くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ジミー、野を駆ける伝説」「イロイロ ぬくもりの記憶」

kurawan2015-01-21

「ジミー、野を駆ける伝説」
いったいどこから、こういう人物の話を持ち出してきたのか?と、日本人である私には感じられる。

特に広範囲に活躍した英雄でもなければ、突出した業績を上げた偉人でもない。アイルランドの片田舎で、芸術と歌を人々と共にわかちあい、リーダーとなってそういう場を提供するために集会所を建設したにすぎない。

ただ、歴史の一ページの中で、教会の権力が並外れてあった第二次大戦前のアイルランドでは、そして、世界の情勢の中では、恐ろしいほどの異端的な行為だったということだ。

しかし、最後までこの話にのめり込めないのは、あまりにも知らない世界故というのが一番だった。

ケン・ローチ監督らしいウィットはそれほど登場せず、ひたすらストレートに主人公ジミー・グラルトンの姿を描く。

確かに、緑の中で繰り広げられる、ジミーを中心とする自由奔放な人々と、旧泰然とした教会側の人々の確執を描いていくのだが、さすがに地味だ。

映画はジミーが、10年ぶりにアメリカから帰ってくるところから始まる。かつてジミーが作り、地元の人々に潤いを与えた集会所は教会の圧力もあり、なおざりになっている。ジミーにもう一度立て直してほしいという。

再び立ち上がるジミーの存在に、恐怖を覚えた教会や旧泰然とした人々との確執が起こり、結局再びアメリカに追放されるまでを描く。

最後に、ジミーの後を自転車で追ってきた支持者たちは、ダンスや歌をこれからも続けていくと明るく語る。じゃあ、なぜ、10年前にジミーが去ったときに、しっかりと継がなかったのか、そこを隠したままのエンディングに疑問が残る作品だった。


「イロイロ ぬくもりの記憶」
シンガポール映画である。監督は新鋭アンソニー・チェン。

少々過大評価し過ぎてる気がしないでもないが、これだけのシンプルな物語に、積み重ねていくようなさまざまなメッセージを織り込み、決して退屈にさせずにドラマとして見せていくクオリティの高さは見事だと思う。

一人っ子のジャールーは、両親がいつも家にいないこともあり、常に孤独で、わがまま放題な行動を繰り返し学校でも疎まれている。

困った両親は、フィリピン人のメイドテレサを雇うことにするが、打ち解けないジャールーはことあるごとにテレサを困らせる。

しかし、子供を残して必死で働くテレサの姿が、いつの間にかジャールーの心に届き、少しずつ打ち解け、慕い始める。この心理変化の流れがみごとで、いつのまにかという時間的なあいまいさが、見事なカメラ演出で語られたことに気がつく。

しかし、ジャールーの父が、仕事を解雇され、さらにジャールーと親しくなってきたテレサに母が嫉妬を覚え、詐欺まがいの商法に引っかかってしまう。

しかし、一時は危機を迎えたかに見えた夫婦も、お互いの失敗を言葉にして告白することで打ち解ける。この展開のうまさは、絶品に近い。

しかし、経済的な苦境に変わりなく、テレサを解雇せざるを得なくなる。新聞で宝くじの法則をみつけ、なけなしの金で宝くじを買うジャールーだが、すんでのところで、当選しない。

そして、テレサが帰国する日、空港に見送ったジャールーはテレサの髪の毛をひとつまみ切り取る。髪のにおいに彼女を思っていたジャールーのどこか切ない思いが、一気に観客に伝わる演出である。

さりげなく、ジャールーが、テレサの体に興味を持ったりする思春期手前の少年の恋心まで演出して見せたり、細かいエピソードも丁寧に作られているあたりも見事だった。

やがて、妊娠していた母が出産し、物語はエンディングとなる。

ストーリーは本当にシンプルだが、家族の物語、親子の物語、少年尾ピュアな恋、移民や階級の問題など様々なメッセージを織り込み、巧みなカメラワークで訴えてくる。

傑作と呼ぶには、まだまだかもしれないが、相当なクオリティの秀作でした。いい映画です。