認めるが、一歩下がって、客観的に、主人公の父親の意見を重視し、悩んでしまう。

黒澤明監督の作品には、よくこういう構図で人物を配置する。「生きる」もそうである。

一見、狂ったような極端な行動をする主人公、それを客観的に見つめる第三者という構図である。

結局、自分の工場に火をつけ、精神病院に入れられた主人公を歯科医師が見舞う。主人公の男はここが地球を離れた別のところで、太陽をみて、地球が燃えていると叫ぶ。

エンディングは、帰っていく歯科医師の男、入れ替わりに主人公が世話をした女と赤ん坊。シンメトリーな構図で二人が病院の階段ですれ違い、誰もいなくなり、エンディング。その後、延々と不気味な音楽が流れる。

一人の男の強烈な生きざま、その目指すものが、異常なくらいの原水爆への恐怖、この辛辣な視点こそが黒澤明の真骨頂である。やはりすごい。この重厚感に圧倒されるのである。


「俳優は俳優だ」
キム・ギドク脚本ということだけで見に行ったが、普通のよくある韓国映画だった。
要するに、一人の脇役俳優が、ふとしたきっかけで、頭角を現し、次第に図に乗っていくが、裏社会のヤクザな興業師と繋がり始め、どん底へ落ちていくが、再び再起するところで終わる話である。

恐らく、キム・ギドク自身が演出すれば、裏社会に絡んできて、友人を殴るシーンや、出世途上で、女を抱く場面、あるいはクライマックスで、演技と現実が混同して狂気のようになる場面など、もっと極端に、毒々しく演出するだろうに、それが、無難な演出に止まってしまうあたり、「レッド・ファミリー」と同様だった。

しかも、韓国の俳優、特に主演の彼と女優たちの見分けがつきにくく、その辺りの普通さもがっかり。平凡な韓国映画だった。