くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「君が生きた証」「フェイス・オブ・ラブ」

kurawan2015-03-05

「君が生きた証」
映画としては、ちょっとした見所もたくさんあるいい映画だと思うのですが、お話はどうなんだろう。どうもすっきりしないというか、いうべきテーマがしっかりと前面にできらずに終わった気がします。監督はウイリアム・H・メイシー。

映画は、一人の大学生ジョシュが自室で作曲をしている。場面が変わると、ジョシュの父サムの仕事のプレゼンの場面。見事に商談が成立し、そのお祝いに息子を誘って昼飯を食べようとする。

ところが、レストランですっぽかされたサムの目に、ジョシュの大学で銃の乱射事件が起こっている場面のテレビ画面が写る。そして、ジョシュの死。自暴自棄になってしまうサムの姿を映して物語は二年後に。当然ジョシュはこの事件の犠牲者だと思って物語を見ていく。

ジョシュの遺品を手にした中に、ジョシュが作曲していたCDをみつけ、それを行きつけの店で演奏してみると、それを聞いたクエンティンという青年に声をかけられ、一緒にバンドを始める。この、バンドシーンの躍動感あふれるカメラが実にすばらしい。

曲はジョシュが作曲したものだが、それが話題になり、地元のイベントにでることに。しかし、サムはかたくなに拒む。その理由は、実は銃乱射事件の犯人こそがジョシュだったのだ。

当然、サムはクエンティンから罵倒され、イベント出場は中止、バンドはバラバラになるが、サムは、息子が生きていた証に、なにもかも白状して、バーで一人歌を歌う。映画はここで終わる。

確かに、息子は殺人犯だったが、一方でサムの子供だったのである。その、やるせないような気持ちが、バーの客の涙を誘うクライマックスは美しい。しかし、それでいいのだろうか?

もちろん、ありきたりの映画なら、ジョシュが犠牲者という設定であろう。しかし、そのセオリーをひっくり返す設定にして、その父親の姿に焦点を当てた。その意味でこの作品に良さがあると思います。でも、ちょっと一方的に思えなくもないのです。


「フェイス・オブ・ラブ」
大人のラブストーリーとはよく言ったものです。ほとんど熟年に近い男女が、それぞれの相方に去られ、寂しさの中に新しい恋に目覚める。その、一見醜いほどの執着心と、どこかに残してきたような切なさを兼ね備えた恋心が、なんともいえない物語となってスクリーンに彩られました。監督はアリー・ポジンという人です。

主人公のニッキーが、愛する夫ギャレットと幸せな日々を過ごしている短いカット、そして、夫婦で出かけたメキシコで、ギャレットが不遇の死を迎える海岸のカットが繰り返される。

そして、五年後、ニッキーは今なお、最愛の夫の面影を忘れられず、あらゆる思い出にふたをしている。ある日、近くの美術館に出かけ、かつて夫と訪れた思い出に浸っていると、たまたま夫にうり二つの男性トムに出会うのです。

夫が忘れられない思いだけで、トムの素性を突き止め、強引につきあい始めるニッキー。どこか、謎を感じながらも、ニッキーを愛していくトム。彼は心臓を煩い、妻とも10年前に離婚して、半ば傷心の中にいた。

こうして二人のラブストーリーが始まるが、ことあるごとにトムとギャレットを重ね合わせるニッキーの姿は、ある意味ホラー映画に近いほどの不気味さを帯びてくるのです。

そして、彼氏と別れた娘のサマーが戻ってきて、トムに会ったことで、一気に、ニッキーの異常さが爆発。二人はメキシコに出かけ、トムも、その真相を知る。

そして一年後、ニッキーの元に、サムの追悼展の案内が届く。ニッキーと出会うことで再び絵を描き始めたトムは、ニッキーと別れるまで絵を描き、そして、ニッキーを見つめる自分の姿を描いた「愛の肖像(フェイス・おブラ・ラブ)」という絵を残す。

クライマックスは、本当にニッキーの姿が鬼気迫る雰囲気に染まっていき、まさにホラー映画のごとく変貌いていくが、その後の追悼展のエピローグのうまさに、この映画のすばらしさが集約されるのです。

静かな演出の裏に力強さを秘めた映像が、なかなか優れた一本で、まさに大人のドラマという感じの映画でした。