「海外特派員」
劇場未公開となっているが、私は学生時代自主映画でスクリーン鑑賞している。いわずもがな、アルフレッド・ヒッチコック監督の傑作サスペンスの一本である。もう一度みたかったのだが、大阪での三大映画祭週間で見逃したので、遠路はるばる神戸元町まできた。
さすがに傑作と言うだけある、何十年ぶりかで見直したので、冒頭の、有名な傘の中を犯人が逃げる場面や、オランダの風車が逆回転する場面は覚えていたが、後はほとんど忘れていた。
時は1939年、今にもヨーロッパで世界大戦が起ころうとする前夜の緊迫した時期に、アメリカから一人の新聞記者が特派員としてヨーロッパに派遣されるところから映画が始まる。ちなみにこの映画の製作年は1940年である。
コンタクトを取れと指示されたオランダの大物政治家に近づいたやさき、彼が群衆の中で暗殺される。有名な傘の中を犯人が逃げるシーンである。
犯人を追った特派員のジョニーは、オランダの風車がひとつだけ逆回転いていることに気がつき、しかも、殺されたのは偽物だったことも知り、逮捕するべく奔走するが、取り逃がす。ここから彼は、次々と、新たな展開の中に放り込まれていく。
クライマックスは、とうとう第二次大戦が勃発、あわてて、アメリカへ脱出するべく乗った飛行機が、爆撃機と間違われ、攻撃され、海に落ちる。ヒッチコック映画でも珍しい、大スペクタクルなシーンである。
映画が始まったとたんから、次々と、人物の裏の顔が入れ替わり立ち替わり物語をひっくり返していくし、迫りくるピンチを切り抜けながら、特ダネを本国へ届けるというサスペンスも展開、余りに見せ場の連続に、疲れ気味になるほどの緻密な脚本には、正直頭が下がる。
まさに、ヒッチコック映画の傑作の一遍と呼べる作品でした。
「スガラムルディの魔女」
昨今、「三大映画祭週間」でみた「気狂いピエロの決闘」で、その奇才ぶりに驚嘆したアレックス・デ・ラ・イグレシア監督の最新作をみる。
おもいっきり羽目を外してはいるが、ゲテモノB級映画というわけではない。所々、しっかりとしたせりふの組立、テンポのよい掛け合いの演出、シュールなくらい風刺の効いた設定、豪快すぎるカメラワークなど、どれをとっても監督の才能がくっきりと見え、知的な姿もかいま見られるのである。
しかし、手放しで、笑えないところや拍手しづらいシーンが終盤、次々とでてくる。
全く、恐ろしい才能なのか個性なのか、吹っ飛んだ映画であることは確かである。
映画は、バイクに乗った美女が、とある切り株のところで、鍋をかき混ぜている二人のいかにも魔女っぽい老婆がいるところにくるシーンから始まり、タイトル。
画面が変わると、なにやら世界の終末がどうのこうのとさけぶ女がいて、人混みのあちこちに、キリストや、兵士やミッキーやいろいろな姿の大道芸人らしい人々の姿がある。
実は、彼らは、これから宝飾店強盗をしようとしているのである。
まじめなのかふざけているのか、場違いな会話やとぼけたやりとりを繰り返しながら、武器を持って、店に飛び込む。なぜか首謀者ホセの息子も一緒に強盗をする。せっかくの息子と過ごす日なので、手放せないのだという。
首尾よく大量の金の指輪を強奪し、逃げようとするが、逃走用の車はホセの元妻が乗っていってしまい、仕方なく通りすがりのタクシーへ乗る。それを追いかける警部二人の車とカーチェイス。
撃ちまくるは、逃げまくるわというカーチェイスの間も、すっとぼけた会話の連続に、笑いが絶えないし、ハイスピードなカメラワークが緊張感を高め、時折、大きく俯瞰でとらえる撮影シーンが、見事なリズム感を生む。
タクシーのの運転手も結局仲間になることになり、見事な運転でパトカーを振り切り、一路、フランスを目指す。一方、宝飾店に忘れたホセの息子セルジオの鞄から、身元がばれ、元妻がセルジオを助けるべく追いかけ始める。
ところが、ホセたちの車は、魔女裁判で火あぶりになったという伝説のあるスガラムルディの村にたどり着いてしまう。いかにもな背景と迎えてくる老婆たちの姿で、明らかにホラーワールドへ飛び込んだとわかるのだが、一端は逃げたものの、盗んだ宝飾品の入った鞄を忘れていたことに気がつき、村に戻ったことから、ホセたちと魔女たちの壮絶な戦いへ進んでいく。
人間を食べる魔女たちにとらえられ、タクシーの先客は指を切られたり、歯を抜かれたり、耳を引きちぎられたりと、ややスプラッターな展開だが、そこかしこにあるとぼけた会話のやりとりが、一種独特の色合いを見せるし、カメラ演出も一級品のレベルなので、ただのゲテモノ展開にならないのである。
そこへ警部たちもたどり着き、元妻シルビアもやってきてクライマックスへ流れる。
母と呼ばれる巨大な魔女のボスを呼びだし、セルジオを食べさせて復活させることで社会の転覆を謀る魔女たちは、ホセの仲間、警部たちを火あぶりにしながら、セルジオを母という魔女の化け物に食べさせる。
一方、魔女の一人のエバがホセに惚れてしまい、ホセを助け、母魔女を倒す。このクライマックス、魔女の大群団、化け物のように巨大な母魔女、縦横無尽に飛び回る魔女たちをクレーンカメラで縦横無尽にとらえるシーンがかなりのスペクタクルなのだ。
結局、母魔女を倒したホセたちは、必死の姿で村からかけ逃げてきて、後を魔女たちが追いかけてくるシーンで暗転、時は一ヶ月後になる。
え?と思っていると、劇場らしいところで、死んだはずの魔女たちも含め、ホセたちが舞台のマジックをみている。舞台ではセルジオが少女を箱に入れて切り刻むマジックをしていて、それを見つめる魔女たちのシーンが移り、「いずれまた戻ってくるわよ」というせりふでエンディング。
ラストシーンも、どこか社会風刺がみられるし、スガラムルディでの終盤の絶叫が冒頭の街頭で叫んでいた女性に聞こえたりと、どこか監督のメッセージが見えなくもないし、決して平凡なスプラッターホラーではないのが伺われるのである。
おそらく、まともな映画を撮ってもかなりの作品を撮れる監督なのだろうと言うのははっきり伺える映画だった。